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秋冬春夏(完結)
5
仕事は山ほどあったものの、周りが妙に優しくて、面白かった。

どこでどう広まっているのか知らないが別の部の人が顔を見に来たりする。いつもの飲み仲間など、真っ先に来た。

「うちの部の女子まですごかったよ」

どうやらずいぶん広範囲に心配させたらしい。ただ、実際なんの迷惑もかけてないので苦笑を見せるのみだ。

「もう全快なの?」

つまりは飲みにいこうという意味だろう。

「直接関係ないけど体力落ちてるから今月くらいは控えなさいって」
「じゃあ新年会からだな」

そんな会話を一日中繰り返した。

声はかけられるし仕事は多いしで、なんだかんだ残業していると、部内の先輩社員が声をかけてきた。

「お前、そろそろ怪しい噂が立ってるぞ」

すると松田があからさまにビクりとした。

「松田のせいで」

先輩社員がニヤリとする。
久我は松田を見たが、彼は説明しなさそうだったので、あきらめた。

「どんな噂ですか?」

多少盛っているんじゃないかと思うが、おもしろい話だった。石原もそうだが、人間の妄想というのは素晴らしい。

ひとしきり笑って、呼吸を整える。

「それはおもしろい話ですね」

キヨカズに教えなくては。
そう思うとすぐにでも帰りたい。しかしキリが悪いので、松田の隣で静かに作業を続けた。

「久我さん、さっきの話はスミマセン」

しばらくしてから松田が言う。

「おもしろいからいいじゃない」

たしかに松田の不用意な説明も悪かったと思うが、それだけではない。
キヨカズも説明が足りなかったし、そもそも連絡先がない自分が悪い。

それに、相手の身元も確かめずに持ち物を預けたことを上司に怒られたようだったので、もう怒られるのは充分だろう。

「なんにも言わなくてよかったんですか?」

確かに先程は笑うだけでなんにも説明しなかった。

「新年会まで尾を引いてたら説明するかな」

と言いながら、みんな覚えているんだろうなと思う。特におじさんたちが。
松田がぼそりと、忘れてないと思います、と言った。それには応えなかった。

すっかり寒い季節になったものの、少し動こうと思い歩いて帰ることにした。

ほわほわと息を吐き、寒さを実感する。


早くキヨカズに会いたくて、店にいく。
入ってみるとなんとなく、空気が悪い。

「いらっしゃいませ」

店主は困ったように笑った。

「ケンカ?」

レジの隣に座ると、店主が傍に来てくれた。

彼が小声で説明するところによると、カップルがケンカを始めてしまったらしい。店の雰囲気も悪くなり、帰る人までいたが、まだ続いている。

純は首をかしげた。

「ビールください」

少しはっきりした声で、言った。
キヨカズは脈絡のない注文に少々驚いたが、カウンターに引っ込む。

「グラス使いますか」

カウンターから聞いたので、自然と声が出る。純は要らないですと答えた。

コースターと瓶だけを純に届ける。

「どうぞ」
「タバコ吸っていいですか」

返事の代わりに灰皿が出てきた。
店主はぼんやりと店を見回した。

ケンカのカップルは入り口に近いテーブルにいる。テーブルの客はみんな出ていってしまった。
カウンターに2人組が2組いて、テーブルが空いたらそちらを勧めようと思っていたがなんだかそれもしづらい。

何でケンカをしてるのか分からないが、時折大きな声で、彼女が彼氏を罵倒する。それに、彼氏も大きな声で答えたりする。

「店長さん」

タバコを吸っていた純が声をかけてきた。

「少し先にさ、早く閉まるラーメン屋さんあるでしょ」

何かと思ったが完璧な雑談だ。どんな意図があるか分からないが、とりあえず答える。

「15時くらいに閉まるところですか?」
「そう。行ったことあります?」

純は全く笑うこともなく、坦々と話している。少々不気味なほどだ。

「ありますよ」
「この辺では何番手ですか?」
「ラーメンで?」

そうだなあ。
少し間が空く。すると純は少し笑った。

「圏外?」
「一番ではないですね」

苦笑混じりに答えると、純の隣の男性が割り込んできた。

「じゃあどこが一番ですか?」

その連れも身を乗り出した。

「僕は通り沿いの数字のところ!」
「どの通りだよ」

ほらなんか、あれ、あれだよ
純の笑みが深まったのを見て、キヨカズは感心した。
最初からそのつもりで、ラーメンの話を始めたのだ。

「ちょっと離れてるけど、味噌ラーメンの店は?」

次が続くところがさすが久我純だ。

「次の駅でしょそれ」
「あそこ、めっちゃ美味しいですよね!」

なんて、盛り上がる。

ラーメンの話はずいぶん続いた。
ラーメンのあとはうどんにシフトする。
近くの行列ができるうどん屋から始まり、もはや遠足レベルの店まで話に出てくる。

そうこうしているうちに、ケンカしていたはずのカップルは険悪な感じもなく席をたった。

いつのまにか、雰囲気はいつも通りになっている。

やがて店じまいの時間が来て、純ひとりになる。

「ありがとう」

すっかり片付けて帰る頃、キヨカズは照れたように言った。

「なにが?」

とぼけるならそれでいいや。
キヨカズも首をかしげ、それ以上はなにも言わなかった。

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