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秋冬春夏(完結)
10
嫌な夢ばかり見る。

毎朝吐き気で目を覚ます。
キヨカズを起こさないように、明け方ソファで二度寝した。

とにかく体が汚れているような気がして何回もシャワーを浴びたり、歯を磨いたりした。

食欲もない。
なにか食べたらまた汚れるような気がする。

そんな日を繰り返しているうちに、挙げ句客先にまで心配される始末だった。

松田が心配して上司に言うし、上司には不要な気遣いをさせる。

こう言うなにもかもうまく行かない時の事を、なんと呼ぶんだったか。

ある日何かの用事で現れた他の部の同期が、久我の顔を見て笑った。

「ほんとに真っ青だな」

聞くと、女性社員のネットワーク内では目下の重要議題らしい。
久我は鼻で笑った。

「話題を提供できて嬉しいよ」

同期が呆れて肩を竦める。

「提供しすぎだろ」

同性愛疑惑といい、女性ネットワークは騒然だぞ。

小耳に挟んだところによると、どうやら再燃しているらしい。
自らそちらを選んだのだから文句はないが、それほど面白い話題とも思えない。

同期は首を傾げた久我の肩を、ぽんと叩いた。

「体は大事にしろよ」

なんとか頷いたが、吐き気がした。
誰かに触られるだけで、すぐ不安定になる。

近頃、電車に乗るのも嫌で、歩いて出勤している。
深呼吸をし、落ち着いてから隣の松田に呼び掛けた。

「このあと何かあったっけ」
「現場の打ち合わせが」

そうだったね。

帰ろうかとも思ったが、予定があるなら仕方ない。
手帳を見ると微妙な時間だったので、直帰を心に決めた。
司会の端を例の女性が横切った。
同性愛疑惑を振り撒くだけならまだしも、まだ、時おり声をかけてくる。
不調の原因はそれだと断定しても良かった。心底恨めしく思う。
出来るだけ見ないように、じっと資料を読んでいた。
電話の相手に声に元気がないと指摘されたときはさすがにショックだった。

キヨカズが、あえて触れずにいてくれていることだけが救いだった。
つくづく気の利く男だなと思う。

ぼんやりしているうちに、松田が時間を教えてくれた。
パソコンをシャットダウンして、席を立つ。
ホワイトボードに意思表示し、出ていく。

工事中の建築現場で打合せだった。
喧騒で気が紛れ、打ち合わせも苦にならなかった。
相手先に女性はいたが、半分寝ていたからか技術者なりの性別を忘れた雰囲気からか、目が合っても気にならない。
不思議だなと思っているうちに会議も終わった。
現場を出て、会社に戻るという松田を見送って、歩き出す。

家の近くまで歩いて時計を見た。もうキヨカズは店を開けている。
そちらにふらりと足が向かった。

「早いな」

まだアルバイトすら来ていない。
キヨカズは苦笑した。

「何か食べた?」
「食べた食べた」
「嘘つけ」

全力を振り絞った嘘を一蹴され、苦笑いする。

「じゃあこれ」

食べなさいと出されたのは、素焼きのクルミだった。

「酒は出しませんよ」
「わかりました」

酒の代わりに牛乳が出てきて、それをなめながらクルミをかじる。

「仕事は?」
「直帰してきた」

ワーカーホリック気味の純のことだから非常に珍しい。

「そのまま帰ろうかと思ったんだけど、会いたくなって」

素直に言うと、それはそれはと嬉しそうな声が聞こえた。
カウンター越しに目が合う。
開店の準備は整っているようで、キヨカズもすることはないようだ。
ただ、クルミをかじる純を見ていた。

「ホントに酷いな」
「そうかな」

はぐらかそうとしたがそれも無意味だ。

「そうだね」
と、言い直す。

「俺の純が弱ってるのを見ているのは非常に苦しいことだよ」

キヨカズはカウンターに身をのりだし、なんかあったの、と優しい声で聞いた。

「自分でもよく分からないんだ」

母親の夢を見るんだ。
恐ろしいよ。
話を聞いただけで恐ろしいと感じたのだから、本人は相当苦痛だったろう。

「上書きしようか?」

純があんまり弱っているので近頃抱いていなかった。
キヨカズの言葉の意味を考えてポカンとしていたが、やがて嬉しそうに笑った。

「ありがとう」
試してみてもいいかな。

そんな笑顔が久しぶりだったので、キヨカズも嬉しくなってしまった。

「明日は休むよ」

そう宣言して、純はどこかに電話を掛けた。

明日の休み代理で出しておいて。
どうやら会社にかけたらしい。

弱っていても変わらない周到さに感心する。仕事のできる男は違うな。
牛乳を飲み終わった純は立ち上がった。
開店してしばらく経つがまだ他の客は来ない。
純が財布を出したので、要らないよと止める。

