捜し物語り
病室
応接室前。
書類整理をしている草壁の元に男性教師がやってきた。
眼鏡が光り神妙な面持ちをしている。
「草壁…雲雀君は───?」
「今は雲雀の用事が済むまで入室禁止です。用件なら私が聞きますが?」
「───う〜ん。雲雀ならともかく、草壁か…」
教師は勿体ぶるように呟いく。
「私では何か不満でも…?」
「いや、そういう訳ではないんだ─────『嫌な話』になるからな。雲雀なら平気そうなんだが…」
「それでも結構です。聞きましょう」
教師は草壁の言葉で安堵したような表情になった。
誰でも雲雀と直接対峙するのは怖いだろう。
実際、傍で秘書役をやっている自分でさえ怖い。
それでも『気づかなければ』いつまでも彼は『恐い人』のままだと言う事にも気付いた。
教師は一間置いて口を開いた。
「病院で、男の子の『変死』があったって…───」
それから紡がれる概要を草壁はメモを取りながら頭に叩きこんでいった。
∞∞∞
「ねぇ、お兄ちゃん。中に入っても良い?」
了平の病室をノックしたのはこの子のようだ。顔が少し女の子っぽい。
人形をしっかり抱き締めながらじぃっと綱吉を見ていた。
「どうしたのだ?沢田?」
「えっと、男の子が何か…」
了平は目をぱちくりさせると首を傾げる。
「男の子?」
「はい。中に入りたいとか言ってますけど…どうしますか?」
了平はしばらくこちらを見たまま黙り込んでいた。
しかし、ふむ、と呟いて口を開いた。
「よく分からんが、入りたいなら入れてやると良い」
「だって、君…───」
綱吉がドアの前に居る子供へ顔を向けた。
「ありがとう!お兄ちゃん!」
後ろから、声がした。
「お?お前いつの間に居たのだ?」
了平が不思議そうに問い掛けている。
後方を振り向けば、あの男の子が了平のベッドにもたれかかっていた。
え?
今の子…いつの間に?
綱吉は再び顔を戻して目の前の景色を視界に納めた。
向こうに男の子は居なかった。
当たり前か、と呟いてドアを静かに締めた。
再び病室と廊下は隔てを得た。
「ねぇ、お兄ちゃん。実はね、僕捜し物してるんだ」
「む?何を探しているのだ?」
楽しそうな声が後から聞こえてきた。
綱吉は離れようと踵を返すそれと同時に腕が取っ手に引っ掛かった。
「お人形の手と足が両方共無いんだ。何処にあるか分からなくて探してるの」
「それは大変だな…───」
腕に走る鈍い痛みに、綱吉はもう一度ドアと向き直る。
そして、気付く。
「お兄ちゃん、探してくれる?」
ドアと綱吉の間。
子供が『自分にぶつからずに』擦り抜けられる幅など『無かった』。
途端に鼓動が跳ね上がった。
氷塊が背中を舐めて戦慄を呼ぶ。
そして、綱吉が感じていた空気が豹変した。
清潔感溢れるはずの病室が、肉腐る臭気に包まれる。
ガタガタ身体が震える。
カチカチ奥で歯が鳴る。
ドクドク心音が聞こえて身体を打ち付ける。
綱吉はゆっくり、ゆっくりと、了平が休んでいるベッドへと振り向いた。
視界に映る。
了平と右下が綺麗さっぱり無い、『何か』。
「お兄さん!その『約束』はしちゃ駄目です!」
ぬる、っと冷たい何かが綱吉の両足を掴んだ。舐めるように纏わり付きながら、足からふくらはぎ、太股を螺旋を描いて這い上がって来た。
冷や汗が吹き出て怖気を更に呼び込む。
見なくても分かる。
『あの時』遇った。
『異界』で遭った。
意志ある『人だったモノ』。
ただの『肉』。
了平は顔を上げると辺りを見回すように首をキョロキョロと動かした。
「む?今、沢田の声がした気がしたが…何処に行ったのだ?」
オレが見えてない…?!
「お兄さんっ!オレは此処です!此処に─────がっ!」
身体に巻き付いた『肉』が、それ以上喋る事を許さんばかりに喉を締める。
呼吸器官を許押さえ付けられて空気が入って来ない。
やめろっ!
お兄さんに何するつもりだっ!
