ウミとリク
幸せの定義
大好きなカレーなのに味がしない。
もちろんオバちゃんの手抜きとかではなく俺の気持ちの問題である。
無言の時間が辛い。なにか話さないと、なんていつもは考えもしないのに頭がそれで一杯になる。
「羽実、実はさ...」
「は、え?なに?」
理久が先に口を開いたのでビックリしてスプーンを落としそうになった。
「あ、いや...たまには食堂で食べるってうのもいいよな」
「あ、うん。そうだね。家のカレーみたいに変なもん入ってないしな」
「はあ?羽実の家のカレーってなんか変なもん入ってたっけ?」
「母さんがさ、色々試すんだよな...俺と父さん限定で。理久が食べに来る時はちゃんとしたやつ作るんだけどさ、こないだなんて冷蔵庫の掃除と称してホッケにチクワにキュウリだろ、あとは...」
「もうそのカレーの事は忘れよう。今を大事にしろ」
同情の眼差しを向けられ、オバちゃん特製カレーをもっと食え、と勧められた。
「そういえばこないだ進路調査の紙貰っただろ?理久は大学もう決めた?」
「ん?あーあれなぁ...まだ悩んでる。羽実は決めたの?」
「一応いくつか絞ったけど、第一志望は厳しいなぁ」
「もしかしてS大?」
「...うん。ダメもとで受けるつもりではいるんだけどな」
何しろレベルが高い上に家から通えないからお金も掛かる。受けるだけ受けたらって父さんも母さんも言ってくれているけど、一人っ子とはいえ家計も厳しい。
「そっか、あそこだったら家出なきゃダメだしなぁ」
「理久は家から通えるとこ受けるの?」
通おうと思えば通える範囲に幾つか大学はあるものの、理久が受けるには少しレベルが低いと思う。
「まだ悩んでる。うちもちょっと今大変でさ...」
「え?何かあった?さっき話しかけて止めたのって...」
その時急に食堂がガヤガヤしだした。昼休みの終わりが近づいてきたのだろう。
「またゆっくり話すよ。とりあえずメシ食っちゃおう」
まだ半分近く残っているカレーを指して理久が言う。俺もそうだな、と駆け込んだ。
結局最後までちゃんと味が分からなかった。オバちゃんごめんね。
「じゃあ放課後なー」
「おー!後でな」
渡り廊下の入口でそう言うと理久は振り返ることなく行ってしまった。
「ウミ、今生の別れじゃないんだからさ」
ぽん、と肩に手を置かれる。
「まじうるさいよバカナベ」
「ひどいー!でもちょっとワタナベに近付いたね〜」
「お前どんだけポジティブなんだよ」
ある意味羨ましく思う。
「ポジティブかなぁ?これくらいしなきゃ俺の存在なんて興味すらないでしょウミは」
ちょっと寂しそうに笑う。
「んなことないよバカ。お前がいいヤツなのは去年からずっと知ってるし。あ、話変わるけどさ、ナベは大学行くのか?」
ん?と斜め上を見上げる。
するとそこには俯いたナベがいて、サラリと少し癖のある茶髪が顔を隠していたが、少しだけ見える耳は真っ赤に染まっていた。
「ナベ?」
パッと天を仰ぐと右手で髪を掻き上げるナベ。それから気合を入れる様に自分の頬を両手でパチンと叩いた。
「っ!ウミのたらし!チューしたくなったの耐えるの大変なんだからね!我慢した俺を褒めて〜」
ふざけた口調で言うので、なんとなくそれがナベなりの照れ隠しなのが分かってしまった。
「なんかナベってかわいいのな」
「ったく、ホントにチューするよ?」
ナベの気合を入れた頬っぺたを引っ張ってやる。
「できないくせに。ばーか」
先に教室の方へ歩き出す。
できないくせに。
それは俺自身のことだ。
何にもできないくせに、関係を壊すのが怖いくせに。口に出して今のポジションを無くすのが死ぬほど怖くて何にもできない。
弱いなぁ俺。
そんな風に誰もいない廊下をペタペタと歩いていると、階段の踊り場でナベが追いついてきた。
壁に俺を持たれさせると、正面に立って伸ばした両手で俺を壁に閉じ込めた。
「ねぇウミ、俺は弱い」
「好きな人に好きって言えるナベは強いよ」
「好きって言ってるだけで、捕まえられないもん。俺はこうやってウミを腕に閉じ込める事すらできない」
「そうしようとしないからでしょ。ナベは優しいから」
「優しさに甘えてもらえなきゃ、それは弱さでしかないんだよ。強引に奪って閉じ込めてしまいたいのに...それすら怖くてできない」
あぁ、ナベは俺と似ているのかもしれない。
好きなのに、好きだから、強引になれない。
「本当に、俺にしときなよ。いつか、どうしようもなく辛くなった時でいいから。あーナベでもいいかもって思ったらその時は...」
真っ直ぐに俺を映す瞳は切実で、本気なんだって伝わってくる。
でも、本気だからこそ、そんな気持ちが分かるからこそ応えられない。
「ナベ、そんなんじゃ幸せになれないよ?」
「俺の幸せは俺が決めるの。だから、ずっと待ってるから」
チャイムが遠くで響いた。
ナベは俺を閉じ込めていた籠の扉をいとも簡単に開く。
バカだな、そんな簡単に逃がしちゃダメだ。
でもやっぱりナベは優しいから、これでもかってくらい拳を握りしめて我慢するんだね。
それを分かっているのに、俺は狡い。
でも狡いから、待つのをやめろとは言わないんだ。
もし俺がそう言われたら、思う事すら否定されたら生きていけないから。
否定は新しい一歩を踏み出すきっかけになるのかもしれない。
でも、弱い僕等にはそのきっかけを与えられることが怖くて仕方ないから。
「ほら早く、授業始まるよ」
「おー」
隣に並ぶナベはもういつもと同じように見えた。無理にそう振舞っているだけなのだと分かっているけど、気付かないフリをした。
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