月明りで照らして
8
「ゆう...苦しい」
「これくらいしないと大人しくしてくれないだろ?」
「わかったから、ちょっとだけ緩めて」
そう言うと心地よい強さで優しく包まれた。顔を横に向けて胸に乗せると規則的な音が聴こえる。
「ねぇ、つむぎ」
「うん?」
「俺たち一年経ったら、また離れて暮らさなきゃいけなくなるよね」
「うん...」
「追いかけても追いかけても、たった二歳の差がどうしても埋まらなくて歯がゆいんだ。いつだってつむぎは俺より先に卒業していって、先に大人になってく」
「うん」
「高校まではまだいい。追いかけた先に当たり前にいてまたしばらくは一緒にいられたから.....でもこれから先は?高校を卒業したらどうなる?」
「雄大...」
そっと大きな手が髪に触れる。
見上げても雄大の表情は見えない。でもきっと『一人はもう嫌だ』と寂しそうに言ったあの時と同じ顔をしているんだろうか。
今にも俺の目の前から消えて無くなってしまいそうな、そんな顔を。
「ねぇつむぎ、俺の部屋に来てくれないか?」
「.....な、なに?どういう意味?」
「卒業までの残りの時間を出来るだけ俺と一緒にいてくれないかな?一緒に起きて、一緒にご飯食べて、他愛もないことを話して...この歳になってこんなのおかしいかな?馬鹿げてるかな?」
まるでプロポーズのような、そんな甘い誘いを兄にしてるのだから、そりゃおかしいだろう。
でも頭を撫でるその手が微かに震えているような気がするのは、たぶん気のせいなんかじゃない。雄大の前から姿を消した期間は、こんな願いを言ってくるほどに不安を与えていたらしい。
「...せっかく生徒会の権限で大きな一人部屋使えてるのに、わざわざ兄弟で一緒に住むなんて、周りから見たらそりゃ馬鹿げてると思うだろうね」
「俺は馬鹿だし、我儘だからね」
「俺が雄大のお願い断れないの知ってて言ってるだろ」
「だから滅多に我儘言わないようにしてるだろ?古賀先輩は俺が説得するからさ、ダメかな?」
「でも、俺はごはん作る事も掃除すらまともにできないし...メリットないと思うけど」
これは謙遜ではなく本当にそうなのだ。悟は普段から俺を甘やかして家事を全てやってくれていて、俺が任されるのは食後の洗い物くらいなのだ。
「別にそういうの求めてないから」
「せっかく一人部屋なのに。負担が増えるだけだよ?」
「負担じゃないよ。帰ったらつむぎがいるって思ったら頑張れる」
「...奥さんじゃないんだから」
「うちのお嫁さんになる?」
「ばか」
「結構本気なんだけど」
「じゃあ本気で馬鹿だ」
顎を胸に乗せて雄大の方を見る。困ったように笑う雄大と目があった。
「つむぎと住むために生徒会に入ったようなもんだもん。ねぇお願い」
「動機が不純な生徒会長だな」
「それ相応の仕事してるからいいの」
「ふーん」
「で、俺のお願いは聞いてもらえるの?」
こういう時だけ弟キャラを全面に押し出してくるのはズルいと思う。
「そもそもそんな個人的な願いがまかり通るとは思えないんだけど」
「それは学校が許せばいいよってことだよね?」
「うーん、そりゃまあそうだけど...」
「やった!」
「や、無理だろう。っ、苦しいってば、まだ決まったわけじゃないって」
また力一杯抱きしめてくるので息ができなくて胸板をドンドンと叩くと「ごめん、嬉しくて」と頭を掻いた。
こういう仕草は普段と違って子供っぽいのに、なんだかドキっとしてしまった。
機嫌が良くなった雄大は俺を解放すると芝生に寝転がったまま自分の左手を真っ直ぐ横に伸ばして「どうぞ」と言った。
どうやら腕枕らしい。
「雄大はいい彼氏になりそうだよな」
いつか可愛い彼女がそこで眠るんだろうか。そう思うとちょっと悲しい気もする。
まだ誰のものでもないこの場所を、今だけは俺が占領しても許されるだろうか。
遠慮がちに寝転ぶと空が眩しい。
「いい天気...」
眩しさに耐えきれず右に寝返りを打ったら、そこには眉尻の下がった悲しいような、困ったような顔があった。
「ここはずっとつむぎ専用だから」
「...やっぱり馬鹿だ」
いつも欲しい言葉は悔しいくらい欲しいタイミングで与えられる。なんだか泣きそうになった。
「好きだよ、つむぎ」
「ん、俺も大好きだよ?」
はぁ、とため息を吐くと呆れた顔で「あのさ...」と続ける。が、その時ポケットがブブ、と震えた。
「あ、増田先生だ」
ガバッと起き上がって電話に出る。
「そうですか、はい。じゃあ今中庭なので五分くらいで行きます」
電話を切ってポケットに戻すと雄大が「もう時間?」と聞いてきた。
「うん、もう部屋に戻ったらしいから急がないと。また終わったら連絡するね」
「いや、俺も一緒に行く」
そう言うと先に立ち上がり手を差し伸べてくる。
「え、いいよ。長くなるかもしれないし」
「一緒に話し聞くから大丈夫」
いや、それは全然大丈夫じゃないんですけど、なんて言えない。なんとか断ろうとしたものの、俺の腕を引いて先に進むものだからそれもできなかった。
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