秋冬春夏(完結) 9 「いらっしゃいませ」 店主ではなくアルバイトが出迎えてくれた。久我は常連なので彼とも顔馴染みだった。 「なんにします?」 キヨカズが選んだだけあってなかなか感じのいい青年だ。 とりあえずビールを頼む。持ってきたのは店主だ。 久我の顔をみて、目を細める。 「今日は特別に食事を出しますよ」 呆れたような口調だった。 「ありがとうございます」 気の抜けた微笑みを見せた久我に、店主がため息を吐く。 「守山くんにもこの人の食生活改善に御協力をお願いしたいよ」 店で寝るのはいいけど倒れられると困るからね。 カウンターに戻っていく店主を見送りながら、お母さんみたいですねと守山が言った。 「家では逆なんだけどね」 どちらかというと世話を焼くのは久我の方だ。 「何となく分かります」 台所に立つ久我を想像しつつ、守山は小さく乾杯と言った。 「石原くんは?」 「会社の飲み会らしくて、終わったら来るっていってました」 いつ終わるか分かんないけど。 会社の飲み会なんかいつ終わるかわからない。 久我は一次会を18時から22時過ぎまでやる会社に勤めているので納得できた。 「なにかあったんですか?」 顔色が悪いし、さらに浮かない顔をしている。 聞かれて、久我が首を傾げる。 「ビールがなくなったら話すよ」 他人に話すには整理がついていないと言うことだろう。守山は頷いた。 「はいどうぞ」 整然と並んだサンドイッチの皿がテーブルに置かれた。 店主が目を細めて久我を見下ろしている。 「手作りですか?」 「おおむね」 家ではほとんど久我がやってしまうので、貴重な手料理とも言えた。 何を考えているんだか分からないが、嬉しそうに笑った久我をみて、安心する。 店主はカウンターに戻っていった。 金曜は人が多いとか、春休みだから学生は少なく見えるとか、なんでもない話題でビールを飲む。 サンドイッチはいつのまにかなくなった。意外と空腹だったのだなと今更自覚する。 いつもの酒を注文して、久我はふうとため息を吐いた。 「朝から嫌なことがありまして」 と切り出し、そう言えば守山に全く無関係でないことを思い出す。 「女性関係ですか?」 仕事で悩むタイプには見えない。 守山の質問に、ぐっと頷いた。 二次会の時間なのか、店に客が増えてきた。 アルバイトがビールとグラスを交換していった。 「あの写真の人ですか?」 忘れていたと顔にかいてある。それには失笑してしまったが、思い出すと嫌な気分になってくる。 「守山くんは当て馬だったみたい」 一通り今朝の出来事を説明する。 守山はしばらく絶句していたが、やがてはあと大きなため息をついた。 「見た目通りの女性です」 前に絡まれた人にやること似てるな、同一人物かな、とぶつぶつ呟いている。 「やっぱり女性が怖いみたいで」 それからすっかり具合が悪いんだよね。 守山は久我の過去を知らないから、それがどのくらいの恐怖なのか分からなかった。 ただ、体調が悪くなるほどだから相当ひどいんだろうと予想はつく。 「忘れちゃったんだよね」 不快感を意識の外に押し出して我慢する方法を知ってたはずなのに。 カウンターの方に視線が向いている。 店主に護られて忘れてたということか。 微笑ましいな、と守山は口許が緩んでしまった。 こんなに色恋から遠そうな男がすっかり侵食されている様が面白い。 「久我さんて女性を好きになったことありますか」 そう言われて首を傾げる。 子供の頃は同じクラスのなんとかちゃんを好きだと感じたこともあったかもしれない。 中学くらいの時、年上の女性をみて性的な興奮を覚えたこともあったかもしれない。 久我がぽつぽつ答えるのを頷きながら聞いていた。 守山はじゃあ、と続けた。 「店長さんの他に男性を好きになったことありますか」 「ないよ」 ないんだろうなとは思ったものの即答されて笑ってしまう。 やはり根っからの同性愛ではないらしい。 守山はだんだん聞きたいことがなんだったか分からなくなってきて、少し考えた。 「同性愛疑惑のほうが楽だったかな」 その話を石原に聞いていたが、守山はそちらのほうが会社に居づらいだろうなと思った。久我が拒否した気持ちは理解できた。 「その女の人って」 守山は、彼女が久我にアプローチするのは自己顕示欲のようなものだと思うのだ。 たとえ彼氏がいなくても結婚できなくても、久我のような完璧なイケメンを引っ掻けた実績さえあれば言い訳ができる。 そんなコメントを、久我はじっと聞いていた。 「僕ってそういう取り扱いなの?」 姿が良いことの自覚はあるようだが女心恋心については疎い。 イケメン過ぎても上手くいかないものだなと思う。 「だから相手の執着も強いでしょ」 久我は、しつこく追いかけられることについてようやく理解した。 