苦界の躾
休憩4
アイが目を覚ましたのは翌日の午後だった。駒形は何度か様子を見に来ていたが、起こしてしまったら悪いなと服を脱がせないでいた。だからアイはまだ袖のないコートを着込んでいた。
体が汗ばんでいて、皮の感触が気持ち悪い。脱ぎたくて、とりあえず起き上がろうとしたが、体が思うように動いてくれなかった。仕方なく床を這ってドアの方へ移動する。鍵が開いていたら駒形のところに行くつもりだった。
よろよろと立ち上がり、肘の出っ張りでノブを回すと、鍵は開いているようだった。少しだけ開いたドアの隙間に脚を挟み、滑るようにドアの外に出た。フラフラしながら階段を上がっていくと、階段のすぐ側の部屋のドアから駒形が出てきた。
「どうした?出られたのか?」
アイが階段を上がってくるのを待って、駒形はコートのファスナーを下ろしてやった。
ただ一つ汗を吸ってくれそうだったカットソーがない。コートを脱がせてやって初めて気づき、駒形は脱がせないでおいたことを後悔した。しかも、コートに腕を固定されていたせいで関節が固まっているのか腕組みを解こうとしない。
「体を洗ってやるよ」
寝起きでまだぼんやりとしているアイの背中を押してバスルームへ促す。バスルームでボトムも下ろすと、バイブは付いていなかった。それには安心したが、汗や精液のせいで蒸れたのか、腿や尻はかぶれていた。先日の傷もあって、相当痛そうに見える。
「……悪い。脱がせてやればよかったな」
本当に申し訳なさそうに駒形は言った。アイはそれを聞いて首を振った。アイとしてはあれからそう長い時間が経っているとは思っていなかったし、かぶれている痛みや痒みは感じていない。腕が動かないのだけは分かっていたが、それもすぐに動くだろうと楽観的に考えていた。
駒形が丁寧に体を洗ってくれるのが心地よかった。やわらかく温かい泡に包まれると、アイは心底ホッとした。
ぼんやりしているうちにすみずみまで洗ってくれたらしく、アイはいい気分でありがとうと呟いていた。
体を拭いてバスルームを出ると、駒形は地下室に向かおうとして立ち止まった。
「そうだ、何か食べるか?お前……」
丸二日もなにも食べていないじゃないか、と言おうとしたが、その前にアイが首を振ったのでそれは遮られた。
「いいのか?」
駒形の問いに深くゆっくりと頷き、アイは自ら地下室への階段の方に歩いて行った。肩からかけたバスタオルが淋しげに揺れていた。
拒絶されたような気がして、駒形はアイについて行くことができなかった。
それから、駒形はずっと店番をしていた。それが仕事なのだが明るいうちは客など全く来ない。それでもたまに明るいうちにやってくる物好きな客のために開けているのだ。どうせ今日は平日だから来ないだろうとタカを括って、駒形は日が暮れるまで暇つぶしにテトリスをやっていた。
アイの様子を見に行ってもよかったが何となくそれはできなかった。なまじ顔が綺麗なだけに、少しでも気落ちした表情をされるとすごく脆いものに見えてしまう。特に今日は、少しでも刺激したら壊れてしまうような印象があった。
外が完全に暗くなると、店のドアが開いた。こんばんはという声がして、アルバイトが入ってきた。駒形は店番を任せて、とりあえず地下に行ってみることにした。
階段を下りて、ドアの前で立ち止まる。ノブに手をかけたのだが、躊躇してしまう。
少しの逡巡の末にドアを開けて中に入ると、アイの姿が見えなかった。慌てて照明を強くする。
アイは部屋の隅で丸まっていた。頭から毛布をかぶり、顔は見えない。
「おい、」
声をかけると、少しだけ顔を出した。駒形の声だったので安心したのだ。もぞもぞと動いて立ち上がり毛布を引きずって駒形の側まできた。
「駒形さん」
アイは駒形の胸に顔を押し付けた。
「女の股にブチ込みてぇだなんて、もう、ムリ」
声が震えていた。駒形はどうしていいかわからず、とりあえず背中を擦ってやった。
「ずっとね、考えてたんだけど、オレ、されるほうが好きみたい」
「ん……?」
「女の人にされても、男の人にされても、気持ちいいんだもん」
昨日何があったのか駒形は知らない。何も言ってやることはできなかった。
悲鳴をあげるような裏返った声でごまかせないよと叫ぶと、アイは床に崩れた。駒形の脚にしがみついて、泣いている。
駒形に担ぎ上げられて、アイは長座布団の上に移動させられた。
「お前が何をされてきたのかは知らないが、何かしてやれることはあるか?」
毛布を整えながら駒形が言った言葉に、アイは安心した。この人はきっと味方だろうと、思えたからだった。
アイは答えずにごろんと横になった。
「男が女を犯さなくちゃならないって誰が決めたの?」
呟くような問いに、駒形は首を傾げる。
「自然な成り行きじゃないのか?でも、必ずしもそうというわけではないだろう」
「でも、男から女って言うのが、順方向なんでしょ?」
逆レイプという言葉を考えるとそうなる。駒形は頷いた。
「じゃあ、オレは女になるのかな?男を捨てたら、なぁに?」
「捨てられるのか?」
駒形の疑問に、アイは答えを見つけられなかった。
「……捨てられるのかな?捨てちゃいなさいって、言われたけど」
錦は男の癖にとかそういう言葉を使ってはいたが、結局アイのことを変態だと言うだけだった。男だけど変態だから、されて気持ちいいんだと。
「捨てられたとしても、捨てたら何になるのかはわからないな……」
結局二人揃って悩んでしまって、答えは出なかった。アイの収穫は、駒形は味方だと感じたことだけだったが、それで充分満たされていた。たった二日くらい錦が来なかっただけで、自分は孤立しているような気になっていたが、駒形が側にいてくれたことを確認できた。
[*前へ][次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!