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秋冬春夏(完結)
おとなのかいだん(2)
開店と同時に客が来ることなどほとんどない。
最近だと、久我が三方と待ち合わせしている時くらいか。

珍しく、ほぼ開店時刻に扉があいた。むしろフライング気味である。

「いらっしゃいませ」

相手はよく見慣れた顔だった。
いそいそとカウンターに座った守山は、妙に姿勢をただしてまっすぐ店主を見た。

「店長さん」
「はい」

非常に下品な話で申し訳ないのですが、と前置きされた話は、確かにどうしたって上品にはなれない類のものだ。


男同士でどうにかなるにはどうしたらいいですか。


まわりくどく言ったが、つまりセックスの話だろう。

「さあ……」

とりあえず、曖昧な相槌を打った。

店主は、ノンケの相手は純しか知らない。
どうすればと言われて答えられる実例がひとつしかないことになる。

恥ずかしい。

返答を考えている間にビールくださいと言われて、冷蔵庫を開ける。
出しながら答えた。

「させてくださいって、お願いするんじゃないの」

実際した通りのことを言うと、うーんと唸り声が返ってきた。

「突然?」
「それはどうかな」

突然どころかいちいち確認をとって段階を踏みつつ、抵抗されないのをいいことに時間をかけて開発した。

「じわじわ開発させていただきました」

守山がまた唸る。

「どうやって? どういうきっかけで?」

なんと説明したものか。

「なんとなく、手を握っていいかとか、抱き締めていいかとか、頭撫でていいかとか、ケツ触っていいかとか、裸にしていいかとか細々聞きながら」

守山からは当然の質問が来る。

「断られなかったんですか」

それがそもそも不思議なところで、毎回少し考えて即答しないものの、断らないのだ。

「断られたっていいよね」
「不思議だなあ」

当時好きも嫌いも自覚がなかったわけで、そんな中、ゲイの同居人に迫られて受け入れるものだろうか。

「思うに、どうでもよかったんじゃない」

どうでもいいような話とも思えないのだが、裸にさせてくれと言ったときもそれまでと同じようにいいよと言った。
ただ、セックスさせてと言ったときは1週間くらい回答を保留にされた。

