隠し神語り
鉢合わせ
森の出入口までもう少しの所で、綱吉はようやくクロームの腕を放した。
「此処まで来れば…多分大丈夫…─────はぁっ…」
綱吉は大きく溜め息をついて後ろに居るクロームに声をかけた。
クロームも案の定息を切らしていて、肩が大きく上下に揺れていた。
「ごめん、クローム…───走りすぎちゃって…」
「別に、それは良いの…」
クロームはそれだけ言うと、綱吉に歩み寄っていく。そして、また腕に抱きついてきた。
走ったせいかもあって、先程よりクロームの体温は上昇していた。きちんと生きているのが解る。
…良かった。
綱吉の頭の中は、たったそれだけで埋まっていた。
「クローム、大丈夫?」
「うん…」
そう言って、クロームは綱吉に頭を寄せた。
端から見たら恋人同士に見えるような絡みだが、当本人達は気にしていなかった。
今はただ、互いが無事で有ることが大事だった。
「ボス…あの……」
「どうしたの?クローム?」
戸惑っているようなクロームに、綱吉は優しく聞き返す。
彼女は自分と似て引っ込み思案なため、なかなか自分の思っている事は口に出そうとしない。
どうしたのか問いかけても、返さずに離れて行ってしまう時もある。
「あの…さっきの話何だけど…」
どうやら今回は話をしてくれるらしく、必死に言葉を選んでいるようだった。
しばらく待っていると、クロームは意を決したように顔を上げた。
「あの…ボス───ありがとう」
「え?何が?」
いきなりお礼を言われた綱吉は首を傾げた。
クロームはえっと…と口をパクパクさせていて、小動物みたいだった。多分、尻尾がついてたら忙(せわ)しなく振り回しているだろう。
しかし、次のクロームの言葉で、全てが一瞬にして崩れ落ちた。
「あの…子供から引き剥がしてくれて───」
「え?─────子供……?」
自分の心が、ぴしりと固まった。それは身体も停止させた。
嫌な予感を感じ取る。そんな自分に怖気が走った。
「変な子が…私の事を引っ張ってて───怖いからそっちには行かないって言ったら─────…っ!」
子供なんて何処にもいなかった。
クロームは小さく震えて綱吉に抱きつくと、服をキツく掴んだ。
まるであの時のランボのように。
「怖かった…ぁ…!」
涙に滲む声。
「見捨てないでくれて…───ありがとぉ…っ!」
クロームは綱吉の中で何度も『ありがとう』と繰り返し呟いた。
何度も何度も、『ありがとう』と呟いた。
嗚咽混じりのその声が、切実さを更に訴えてくる。
当然の事なのに…───。
震えるクロームの腰に綱吉は腕を回し、優しく頭をぽんぽんと叩いた。
「見捨てたりなんかしないよ…」
頭を抱き寄せて小さく呟いた。ランボの時と、同じように。
「クロームだって、大事な友達なんだから…───」
中で震えが止まった気がした。たぶん自分の台詞に驚いたのだろう。
「ボス」と呼びながらクロームが顔を上向けた。その顔はとても驚いていて、潤んだ瞳がじっとこちらを見ていた。
こういうところ、恐がっていたランボとあんまり変わらない。
綱吉はクロームにまた優しく笑いかけてから腕を解いた。手を握って、「行こう?」と声をかける。
クロームは綱吉の顔と握られた手を交互に見やった。
「皆が待ってるから…───」
「ボンゴレこんばんは〜あっ!」
「ひぃいい!ごめんなさい、ごめんなさいぃいい───!」
その汚い手を放せと言わんばかりに保護者、骸が三叉槍を綱吉に振るう。
しかも、最後のタメは間違いなく本気だった。
暗い中でも殺気を感じ取った綱吉は一瞬だけ煌めいた三叉を土下座で躱してみせると、「もうしません!」と骸に懺悔していた。
しかし許すつもりはない骸はあの特徴的な笑い声を上げて綱吉の胸ぐらを掴み上げて立たせた。
綱吉の耳に口を寄せると、骸は更に追い打ちを掛ける。
「僕のクロームにやましい気持ちで近づいたらその頭、串刺しにしてやりますよ?」
どうやら、出だしで自分が考えていた事はお見通しだったらしい。
口元を押さえ付けて悲鳴を上げられないようにすると、綱吉は恐怖に涙を浮かべてブンブン頷いた。
「骸様っ!」
