矛盾の方程式(竹久々前提:竹←勘)
テク、テク、テク、
おれは板張りの廊下を歩きながら目的地を目指していた。抱えているのは課題の書かれたプリントが一枚とドキドキ高鳴って煩い心ノ臓が一つ。
おれは彼を捜していた。
「よお、」
「やあ、勘右衛門」
ふと、角を曲がった所で友人達にばったり出くわした。一人は気だるげにゆるく片手を上げ、一人は柔らかな笑みをしながら。
「雷蔵、三郎。」
同じ顔をしていても随分違うものだとおれは思う。
「こんな所で会うなんて奇遇だね。課題を出しに行く途中かい?」
「いや、これは今からやりに行く分なんだ。」
「そっか。僕達はこれからお茶にしようと思って部屋に行くんだけど、勘右衛門ももし課題が早く終わったらおいでよ。」
「有り難う。」
饅頭を手にしながら雷蔵は楽しそうに笑う。おれもそれにつられながら小さく笑った。雷蔵といるとふわりとあたたかい気持ちになれる。何と不思議な奴だろう。
「ふうん、…課題ねえ」
そんなおれ達をちろ、と見て三郎は反した複雑な表情を見せる。やはり三郎にはお見通しのようだった。おれは困った風な顔で言葉を返す。
「ああ、課題さ」
「彼奴の得意分野の…ね」
「うん、」
「お前も懲りないな」
「あはは、これでも真面目が取り柄の『い組』だから」
「そうか、…そうだな」
三郎は、おれの気持ちを唯一知っている人物。
ただ、味方でもなければ敵でもない。こうして気紛れに言葉を濁し、色の無い瞳でおれを視るだけ。(きっとこれが彼の出来る精一杯の優しさだと、おれは知っているんだ。)
「………先刻、いつもの所で見たよ。」
三郎は告げ、おれの横をすり抜けるようにして抜けていった。彼はさあ行こうと雷蔵を促し肩を抱く。
「早くお行き。」
最後に、おれにだけ聞こえるよう落とされた言ノ葉に目を伏せて感謝したのだった。
++++++
(、いた。)
おれは彼の言っていた場所に辿り着き目的の人物を見つけた。しゃがみ込んだ後ろ姿は、どうやら柵で隔てられている生き物に餌をやっている最中らしい。小屋の中からはいくつかの音がしていた。
(中にいるのは、兎かな、)
どうやら彼は此方に気付いていない様だった。忍の卵としてそれは如何なものかと思うけれど、今の彼にはそれで良いとおれは思っている。
(…八左ヱ門、)
気付かれないその後ろで、おれは胸に当てた左の掌をギュッと小さく握り締める。
(届けばいいのに、届いてほしいのに。)
苦しくて仕方がなかった。
悔しくて仕方がなかった。
その自分より広い背中もあたたかい腕も優しい笑顔も『特別』なのはおれじゃない。
「兵助と恋仲になったんだ」
先日聞かされた言葉。彼にしてみれば仲の良い『友人』への報告。幸せそうにはにかんだ、何て優しくも残酷な言葉。
本当はその笑顔が欲しかった。おれに恋しておれを愛して欲しかった。
罪な人、愛しい人、大好きなのに、ねえ、八左ヱ門
声に出して叫べたらどんなにいいだろう
もしかしたら、届いて伝わるかもしれないじゃない?
そうしたら、八左ヱ門、君はどうするの?
「勘右衛門?」
((え?))
目の前にあらわれたのはさっきまで後ろ姿であった八左ヱ門の顔だった。眉根を寄せて少し不機嫌そうな表情。それはおれを驚かせるには充分過ぎた。
「お前、どうしたんだ」
「な、んで、?」
「嫌な事でもあったのか?」
「は、ち」
「なあ、泣かんでくれよ、」
そうして八左ヱ門が強くおれを抱き締めた。彼の言うようにおれの頬には冷たい感触があったが、それよりも今は、欲しくて欲しくて仕方の無かった腕が例え一時でも彼奴のモノからおれだけのモノになるなんて(嘘、みたい…!)信じられなくて胸が熱くなるばかり。
「はち、ざっ」
「俺で力になれるなら何だってしてやるから。」
おれは気付けば夢中で彼にしがみついていた。八左ヱ門が言っていたようにみっともなくも涙を沢山溢し、大好きな大好きな彼の胸に顔を埋めて握り締めた装束に形を残してゆく。
「おれ、おれ…!」
八左ヱ門が、すきだよ。
とっくの昔に手放して土で汚れた課題のプリントは只の口実に過ぎなかったのだ。本当は八左ヱ門の側に少しでも居たかっただけ。おれの我儘なだけ。だけれど、こうして偶然にでも必然にでもおれに触れてくれたのならそれはおれのストッパーを無くすには充分。
ぶちまけて、散っても、もういい――――!
「八左ヱ門が、す「だって俺達、友達だろ!」」
俺の声を奪ったのは質の悪いしかし一番大好きな声色だった。おれは、目の前が青黒く沈んでいくのを心で感じる。
「俺、勘右衛門の事好きだしさ。こういう風にお前に泣いて欲しくないんだよ。」
身体が妙に重苦しくて息を忘れそうになった。同時に、八左ヱ門の言葉が一つ、また一つとおれの中に落ちてくる。
「だから泣かんでくれ、勘右衛門。」
何も知らない人、バカな人、おれの愛しい八左ヱ門。そんな風に心配の色をした優しい瞳で、真っ直ぐおれを見るなんて。
本当に、とんでもなく酷い人だとおれは思う。
(嗚呼、だけど、だから)
おれはそんな八左ヱ門が好きなんだ。
「何でも、ないんだ。有り難う、八左ヱ門。」
そうしておれは今出来る一番の笑みを彼に捧げるのだった。
矛盾の方程式
(矛盾だらけの可笑しな解答式)
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