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苦界の躾
食事

裏の駐車場に車が入ってくる音が聞こえた。店内の掃除をしていた駒形は壁の時計を確認した。ちょうどお昼頃だ。そう言えば腹が減ったなと掃除用具を片付ける。面倒くさいのでインスタントにしようと心に決めて店部分から出ると、錦が鍵を開けておいた裏口から入ってきた。

「こんにちは、駒形君」

さわやかな笑顔で言った錦だが、その笑顔には少し疲れが滲んでいた。

「駒形君、お昼は食べた?」
「いえ……」

駒形は首を振って応える。すると、錦が持っていた紙袋から高級そうな弁当をひとつ出した。

「いつもお世話になっているから、差し入れ」

受け取ってみたが困惑を隠せない。

「なんて、職場で余っていたやつを黙って頂いてきたんだけどね。食べて」
「ありがとうございます」

こんな弁当が余る職場というのはどんなところなのか、駒形の想像力では全く思い浮かばなかった。とにかありがたく頂くことにする。
錦は、上機嫌に階段の方へ向かった。

「錦さん、鍵を……」

すでに二段ほど降りていた錦を呼びとめ、ポケットから鍵を出す。

「鍵をかけてあったんだね」

ありがとう、と微笑むと、錦は暗い地下に消えていった。
赤い電球がひとつしかない廊下は、いかにもという雰囲気をかもし出している。この中にかわいらしい子供部屋があったらそれはそれで面白いが、誰もこの廊下からそれを想像することはできないだろう。
鍵を開けて中に入ると、アイが脚を伸ばして座っていた。

「アイ」

ドアの方を向いていた彼は顔をあげる。入ってきたのが錦だと知ると、アイの顔はパッと明るくなった。

「いい格好してるね。駒形君がやってくれたのかい?」

後ろ手に鍵を閉めてから近づいてきた錦は、首輪に繋がっている鎖を揺らした。ジャラジャラという音に、自分が拘束されていることを意識させられて、アイは背筋がビリビリした。何となく座りなおして、正座する。
首輪で繋がれている姿を見て、錦はちょっとした悪戯を思いついた。アイの側に座り、弁当を出す。

「お腹減っただろう、アイ。ご飯を食べさせてあげる」

目の前に出された弁当箱があまりに高級そうで、アイはきょとんとした。白いスチロールの弁当箱でもない。仕出し弁当と言うやつか。

「この中で、食べたいものはある?」

蓋を開けるとおいしそうな匂いがした。相当な時間何も食べていなかったのを思い出し、唾を飲み込む。弁当は、量こそ多くはないが一品一品が綺麗に整えられていて、どれもおいしそうだ。

「これは?」

どう見てもハンバーグなのだが、和食中心の弁当全体を見ると何となくそれを否定したくなる。

「いわしのハンバーグかな。食べてみる?」

錦はアイが返事をしないうちに、箸でハンバーグを取ってひっくり返した蓋に移した。

「他には?」

促されて、とりあえず目を引かれたものを取ってもらった。おかずと少々のご飯を蓋に並べてもらい、アイはいい気分でそれを眺めた。弁当を誰かと分けて食べるなんて、小学校の運動会以来だ。

「どうぞ」

てっきり腕の拘束を解いてもらえるのかと思っていたが、錦はアイの前にその蓋を置いただけだった。アイは困惑しているが、錦はそんな彼の隣で、残った弁当を食べ始めている。