クロームは骸へ後ろから抱きつくと、彼は綱吉を放り投げてクロームの方へ向直った。愛でるように頭を優しく撫でると、先程とは打って変わって優しい口調で問い掛けた。
「大丈夫ですか、クローム? ボンゴレに何もされていませんか?」
骸がそう問い掛ければ、クロームは顔を上げて首を左右に振った。
安心しているのか、瞳に涙を浮かべている。
「ボスには、助けてもらいました…」
クロームはそれだけ呟くと骸に顔を埋めた。
再びガタガタ震えだしたその姿は、先程よりも怯えているように見えた。
「ボスが引っ張ってくれなかったら…私…私っ…───!」
「クローム…───」
また名前を呼んで骸はクロームをしっかり抱き締める。しがみついているクロームの頭を抱え、表情を歪めた。
「大丈夫ですよ、クローム───誰もお前を置いていったりしません…」
震えを止めるかのように腕に力を込めた。
「お前を、独りにはしませんから…───」
だから大丈夫。
骸は腕の中でそうクロームを宥め続けた。
一連のやりとりを蚊帳の外から眺めていた綱吉は、素直にとても美しいと思った。
恋人同士の中でも麗し過ぎて近寄りがたい雰囲気である。
本当に、綺麗である。
綱吉はそう考えながら、二人に魅せられていた。
震えも収まり、クロームは骸から離れると恥ずかしそうに顔を赤らめた。そして、次の瞬間にはごめんなさいと連発して謝り始めた。
そんなクロームを、骸は見守るように優しい笑顔で見下ろしていた。
「ちょっと」
不機嫌そうに響くは孤高の声。
綱吉はその声音に肩をびくりと震わせて恐る恐る振り向いた。
不機嫌絶頂を現す、仁王立ち姿の暴君。
「雲雀さん!!」
泣き喚きながら綱吉はその人物は綱吉の肩を掴んでニタリと笑った。
「群れてたから咬み殺す」
嬉々としてトンファーを握る雲雀はこの上なく楽しそうな顔をしていた。
狩られないようにすべく、綱吉は逃げ出そうと背を向けた。
ぐわし。
肩を、掴まれた。
「ひぃい!ごめんなさ…───」
「ボンゴレ、クロームを置いていかないで下さい」
「ふえ?」
振り返ってみれば骸が自分の肩を掴んでいる。もう片手はクロームの手を引いていて、その手を綱吉の手と握らせた。
当然、ヘタレ童貞の綱吉は顔を沸騰させて真っ赤になった。
「むむむ、骸っ!何?!」
「何って、クロームを連れて山を降りて貰うんですよ───」
骸は綱吉へ顔を寄せ、耳元で呟いた。
「消しゴム、持ってきてないでしょう?」
「え? 何で知って…───」
トン。
骸は背中を押して台詞を遮った。
綱吉は首を振り向かせて骸を見やると、にっこりと笑顔を浮かべて手を振っていた。
綱吉はクロームの手をしっかり握り、心中で首を傾げながら道を下り始める。
──に───────いで…
え…?
綱吉は骸の声が聞こえたような気がして首を振り向かせた。
彼はまだこちらを向いて手を振っていた。
「骸…?」
本人は気付いていないのか、深紅と群青で彩られた双眸は酷く儚い色をしているように見えた。
一瞬だけ、もやりと胸が濁った。
「骸!」
綱吉は声を張り上げ振り向いた。
手を振っていた骸は、目をぱちくりさせて動きを止める。
「早く、帰って来てね?」
綱吉がそういうと、骸はまた笑顔を作る。
「はい…───必ず…」
寂しげな、表情を織り交ぜて。
それだけ言い交わすと、次の瞬間には雲雀が骸に殴りかかっていた。
骸は案の定ともいえる身のこなしで雲雀の攻撃を三叉槍で防いだ。
相変わらずだな、と綱吉は顔を青くして金属のぶつかり合う音に背中を押してもらった。
クロームは綱吉の手を握りながら離れないように腕へ抱きつく。
綱吉も同じくクロームの手を握り返した。
それからは特に何もなく、二人はふもとで待っている仲間たちの姿を確認した。
「おーい!みんなー!!」
綱吉は無事に終わったことに涙を浮かべながら、大きく手を振った。
凄く嬉しくて何度も振り続けている綱吉の腕は、メトロノームのようだった。
夜風にぶわりと後押しされ、二人は皆の元へ駆けていった。
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