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道物語り
結解
 ―――オ、ニイ、チャン…。

「聞こえない! 何も聞こえない、聞こえない聞こえない!!」

 聞こえるのは自分の心音と駆けている足音だけ。綱吉は自身に言い聞かせ、己の耳を両手で塞いだ。
 それでも『分かる』。

 ―――待ッテヨ…ォ……。

 綱吉の背に手を伸ばして、女の子がズルズルと這って来ている。
 腕だけで這うには、尋常ではありえないスピードで。
 何処まで全力で走っただろう。元から行く当ても行く果てもない異界で、その疑問は無意味に等しいが、喉から血を吐きそうな呼吸のし辛さの綱吉は気づくこともない。
 ずるずると這ってくる『異物』とその恐怖の対象から逃げるべく、ひたすら地面を蹴り続けることでいっぱいいっぱいだ。

「っぁ?!」

 しかし、恐怖にかられ、いくら時間を忘れて走り続けることがていても、体力には限界がある。とうとうピークを通り超えた身体は悲鳴を上げ、綱吉は地面へと派手にすっ転んだ。
 手に持っていた箱の中身もらぶちまける形になった。
 尤も、全力疾走で箱を握りながら走っていた為に中身が原型を留めていることなどないが、それ以上に地にべちゃりと広がった生菓子は凄惨な姿と化した。

「ぁ…ぁ……!」

 ずるずると這っていた子供は次第にずるり、ずるりと速度を緩め、ずるぅり、と綱吉へと這いずりよる。
 一気に加速した心音と、じりじりと迫りくる異物に対する恐怖心。
 しかし、うつ伏せで倒れたにもかかわらず、その異物を視界に収めるように綱吉は起き上がった。腰を抜かした綱吉は足で地面を押して尻を滑らせる。そうして、出来るだけその異物から離れようと試みた。
 手に生クリームを食べさせて、服が汚れることも構わずに。

「ぁぁ…ぅ、ぁ…」


―――ずるぅり、ずるぅり、と。

 顔が、
 身体が、
 ドロドロに溶けた異物が。


 ―――ずるぅり、ずるぅり、と。

 身体を這わせて、
 距離を縮め。


―――ずるぅり、と。

 数十センチから、
 足元へやって来て。


 ―――ず、る、と。
 地面を伸びる、
 生クリームに手を付けた。

 ぴたりと、止まって。

 『それ』は、手についたクリームを、マジマジと見つめた。

 べろりと、舐めて。

 崩れたスポンジケーキを掴み取り。

 口元へ、運んだ。

 繰り返し。

 原形の留めていない、洋菓子だったモノを。

 両手で掴んでは。

 口に運んで。

 貪るように。
 貪るように。
 貪るように。

 粗方、食べ尽くした頃には。

『ごちそうさまでした。お兄ちゃん』
「…―――あ。えっと…」

 目の前の異物は、『変身』した。
 仮面ライダーのような瞬間芸、魔法とでも呼ぼうか。今まで溶け爛れていた顔も、手も腕も足も、『普通の人間』になっていた。何処からどう見ても、ただの女の子。
 学校に通っていてもおかしくない、公園で遊んでいてもおかしくない、この商店街を歩いていたっておかしくない、平平凡凡な女の子が手と顔をクリーム塗れにして綱吉の前に座っていた。

『ごちそうさまでした』
「………え、っと…」
『お腹がいっぱいになりました』
「そ、そう…」
『ありがとうございました』
「えー…―――と」

 女の子は、顔をずいっと近づけた。

『ありがとうございました』
「どういたしまして…?」

 気迫に負けて返すと、女の子は仏頂面のまま少しだけ身を引いてくれた。しかし、じっと綱吉を見つめている。唾を鳴らして呑みこむと、女の子は口を開いた。

『お兄ちゃんが欲しい所ですが』
「ひぃっ!」

 ―――やっぱり危険だ、この子!