「どうしたの?食べなさい」
「だって……」
「そんな格好しているから、今日は犬の気持ちにでもなってるのかと思って」

そう言った錦は、楽しそうな笑みを浮かべた。アイには少し残忍に見えた。

「もう少し離して置いたほうが食べやすい?」

錦が蓋をアイから離す。確かにそのほうが食べやすいが、こんな食べ方をしたくはない。

「僕が食べちゃうよ。早く食べなさい」

なかなか食べようとしないアイの頭を掴んで蓋の上に顔を押し付ける。アイの顔を押し付けられて、ご飯とおかずが少し潰れてしまった。

「食べなさい」

錦の酷く冷たい声が、後ろから聞こえてきた。アイは背中がゾクゾクするのを感じながら、小さな声でいただきますを言うと、潰れてしまったご飯を食べ始めた。
もっと抵抗するかと思っていたが、意外とすんなりと食べ始めたアイを見て、錦は嬉しそうに下唇を噛んでいた。昨夜の自分が変態だという話だって、もっと抵抗してくれてもよかった。あまりすんなりと受け入れてくれるようでは、これから先の楽しみが減ってしまうような気もする。落合や翁はきっと不満がるだろう。2人は激しく抵抗している相手を強引にねじ伏せるのが趣味のようだから。錦は少し違うが、それでも抵抗された方が興奮する。あんまり気を許してもらうのも考えものだ。
食べ終わったアイに、蓋を舐めて綺麗にするように言う。錦は立ち上がって部屋の隅にある水道に向かった。手を洗うついでに、ポケットからハンカチを出してそれを絞る。濡れたハンカチを持ってアイの元に返ると、彼は蓋を綺麗に舐め尽くしていた。

「イイコだ。顔を綺麗にしてあげるよ」

顔についたご飯粒やおかずのタレなどを指ですくって、アイに舐めさせる。指を突き出されたとき少しばかりためらったが、アイはすぐに受け入れた。その素直さに物足りなさを感じたが仕方ない。仕上げに顔をハンカチで拭いてやって、錦は弁当箱を片付けた。
楽しみは減るが、抵抗しないのは楽でいい。それにしても抵抗しなさ過ぎる。

「アイ、お弁当はおいしかったかい?」
「……はい。ごちそうさまでした」

背後から抱え込み耳元で囁くと、アイは絞り出すような声で言った。そういう躾はちゃんとされているみたいだ。
拘束したまま置いておくのも悪くはなかったが、錦はそれを解いてやった。

「……?」

髪の毛を撫でながら背中を眺めていると、何本か傷があることに気づいた。昨日は気がつかなかったが、大きな傷だ。そのうちのひとつを指でなぞりながら、くすぐったさに背中を丸めたアイに囁く。
首の付け根から肩甲骨あたりまで続く傷だ。昨日は興奮していたせいで気がつかなかった。
左半身のちょうど腎臓を摘出するときに切る辺りにもある。
右肩の辺りから肩甲骨を過ぎてウエストの辺りまで届いている傷が、一番長くて新しい。
アイは目を瞑って、錦が触っている背中に意識を集中させた。

「……アイ、今日は何をしようか」

これらの傷について聞きたい気持ちもあったが、錦はアイの口から自身のことを話させるのはやめることにした。
特に触れられず、アイはホッとした。それに、アイと呼んでくれたので、何となく嬉しかった。アイなんて女の子みたいな名前だが、錦にはそう呼んで欲しい。

「夜になれば翁も落合も来るだろうな。それまでは、2人きりだから、僕が好き勝手してもいいのかな?」

色の白い背中を引っ掻くようにすると、アイが身震いする。何も言わないので、好き勝手してもいいということだなと解釈して、錦は手のひらを背中に押し付けた。背中は叩くと呼吸困難になる場合もあるので、叩いてみたかったがやめた。それに、叩くのなら、引き締まった尻の方がそそる。

「ん……ぐっ……」

背中を押され前かがみになり、苦しくなってきたらしい。アイが苦しそうに喘いだ所で手を離した。

「アイは色白だね。綺麗だ。家に飾っておきたいよ」

目を瞑って呼吸を整えているアイを後ろから抱き締める。少し苦しい思いをさせてやろうと思ったが、白い肩が上下するのを見ていたらそんな気持ちは失せてしまった。

「こっちを向いて」

強引に自分の方に体を回転させると、コンクリートの床に肌が擦れて痛かったようで、アイは眉を寄せた。

「ごめん、脚が擦れた?痛かったんだね。ごめんね……」

何度もごめんと謝りながら、錦はアイを抱き締め、頬擦りをした。そうしながら、どうしてこんなことをしているのだろうと思う。普通なら、この相手を抱き締めたりはしない。まして謝ったりなど絶対にしない。
今日のところは、感情に身を任せてみることにした。

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あきゅろす。
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