綱吉は首に巻き付いてきた肉に掴み掛かる。
有らん限りに力を込め、爪をたてて、下へ『引っ張った』。
首の後ろに腕に込められた力の分だけ負荷がかかる。綱吉はそれに加えて首を後ろに引いた。
「おかしいな。また聞こえたぞ?」
「ねぇ、お兄ちゃんってば!僕のお話聞いてた?」
「む、すまんすまん…───で、何だった?」
「もう、お兄ちゃんったら、覚えててよぉ」
肉に語り掛ける了平。
それは滑稽なほど優しい顔をしていた。
了平に語り掛ける右下の無い肉は可愛らしい少年の声で『無邪気』に跳ねていた。
お兄さん駄目です!
それと『約束』しちゃ駄目です!
ぶちぶち。
肉が繊維を引いて千切れ始める。
爪が剥けて血が零れ落ちる。
「お、にぃ…さんっ……!」
苦痛に歪んだ甲高い絶叫が耳朶を打ち付ける。
少し楽になった綱吉は更に力を込めてそれを引いた。
首が外れて落ちそうなほど痛いにも関わらず、綱吉はさらに首を後方へ引っ張る。
「だから、僕のお人形の両手両足を探して欲しいの!」
「おぉ。そうだったな」
ぶちぶち。
ぶちぶち。
ぶちぶち。
肉の千切れ目から腐臭が漂う。
しかし、吐き気を覚えながらも込める力に衰えはなく、寧ろ強まった。
ぶちぶちぶちぶち。
「お兄さんっ…!駄目つ…!」
それでもその想いは、『優しい彼』には届かない。
「よし!オレが探してやろう!」
空気が、冷えた。
「あっ…」
綱吉の目が失意に剥かれる。
藻掻いていた腕から、首から、力が完全に抜け切った。
それを好機と見たかのように身体へ肉が巻き付いていく。
もう一度、体を締め直す。
体を、覆い尽くす。
綱吉の視界が肉で覆われた。
「じゃぁ、お兄ちゃん…───約束だよぉ…」
声が、スロー再生のように鈍く放たれた。
後ろ姿しか見えなくても分かる。
それは楽しそうに、嬉しそうに、『にたり』と笑っている。
「うむ、約束だ!」
了平は元気溌剌(はつらつ)とした声を上げて『男の子』に誓った。
「それじゃあね…。十日後のこの時間に…また来るから」
「む?期限付きなのか?」
首を傾げる了平は時計を見やる。
病室に備えられた時計が五時をピッタリ指していた。
最初にアレと遭った時から、一秒も動いていなかった。
腕を組んだが、次の瞬間顔をぱっと明るくした。
「おぉ!そうか!退院なのだな!良かったな!」
わっはっは、といつものように笑った。
「この時計だと五時だな!」
「うん…」
頭を一撫ですると、ボクシングをするように交互に突き出してから拳を構えた。
「極限、男と男の約束だ!退院に浮かれて取りに来るのを忘れるなよ!」
「もちろん」
にこっと、男の子が笑う。
「でも、もし見つからなかったら…───」
がくっと男の子が俯く。
了平は嬉しそうな表情から目を瞬かせた。
それから眉を寄せて覗き込む。
「む…?どうしたのだ?具合でも悪…───」
突然、『ぐりん』っと顔が持ち上がる。
そして次の瞬間、目玉を剥き出して紅い口が『けら』っと嗤った。
「『君の』貰うからね」
裂けた口から嘲笑が溢れ出る。
病室内に響いて、反射して、狂ったように笑い声が響く。
男の子だけじゃない。
女の子の、男性の、女性の、翁の声が反響した。
重なり合う嗤い声は鳴りやむことを知らずにこだまする。
了平の表情が確かに歪んだ。
驚愕に目を剥いて、耳を塞ぐ。
「お…お前っ!一体何者だっ!?」
問い掛けは聞き入れられること無く狂い咲く高笑い。
了平は頭を抱え込むように身体を縮こませた。
「ぁ…ぁぁ…───!」
歯の奥がカチカチ揺れる。
吹き出る冷や汗が肌から流れ落ちて、服に染み込む。
「ぁ……ぁあ…あ…あ───!」
身体が震え、引きつる呼吸は少しずつしか入ってこない。
酸素が、腐臭を纏って冷たい。
「───…あぁっ!」
数回に分けて了平は息を溜めきった。
「それは極限にできーんっ!!」
鼓膜を破壊せんと、了平の声が嗤い声を『掻き消した』。
「京子の人形のはやれんっ!!大事なモノなのだ!!」
了平の声がビリビリ身体を震わせる。
有りったけの大声が室内内部に響いて肉の動きさえ止めた。
「そうでなくてもやれん!!オレの為に、西田が作ってくれたのだ!!極限に渡せんっ!!」
身体を締め付けていた肉は緩やかに滑るとびちゃと腐り濡れた音をたてて床に落ちた。
そして吸い込まれるように床へ消えていった。
肉と奮闘をした跡が残った綱吉。服が腐れた肉で乱れて汚れている。
瞬間、綱吉はその駆け出していた。
「だから!だからぁっ…───!!」
「そんなの…要らない…」
ぴくっと、了平が動きを止めた。
ゆっくり顔を上げて、目の前の肉へ視線を向けた。
その後ろ、綱吉が跳ね上がっていた。
「のぉっ!!」
掛け声と共に綱吉が肉の上部目がけて思いっきり足を振り回した。
「?!」
しかし、それは触れる寸前で消え失せる。
そして。
「だあっ!」
了平の顔面へ容赦なく直撃した。
しまったぁあああいっ!