『近づくのが嫌なので、近けません』
「え? あ。はぁ…?」

 女の子は立ち上がった。

『どうしてここに居るんですか』

 問いかけるでもない女の子の言葉に、綱吉は目を逸らしながら「えぇと…」と呟く。

「何か、気づいたら迷いこんじゃって…早く出たいんだけど、どうやったら出られるのか分からなくて…」
『嘘吐き』
「んな?!」

 女の子は一言放った。

『貴方は嘘吐きです。本当はそんなこと思ってないくせに、口先だけでそんな事を言っています』
「な、何でお前にそんなこと言われなくちゃ…―――」
『真実です』

 女の子はきっぱりと言い切ると、黒々とした大きい瞳で綱吉を射抜かんばかりに凝視する。

『貴方はここに居る真意を分かっていません。ここは偽りが迷わせて真(まこと)が導きます。出たいなら、心の底から願う事です』

 再びずいっと顔を近づけられて、綱吉は口をぐっと引き結んだ。
 たった数秒。そんなに長くもない時間だったが、綱吉には数分間も睨みつけられているような感覚だ。
 かさかさに乾いている、女の子の口が動く。


『か』
『え』
『り』
『た』
『い』
『と』

「え…―――?」

 途端、ひゅっと女の子の細い首に赤い糸が、ぐるぐると巻き付いた。
 きょとんとした女の子は、首に巻き付いた糸に触れ。

 ぷつ、と肉の切れる音に目を瞬かせた。

「綱吉君。今すぐ私の横に来てくれるかしら?」
「え…?」

 女の子が更に狂ったように目を開き、ぎょろりと目を後方へずらした。その先に、つられて綱吉も見ればマタニティードレスの西院島が、赤い糸をぐっと握って引いている。その糸が続いている先は、眼前にいる女の子の首。

「西院島さ…―――」

 その瞬間、ぽーんと『頭が飛んだ』。
 途端、背後でびちゃびちゃびちゃと、落下音を捉えて腐臭を感知した。ぬる、と掌を冷たいモノが這い寄って来て、綱吉は頭を真っ白に染める。もともと、目の前で起きている事態も尋常ではない。
 可憐な妊婦がたった今、女の子の首を糸で引き千切ったのである。異常な光景だと納得は出来る。しかし、綱吉の頭は『振り返った方が怖い』と直感的に告げていた。綱吉は何も言わずに立ち上がり、目の前でとろけた皮と肉を避けるように迂回した。

 その背後、綱吉の直感通り。
 無数の『人間だったモノ』が、寄り集まっていた。
 目玉を窪ませた顔がいくつもくっ付いて胴となり、その隙間から手が伸びていた。足は有るにはあるが、意味の無い所に生えていて、地面側に生えている手が移動の手段だった。
 それも、女の子の首が弾き飛ばされた途端。皮が爛れ落ちて地面へと落ちて行った。そして、びちゃりびちゃりと身体を崩して床へと広がったのである。
 とろけて、地面に吸い込まれて…―――シミは残らなかった。もとの風景に、戻ったように。
 ただ、洋菓子の零れた名残が、その場にあるだけだった。


∞∞∞


 西院島と合流を果たした綱吉は、雲雀から送られてきたメールを漸く確認した。
 それは、西院島が敵ではないということを知らせてくれたメール。小さく溜息を零した。

「さすが、雲雀様の所有物さんですね」
「あの…その言い方は…―――」
「うふふ。ごめんなさい? でも、『この状況で動じることがない』なんて『私達』の他に居るか分からないから」
「私達、って…―――知識や雲雀さんと関係があるってことですか…?」

 まぁ、と西院島は笑った。

「その問いかけは、気になっているけどよく分かっていないのね?」
「気になりはするんですけど…どうやって知れば良いか分からないから…―――」
「知らなくても良いことよ?」

 真正面を向いたままの西院島に綱吉はこう答えた。

「知らなくちゃ『いけないこと』だと思ってます」

 西院島さん、と呼んで。綱吉は少し背の高い彼女を見上げる。


「オレに対して『探り』を入れてましたよね…?」


 今、敵ではないと分かって浮かんだ疑問。持ちだされた怪異の話はどれも今まで綱吉が関わって来たもの。それを知っているのは、間違いなく雲雀の関係者だ。
 その問いに、西院島は間髪入れずに「あらいやだ」と笑った。

「その通りよ。『いつひとさん』と『メリーさんの電話』で過剰反応したのは綱吉君だけだったわね?」

 それから、くすくすと笑って。


「そんなに『関わらせている』んですね、雲雀様は」


 綱吉の前に躍り出た西院島。それはあの場から逃走する直前に見せた、嬉しそうな笑顔だった。
 足を揃えて両腕を開き、軽く会釈した。さらりと黒い髪が背から流れ落ちる。その麗しい容姿とは対照的に、サーカス開始の挨拶を務めるピエロに見えた。
 腕を広げ、目を閉じたまま西院島は唱える。

「結んで解くが結解(けっけ)。過ぎ去りし時を『紐』『解き』ましょう」

 その口調は、まるで物語を紡ぐ語り部のようだった。

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