sweet temptation like a box of chocolate<甘い誘惑>
10
「水無瀬くん事件です」
「何があったんですか、吉岡くん」
放課後の教室に残されたのは、真剣な顔で向かい合った俺たち二人だけだった。
真剣な、のくだりは嘘ですごめんなさい。
「何故か明日から緒方様の店でバイトしなければならないんだ、水無瀬くん」
「ふむ。それはまたなんの冗談だい、吉岡くん」
バン!と俺と水無瀬の間にある机を叩く。
「それが冗談じゃないから事件なんだよ、水無瀬くん」
「なんと!それは確かに事件だ、しかし落ち着きたまえ吉岡くん」
「...落ち着いてられないよぉ、みーたん」
がっくり肩を落とす俺。
「何でそうなったか知らんが、俺には羨ましいけどな」
そういえば水無瀬は隠れ緒方ファンだった。
「あの人、本当は鬼なんだよ!しかもかなりの俺様だし、恐ろしい...」
「たった一日で何でそこまで知ってんだ?いつの間にか仲良くなってんなぁ」
「いや、怪我させちゃったし仲がいいとかじゃないと思うけど」
「ふーん、でもそう嫌な事ばっかりでもないだろう」
「まぁ。なんかオリエントホテルのシェフも常連らしいし、色々勉強にはなりそうだな」
「うん。それにさ、『le souvenir』ももしかしたらまた食べられる機会があるかもよ」
「え、でも店には出てないんだろ?」
「そうだけど、たまに自分の為に作ったり、頼まれて作ったりするかもしれないじゃないか」
「なるほど。機会が巡ってくるかもしれないか」
「何より、そこで働きたくても採用されない人間は山ほどいるんだから、働けるだけでもラッキーだよな」
「そんなに難しいの?」
「うん。バイトとか、見習いで超安月給とかいうならいけるかもしれないけど、正社員で採用されるのは凄く大変だって聞いたことあるよ」
「そうなんだ」
「それでも皆、あの人と働きたいって思うんだろ」
「そっか...」
せっかくのチャンスを活かさなきゃダメだよな。鬼でもなんでも、勉強させてもらう気持ちで頑張ろう。
「俺、頑張るわ」
「おう、頑張れ!」
教室を出るともう日が傾いていた。
バイク通学には風が気持ちいい季節だけど、日が暮れると急に冷え込む。暗くならないうちに愛車のモンキーをかっ飛ばして帰ることにする。
学校を出てしばらく走ると河川敷に出る。夕暮れには川面がキラキラ光って綺麗なので、よくこの道を通って帰るのだ。
「ふんふんふふーん」
田舎だからこそ鼻歌を歌いながら河川敷を走ったって人目につかないんだよね。前に全力でアニソンを歌いながら帰ってた時は子供に「へたくそー」ってけなされたけどね。
俺と同じで小柄なモンキーは、スピードを出せないのでいくら気持ちが焦っていたって時速30kmだし、二段階右折しなきゃダメだしメリット少なくない?って言われるけど、俺にしたら可愛いあの子がちょっとわがままで病弱だったって程度のもんだ。
なんていうの?それも含めてまた可愛い的な?
手を掛けただけ愛情が返ってくるなんて思っちゃいない。一方通行でも愛しいものは愛しいのよ。
だからカスタムにお金掛けちゃって、俺の小遣いはほとんどこの子に貢いでる。
ゆっくりゆっくり河川敷を走る。
家が田舎にあるっていうのは、多くの若者にとっては嫌なもんだと思う。でも田舎生まれの田舎育ちの俺にとって自然はやっぱり落ち着くし、無い生活って考えられない。
尊さんが何でわざわざこんな街にお店を出したのかは知らないけど、もしかして俺と同じようにこの地元が好きだからなのかな。
だとしたらちょっと、こんな田舎でも誇らしい気がしてくる。
マイペースに走り過ぎたのか、家に着く頃には夕日はどっぷり暮れていた。
通学に一時間かかるのはやっぱり大変だ。
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