「そういうことだったのか」 自分の独占欲に悩んでいたくらいだから、執着というのがよくわからないのだろう。 守山はスッキリしたような表情の久我に笑いかけた。 それからは、守山の短歌の話で盛り上がった。次回の同人誌に向けて新作を考えているらしい。 短歌と言うのはどういう視点で作るのか、守山はいろいろと久我に教えてくれた。興味はあるが自分にできそうな気はしない。 そうこうしているうちに、守山の携帯が鳴った。 「タカヒロだ」 すみません、と断って電話に出た。 短い会話のあと、二次会が終わったから逃げ出しますだそうです、と守山が言う。 何を言われたのか分からないが、妙に嬉しそうに笑っている。 「飲み会の数は多くないけどオールしたがる人が多いらしいんですよ」 じっと見つめてみたが嬉しそうな表情の理由は教えてくれなかった。 久我は、うちは回数が多くて夜中までやるけど帰るよ、とどうでもいいことを答えた。 なんとなく、店の外がきゃあきゃあと騒がしい。女性の声だ。 守山は反射的に固まった久我を見ていたが、どうしようもない。 やがて扉が開き、女性が3人ほど入ってきた。 空いてますかと聞かれ、アルバイトがカウンターならと答えている。 席に案内されている間も彼女たちの会話は続いていた。 久我は一度もそちらを見なかった。空になったグラスを見つめている。 「久我さん!」 そのうち一人が久我を呼んだ。 守山も顔を上げて、見たことある、と思う。例の女性だ。 顔を上げた久我は困ったように微笑んだ。 「奇遇だね」 「こんなところで会えるなんてうれしいです」 です、と語尾を伸ばした彼女は、酔っ払っているのか甘えているのか。 店主も様子を見ていた。 やがて彼女は守山を認識し、ぱっと明るく笑った。 「デパートで見た人ですね」 ホントにイケメンだ。 イケメンと言われて悪い気はしないが初対面なのだ。 やはり酔っ払っているんだな。 守山は小さく頭を下げた。 目の保養、ラッキー、と言いながら、彼女は上機嫌に仲間の元に戻っていった。 久我が静かにため息をついた。 守山もどうしたものかと黙っていた。 すると店主が現れて、久我のグラスを交換した。 「大丈夫?」 小声で囁かれて、曖昧に頷いた。 店主は守山と目を合わせ、首を傾げて戻っていく。 「実物はどう?」 ややあって、久我からそう言い出すので、守山は苦笑した。 「やっぱりダメです」 でしょ、と言った久我が薄く笑っていたので少し安心する。 やがて扉が開いて、元気よく石原が入ってくる。 久我が席を譲った。さりげなく、彼女に背を向けたのだ。 「大変でしたー」 と、石原は全力で逃げてきたエピソードを話し始めた。 次いくぞと張り切るオヤジたちを納めるのはなかなか至難の技なのだ。女の子ならまだしも、独身の男じゃなかなか言い訳は立たない。 「あんなのハラスメントですよ」 不満げに口を尖らせた石原に、守山は優しく微笑みかけた。 そこから石原の独壇場で、今日の飲み会の愚痴をすごい勢いで捲し立てた。 再雇用のオヤジがどう、そのオヤジを嫌うおばさんがどう。 大体どこの会社も同じだなと思う。再雇用のオヤジは思い出補正と経験で気が大きくなっているから面倒くさい。 「結婚しろって、そればっかり言うんだもん」 娘がどう、嫁がどう、全く下らん話だ。 「まだ焦る年じゃないでしょ」 「だから、俺はお前の年のころには下の子が生まれてたぞ!ってやつです」 ウザイウザイ。 調子のいい石原に、守山が苦笑いした。 「あんたなんかどんな巧妙な手口で相手を騙したんですかって感じですよ」 そう言われて自分の周囲の人物を思い浮かべると当てはまる人が居るものだ。 ついつい笑ってしまう。 「先にプロポーズするのがいいらしいよ」 冗談半分で久我が言う。 守山が笑いだし、石原も一瞬キョトンとしたが嬉しそうに手を叩いた。 「それってこじらせるかも知れないんですよね」 「相手次第だよ」 こじらせても上手く行く人もいるし。 そう言って店主を見ると、彼もこちらを見ていたので目が合った。 呼んだと思われて、カウンターを出てくる。 「なに?」 言いながらテーブルを見ても、誰の酒も残っている。 「店長さんの話してただけですよ」 石原にそう言われ、なんだよ、と不満そうな声が返ってくる。 「良い話しにしといてくれよ」 「そんなのあるかな」 3人が揃って笑うので、店主は肩を竦めて見せた。そのままカウンターに帰っていく。 客が少しずつ減っていく。アルバイトがラストオーダーを取ってまわっていた。 やがてアルバイトが帰る頃、例の女性たちも席を立つ。 一人が会計を済ませている間、彼女が近付いてきた。 石原はことの次第を知らないので、キョトンと背の高い女性を見上げた。 