「おおお、お兄さんっ?!」
綱吉の顔が引きつった。
綱吉は床に着地すると慌てふためく。
赤く腫れ上がった顔を見て、あーっと奇声を発した。
「いらない…」
再び、後ろから声がする。
綱吉と了平は弾かれたように顔を出入口へ向けた。
ドアの前に寄ってたかった肉はうねうね蠢いて、人間の形を作る。
次第に皮を被った子供へと変貌した。
足も、手も、胴体も当然ながら、爪も、口も、鼻も、目も、髪も、人間になろうと皮を被った。
そして、目玉が『ぐるん』と回転しながら目を造る。
先程と同じ顔の男の子に戻ると、ひしゃげた笑みを浮かべて取っ手を握った。
「人形のじゃない…『君の』を貰うから…───約束…」
了平へと指を差して、ドアを開け放つ。
その先は、紫と黒がうねる世界。
「置いておく…この時計で、十日後の五時…『取りに来る』……」
「待てっ!」
綱吉は再び駆け出そうと足を一歩踏み出した。
「待て沢田…」
綱吉の腕を掴み、了平の低い声が響いた。
「お兄さんっ…?!」
掴んできた腕から震えが伝わる。
綱吉は了平を見た。
流れ出ている汗が服を濡らして身体を冷やしている。
しかし、震えているのは『寒い』からではない。
「本当に、オレの『人形の』では無いのだな…?」
了平の、『恐怖』や『怯え』の中にある『不安』だ。
「当たり前じゃん…」
肉が、さも当然のように返した。
すると、了平は長く、深い溜め息を吐き出した。
「そうか…─────良かった」
ぽつりと呟かれた台詞に、『安堵』が交じっていた。
けらっと嗤って首をガックンと傾けると、男の子は紫と黒の世界へ踏み出した。
すると、男の子の姿が一瞬で消えた。
カチッ。
空気が軽くなる。
ドアは人を無しにかたりと締められると、再び時計の秒針だけが音を出す病室に戻った。
し辛かった呼吸が、簡単に、当然のように出来るようになった。
「─────…はぁ〜」
綱吉が長い溜め息を吐き出した。
そして、ドアを睨みやる。
「あいつ…!」
ぎりっと綱吉は唇を噛みつける。
目の前に居たのに、また何も出来なかった。
しかも了平が大声で怒鳴ってくれなければ、自分は完全に動く気力を失っていた。
あの場所で、『誰よりも』動ける筈だったのに。
綱吉は掴まれている腕に気づいて了平を見やった。
噴き出た汗に体がぐっしょり濡れている。
今まで見た事のない表情をずっとこちらに向けていた。
驚愕に目を丸くし固まった、了平。
呼吸がまだうまく出来ないのか口を小さく開けたまま荒い呼吸を繰り返していた。それから沈黙が訪れた。
その間、ずっと了平の呼吸音だけが響いた。
それから何分が過ぎ、綱吉と目があった了平は漸く息を吐き出した。
肩を落として、ずるり、と手が離れる。
「すまん…思いっきり握りすぎた…―――」
「え…?」
綱吉は首を傾げて握られていた袖をまくった。
赤く、ハッキリ、くっきり、了平の手形が残っていた。
綱吉は袖を戻すことによってそれを隠し、自分の出来うる限りの笑顔を浮かべた。
「大丈夫ですよ、お兄さん!あんまり痛くなかったし…」
「そうか…そうか…―――」
自分に言い聞かせるように呟いて、再び息を大きく吸い込んだ。
「なら…良かった…―――」
安堵を秘めた、言葉。
俯きながら顔を真正面へと向ける。
「――――…!!」
了平が、聞こえない悲鳴を上げた。
綱吉も了平と同じ方を見やる。そして、目を剥いた。
「これって…―――!」
了平の腹の上、両手両足の無い人形が、ほほ笑みを浮かべて居た。
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