「俺のおやつだから」

だからすぐに出てきたのか。純は甘えて財布をしまった。

「体を清めてお待ちしてます」

そんなことを言うので、興奮してきてしまった。

「あんまり刺激しないでくれ」

仕事にならない。

上機嫌に、純が店を出ていくのを見送った。

家に帰りついた純は、久しぶりに湯船にゆっくり浸かってみた。不思議と緊張が解れる。
キヨカズが帰ってくるまで、転がっていることにした。
思い付いて、最近聴く気にならなかった音楽を再生してみる。
ノリのいい曲だが、体の力がますます抜けた。

いい夢を見たいな。

そう思って音楽を止めた。耳に残るフレーズが、眠りにつくまで繰り返された。


キヨカズの店には石原と守山が来ていた。合コンだったらしい。
石原が久我はいないのかと聞くので、調子悪くて帰ったと伝えておく。
やがて客が少なくなって、石原が話しかけてきた。

「久我さんて音楽聴くんですか」

縁がなさそうな感じは否めない。
おそらく自分しか見たことのない光景を思い出し、思わず笑ってしまう。

「まあ、人並みに聴くんじゃないかな」

そう答えると守山が何か思い付いたのか、はいと挙手した。

「俺、当てます」

自信満々に言ったアーティストはズバリ正解だ。
いわゆるビジュアル系の元祖のようなバンドだ。

「それっぽいですもん」

正解した守山は満足そうだった。
言っていいのかなと少し悩んだが、あんまり面白いので教えたい気持ちが勝った。

「踊りながら歯を磨いてる」
「久我さんが?」

石原がキョトンとする。
踊る姿が想像できないのだろう。
そのバンドの曲の中でもノリのいい曲、しかも同じ曲を毎朝聴いているのだ。

「Just one more kissですか?」
「それじゃない」

じゃあ、と守山が次に言った曲が正解だった。おそらく守山も好きなのだろう。

「何でわかったの?」

久我とそれを繋ぐのは少々難題のような気がした。

「似てません?」
「あっちゃん?」

美男子で、スイッチ入ると表情の動かないところが。
そういう視点で見たことはなかったが、言われてみればわかる気がした。

「年取らないところも似てるね」

石原は黙って検索を始めた。

「ライブで観ると感化されるんだよね」
「行ったことあるんですか?」
「まあ、あの人に誘われて」

二人の会話の隙間に、石原が携帯を守山に見せてこれかと確認していた。
イヤホンまで取り出している。

「出掛ける前の儀式みたいなもんなのかな」

曲に合わせて跳ねている姿はなかなか滑稽だ。思い出すと笑える。

「踊る気持ちはよくわかります」
「毎朝やらなくてもいいと思うけどな」

曲の途中で石原が顔をあげて

「超かっこいいじゃないですか」

と目を輝かせた。

「この人ずっと真顔なんですか」

何考えてんのかな、似てるな、とぶつぶつ言いながら画面を見つめる姿が可愛らしい。
それを守山が嬉しそうに見ている。
再生が終わったのか石原が顔をあげた。

「カラオケ行ったりするんですか」

踊る姿も気になるが歌う姿も気になる。

その曲が発売されてそう間もない頃だったと思うが、高校の同級生の音頭で合コンが開かれたことがある。
そのとき、盛り上がったもので二次会にカラオケに行くことになった。

「その曲、完璧に再現してたよ」

石原が見ていたのはプロモーションビデオだった。またキョトンとする。
守山は吹き出した。

「どんな悪ふざけですか」

つまり恥ずかしげもなく真顔で歌いきったと言うわけだ。
久我なら様になるだろう。むしろ久我の顔でなければそんなことは許されない気さえする。

「惚れちゃうんじゃないですか」

という石原には、

「それで惚れたのかな」

と応えた。守山が苦笑する。

「今度ファンの集いをしなきゃ」

やはり守山はそのバンドが好きらしい。

高校時代、ふざけ仲間と写真を真似たことも思い出した。純ならまだ持っているだろうか。

なんとなく、早く帰りたいなと思う。


体が疲れていても下半身は制御の外にあるらしく、誰かいわくベタベタに甘いセックスのあと純を抱えて眠りに就いた。
涙を流して喘ぐ姿が脳裏に焼き付いて、夢の中でまで純を抱いた。

外の明かりが微かに入る頃、純が動くのでキヨカズも目を覚ました。
苦しそうな浅い呼吸が聞こえた。

「純」

出した声が掠れていて、恥ずかしくなる。
咳払いをし、顔を覗き込んだ。

「大丈夫?」

純は薄く目を開けてこちらを見ていた。
薄い唇が助けを求めている。
どうしたらいいか分からなくて、それでも何かしたくて、唇を奪う。

「純」

長い口づけのあと呼び掛けると、純は目を閉じて微笑んだ。
安心してまた横になる。
純がこちらを見ずに小さな声で言った。

「もう一回抱いてくれる?」

これでごまかすのもよくない気はするが、気が紛れるならそれでもいいかもしれない。

「いいよ」

もう少しだけ休憩させて。

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あきゅろす。
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