「久我さんのお友だちってイケメンばっかりじゃありませんか」 そう言って久我の肩に手を乗せる。 守山はヒヤリとしたが、久我は平然と微笑んだ。 「羨ましいでしょ」 そのあとの一言に、守山も石原もフリーズした。 「みんな僕のものだから、手を出そうと思わないでね」 バイバイ。 彼女は呆然としたまま仲間に連れられて出ていった。 こちらの二人も呆然としている。 久我は黙ってグラスをあけた。 「店長さん」 「そこに直に注いでいいならいいよ」 他に客も居たが、よく来ている人だけだったので、店主はそのように応えた。 「いい、いい。とにかくちょうだい」 酒でも飲まなきゃやり過ごせない。 そう言う感じだろう。 店主が酒瓶を逆さにして注ぎきってみせる。 ちょうどなくなるタイミングだから、直に注いでくれたんだろう。 ようやく、石原が我に帰る。 「なんだったんですかあれ?!」 魔法だ魔法だ、と、石原が騒いでいた。 守山もまばたきを繰り返しながら頷いている。 「俺たちいつの間に久我さんのものになったんですか」 守山の問いはどこか宙に浮いていた。 また微笑んだ久我は、タバコに火を点けた。 深く吸って、細く煙を吹き出す。 「今日だけなっておいてよ」 僕のこと嫌い? 石原が、なんてことだ、と呆然と呟いた。 眉を下げ、微かに首を傾げた久我の色気は完璧だった。 「ならざるを得ないです」 守山の結論に、石原も一度だけ頷いた。 そうこうしているうちに残りの客も出ていく。 終電が近い。 店主が、お気をつけてと送り出す声が聞こえた。 いつもなら慌てて出ていく石原も、守山の家に泊まるつもりなのか久我の前から動かなかった。 「そろそろ石化の呪い解いてやれよ」 客席を片付け始めた店主が、まさに石化状態の二人に呆れて言った。 久我はどうしたらいいのかねと聞いたが返事はない。 テーブル席の食器をカウンターに移動させ、店主も考えているようだった。 テーブルを綺麗に拭いて一度カウンターに引っ込み、出ている食器を引き上げる。 やがて自分のビールを持って戻ってきた。 「刺激を与える?」 「どんな?」 目の前でイチャイチャするとか? 店主の一言に、石原が立ち上がる。 「そ、そ、それはなにをなさるおつもりですか」 あからさまに狼狽えた様子が面白い。石原には言葉だけで十分な刺激だったようだ。 「チューする?」 キヨカズは石原が面白いからといって、悪のりを始めたようだ。 付き合ってやる必要はないが、どうせしないだろうから抵抗もしない。 キヨカズは顔を寄せた。 「ギャー!」 ようやく守山が、うるさい、と石原を押さえた。 が、久我は別のことでフリーズした。 キヨカズは本当にキスしてきた。 「止めないともっとするよ?」 まばたきを繰り返しているうちに、またされる。 何が起こっているのか分からないうちに、今度は頬を押さえられて、ハッとする。 「待て、待て」 止められたキヨカズは特に不満そうでもなく離れた。 「それってやきもちなの?」 他に理由も見当たらず、聞いてみる。 隣から椅子を引っ張ってきたキヨカズはすぐにそうだよと返事をした。 「なんだか女の子に絡まれてるし、この二人には呪いをかけるし」 「仲間に入りたかった?」 「まあ、そんなとこ」 だからといって二人の目の前でキスすることないだろ。 というのは飲み込んだ。 石原が、あーとかうーとか呻いている。 「いいなあ」 と呟いたのは守山だ。 それを聞いて、純はキヨカズと顔を見合わせた。 前に、いいなあと連呼していたのを思い出したからだ。 「それにしても何なのあの女」 詳細を知っているのは守山だけだったことに思い至り、説明することにした。 ようやくことの全貌を知ったキヨカズと石原は、それぞれ納得した様子で頷いていた。 先程二人に対して焼きもちを焼いていたキヨカズは、二人とも巻き込まれて大変だったね、などという。 「また同性愛疑惑に戻っちゃうんじゃないですか」 「女性に言い寄られるよりいいかなと」 恐怖症だから。 なんとなく、女性が苦手なんだろうとは思っていたが、言葉にされると気の毒になる。 石原は少ししょんぼりした。 「モテるって大変なんですね」 耳を垂れた子犬のような石原の頭を、反射的にキヨカズが撫でていた。 「この人はそう言う運命だから仕方ないんだよ」 甘ったるい笑顔だったが言うことは厳しい。 ただ、以前そうとしか言えないと直接聞いたので純本人に異論はなかった。 「いつも三人で楽しそうだから」 たまにはお付き合いください。 店主の言葉に三人は顔を見合わせた。 石原が、嬉しそうに笑う。 「喜んで」 オールが嫌で逃げてきたはずだったので、久我は苦笑した。ただ会社の人に付き合うのが嫌だっただけなのかもしれない。 [*前へ][次へ#] [戻る] |