「本番するまでずいぶん時間かけたよ」

傷付けたくないと思ったし、当時は性欲もなかったようなので、本当に時間をかけた。

「やっぱり突然できるもんでもないんですか」
「女の人と同じことしたことないの」

守山は苦笑いして、それはない、と言った。

「学生時代つるんでたやつがしたって言ってたけど、しようとは思わなかったです」

若気のいたりで一度や二度はしたことあるもんかと思っていたがそうでもないのか。
店主はふうんと気のない返事をした。

「俺はその道の人としかしたことなかったからな」

守山がきょとんとする。

「店長さんて、その道の人なんですか」

それは言ってなかったかもしれない。

「実はね」

一時の気の迷いで純を好きになったわけではないのだ。

はあ、と守山は不思議そうに店主を見つめた。

「久我さん知ってたんですか」

ずっと隠していたが、どこかでバレた。

たぶん、二人で飲んでいて、当時付き合っていた男と出くわしたときなどに。

「どうして隠してたんですか」

守山には、別に恋愛対象でもなければバレても問題ないように思えた。

「せっかく仲良くなったのに、それで距離おかれたら悲しいでしょ」
「まあ、それはそうかも」

高校時代の下積みがなくなってしまうというわけだ。
守山は何度も頷いた。

「店長さんにはことに及ぶ準備は要らなかったって訳ですね」

さらりと話はセックスに戻る。

「そうだね」

店主の返事に、守山がため息をつく。

「俺もそうならよかった」

ずいぶんな飛躍だ。店主は呆れてまばたきを繰り返した。

「いいことないよ」

たまたま極上の恋人が引っ掛かってくれただけで、あとは良い思い出など特にない。
隠すのにも疲れるし。

「そういうもんですか」

ポツリと言ったあと、切り替えるように、それって、と顔をあげる。

「女性相手に全然ダメってことですか」

守山の言い方が回りくどいので、店主はあえて下品に返した。

「全くたたないの」
「今まで一度も?」
「ないね」

言い切られ、しょぼんとする。
そんな守山に逆に質問した。

「女の人ってそんなに気持ちいいの?」

本当に経験がないのでしょぼんとされる気持ちが理解できない。
守山はしばらく考えていた。

「まあ、それは、気持ちいいですけど」

自信なさげに答え、さらに自信なさげに続ける。

「気持ちいいんですか。男の人って」

女性と経験がないから比較はできないが、気持ちいいことに間違いはない。
うん、と即答され、守山は首をかしげる。

「される方は、 気持ちいいんですかね?」
「それはわかんないけど」

されたことはないので知らないが、後ろ向きにならないように実例を教えてあげることにする。
ちょいちょいと手招きすると、彼は立ち上がってカウンターに身を乗り出した。
他に誰もいないので小声にする必要もないのだが。

「今の恋人を見ていると」

守山がごくりと喉を鳴らす。


我を忘れるほど良いみたいだね。


ひゅ、と息を飲んだ守山は、真っ赤になった。
酒を飲んでいてもこれほど赤くなったところは見たことがないくらい。

「見せてやりたいくらいだね」

ますます赤くなって、ガタンと椅子に座った。
その様子が面白くて、吹き出す。

「まさか見せてやらんけどね」
「いいです、見たくないです」

むすっとして黙り混んだ守山が、やがて気まずそうに口を開く。

「ちなみにどんな感じですか」
「なにが?」

守山は、言葉を選んでしばし黙る。

自分では我を忘れるほど気持ちよくさせた経験もないし今後できる自信もないが、我を忘れるほど気持ちよくなると人間どうなるのか、純粋に興味がある。

知りたい気持ちは理解できたので、教えてあげることにする。

「まるで別人になる」

まさに我を忘れるということか。

「女神が人間になるような?」

ひどい例えだ。笑ってしまう。

なんとなく違う気がして、他の例えを探す。
探している間、守山はビールを飲んでいた。

「鬼が天使になるよ」

唐突に言うと、げほっとむせかえった。

それほどの技術が店主にあるという解釈もできる。
呼吸を整えたあと、無意識にため息が出た。

「地の底の重力から解放されるということですね」

独り言のような感想に、微笑ましくなる。

「美しいですか」

守山はリアルに久我を想像しているはずで、愚問とも思えたが、それはそうだと肯定する。

「そもそも美しいんだよ」
「それは承知しています」

誰ぞに女神と称される美しい男について、店主は思い出した。

「涙を流す」
「鬼の目にもなんとかですか」
「呼吸は薄く」
「天使に空気は不要ですね」
「体の力は抜けて」
「重力から解き放たれると」

ほう、というため息は美しい芸術に触れたようなため息だ。

「店長さん、筆がなくても芸術家なんですね」

こんな話で守山が前向きになるかは分からないが、興味はなくしていないように見えた。
やがて、想定外の質問をされた。

「その間、店長さんはどんな気分ですか」

相手に夢中になりすぎて、自分のことなど忘れている。
しばし黙って考える。が、答えはない。

「無心」

無心というより、夢中だか、遠くない表現だと思う。

「修道者のようですね」
「そんなもんかね」

守山は、深いため息をついてテーブルに突っ伏した。

「あなたののろけは重たすぎる」

例えるなら新潟のカツ丼です。

いつぞや食べた経験があり、店主は笑った。
飽和状態になると例えが俗っぽくなるのが面白かった。

「重たい上に量が多い」
「食べきれません」

ごちそうさま。

その後石原がやって来るまで、守山は居眠りする純のようにじっとカウンターに張り付いていた。

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