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苦界の躾
縛る
錦は地下室に戻ってくると、服を整えてしまった。それを、アイは床に座って見詰めていた。
地下室には空調が入っているようで裸で居てもそれほど寒くはない。錦が渡してくれたタオルケットに包まっていると、ちょうど落ち着く暖かさだった。

「……まだ時間があるね。アイ、少し遊ぼうか」

遊ぶという言葉に、アイはじゃんけんとかしりとりとかそういったたぐいの遊びを思い浮かべたのだが、この場にはあまりにも不似合いな気がした。
錦はアイに微笑みかけると、何でも入っているダンボール箱を覗いた。目当てのものがあったらしく、手を突っ込んで引っ張り出す。

「……それ……?」

ダンボール箱から出てきたものに、アイは顔を引きつらせた。錦が手に取ったものは、少し太めの麻縄だった。

「この縄あんまり使い込んでないなぁ……」

小さくまとまっていた縄を解きながらそんなことを呟く。先ほどはあんなに優しかったが、この人は自分を調教する目的でここに来ていたんだと、アイは再認識した。

「怖い?」

薄笑いを浮かべた錦の言葉にうんと頷く。

「大丈夫。縄が荒いから少しちくちくするくらいでね」

おいで、と手を差し延べられアイは条件反射でその手をとってしまった。
アイを立ち上がらせると、錦は数歩下がってアイの体を眺めた。肌が白いので、麻縄でも映える。邪道だが赤や黒でも似合うだろう。そんなことを考えながらアイの後ろに回る。

「手は自由にならないほうがいいよね」

呟きながら、錦はアイの両手首を腰の辺りで合わせて縄で固定し始めた。言ったとおり縄はあまり使い込まれていないらしく硬い毛羽が肌に当たって痛かった。

「痛い?」

機嫌良さそうな声でそう聞いてきたが、アイが頷いてもやめようとはしない。すごい手際の良さで縛り上げていく。
あっという間に、上半身はがっちり縄で固められていた。

「縛ってること自体は痛くないと思うけど、どうかな?」

言われてみると縄がチクチクするだけで締め付けられるような痛みはない。何となく、アイは安心した。

「縄がないから、これだけか……」

錦が残念そうに言った。それを聞いたアイは、ホッとしていたが。

「この部屋吊れるからなぁ。もっと縄があれば海老攻めか逆海老で遊ぶんだけどな……」
「エビ?」

錦は天井を見ながら言った。アイが聞きなれない言葉に首を傾げると、錦は笑った。

「今度やってあげる」

なんだか怖そうなのであまりやって欲しくない。そう思ったが黙っておいた。
縛り上げたアイを座らせた所で、背広のポケットから振動音が聞こえてきた。軽くため息を吐き、ちょっとごめんねと言うと、錦は部屋を出て行った。
1階で店番をしていた駒形に、ドアが閉まる音が聞こえてきた。何か用だろうかと階段の方に行くと、錦の声が聞こえてきた。また電話がきたのだろう。忙しい人だな、と思いつつ店に戻る。
レジ側に置いた椅子に座っていると、階段を登ってくる足音が聞こえた。

「駒形君。……翁は何時ごろ来るかな?」

店の中を覗きながら言った錦の声は、なんだか弱気な声だった。

「7時前には、来るんじゃないですか。」

駒形の答えに、錦は俯いてため息を吐いた。

「……また来るよ。アイを、よろしくね」
「すっかり自分のものみたいですね」

からかうように言うと、錦は顔をあげて目を見開いた。そして、自嘲気味に笑う。

「本当だね。……ありがとう駒形君」

アイの前ならそれでいいが、他の人間の前、特に翁の前でこれではまずい。
錦は微妙な笑顔のまま、階段を下りて行った。

アイは地下室に一人で寝転がっていた。電話が来て出て行った錦は、戻ってきたかと思うとまたどこかへ行ってしまった。錦が出してくれたタオルケットに寝転びながら、あと何時間一人でいなければならないのだろうかと考えた。しかしこの部屋に時計はない。時間という概念にとらわれていたら気がおかしくなりそうだった。
今はすごく淋しいが、さっきまではすごく幸せだった。

「御彦さん……」

呟くと、錦に抱き締められた温もりがよみがえった。その温もりが思い出せるうちに、目を瞑って眠ることにした。
アイが眠りに落ちかけた時、部屋のドアが開いた。

「……なんだ?」

錦かもしれないと飛び起きたアイに、駒形が不思議そうに尋ねた。駒形だとわかると、アイはつまらなさそうにまた寝転がった。

「錦さんならしばらく戻ってこないぞ。……あの人なにも言わないで出て行ったのか?」

アイが飛び起きた理由に気づいた駒形はため息混じりに言う。お互い夢中になるのもいいが、ここにいる限りは完全に二人きりにはなれないことを忘れてもらっては困る。

「それにしても見事に縛られてるな」

駒形の記憶だと7mの麻縄が一本だけしかなかったはずだが、後ろ手にして菱まで作ってある。始末も綺麗だ。

「さすが錦さんだな……。その様子だと、全然苦しくないだろ?」

飛び起きられるほどなのだからかなり余裕があるのだろう。しかし、慣れていない縄のせいか毛羽がチクチクしそうだ。

「近頃は簡単な拘束具が結構いろいろあるからな。そんなことができるのは錦さんくらいだろ」

錦の名前が出たせいかアイが顔を上げた。確かにかなり手際が良かったし、締め加減もきつ過ぎなくて快適だ。

「……得意なんだ」

縛られている自分の胸を嬉しそうに微笑んで眺めているアイを見て、駒形はため息を吐いた。
きっと落合が見たら不愉快な顔になるだろう。錦の施す緊縛はある種の芸術だとも言える。何かと錦を敵視しがちな落合なら、それを施したままおいておいたことを、ひねくれてなにかのメッセージと受け取るかもしれない。駒形は今夜の事が少し不安になってしまった。

「ちょっと様子を見に来ただけだ」

そう言って出て行こうとしたが、駒形は立ち止まった。

「……疲れてるみたいだな。少し寝てろ」

ぶっきらぼうだが気遣う言葉に、アイは嬉しくて笑った。駒形のちょっと不器用そうな所がアイは好きだ。

「ありがとう……」

小さい声で言うと、駒形は小さく頷いて部屋を出て行った。
また独りきりになってしまったが、寝てごまかすことにした。

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