秋冬春夏(完結)
おとなのかいだん(1)
妙に真剣な面持ちの石原を前に、久我は瞬きが止まらない。
非常に品のない話で恐縮なのですが、といって始まった彼の相談は、言葉通り飲み屋で大声で話すには不向きの内容だった。
男性同士で致すにはどのようにすればよいのでしょうか。
しばらく硬直した久我は、咳払いをひとつした。
「したくなきゃしなくてもいいんじゃない」
とりあえずそう返す。
男性同士でなくても同じだが。
「そうはいきません」
「どうして」
石原は困ったように、眉を下げた。
「できることならしたいのです」
自分とてしたいかどうかと聞かれればしたい方なので、かくかくと頷いて見せる。
「相手に任せてもいいと思うけど」
「お互い初心者なので」
「女性としたことはあるんでしょ」
「それはお互い」
逆に久我の相手は女性としたことがないので、それと勝手が同じかどうかは分からない。
ただ、自分の苦い思い出と照らし合わせるには、あまり差はないように思えた。
「する方なのかされる方なのか知らないけど」
爪は切っておいた方がいいんじゃないかな。
石原の手を見て、なんとなく思い付く。
「爪ですね」
真剣に繰り返されると恐縮する。
「他には?」
「他に?」
献血できなくなることくらいしか思い付かない。
仕方ないので前提条件を付加する。
「僕はされる方しか経験がない」
これはすぐそこにいる店主との関係を暴露する発言なので控えたかったが、話を進めて終わらせるためには仕方ない。
「ならば、される方ができることは、何かないでしょうか」
恥ずかしい。極めて恥ずかしい。
しかし店主に助けを求めて、今ここでこんな話をしていることをバラしたくはない。
仕事中の彼まで気まずくなっては申し訳ない。
「体柔らかい?」
「僕は柔らかいです」
自信に満ちた答えだ。
柔らかくなくてもやりようはあるだろうが、柔らかいに越したことはない。
「ちなみにどこで何するかわかってるよね?」
「それは、なんとなく」
「女の人と同じことしたことある?」
は、と石原が固まる。
「な、ないです」
あれば少しは違うと思ったのだが、ないなら仕方ない。
「痛いですか?」
今度は石原が質問してくる。
率直な疑問だろう。
「僕の相手はその辺が異常に丁寧だから、痛くないけども」
うんうんと石原が頷いた。
「用意するものありますか」
もはや恥は捨てることにする。
ここまで答えたらあとは同じだ。
「そうだね」
久我は普段彼が用意しているものを並べ立てた。
コンドーム。
滑りがよくなるようなもの。
薄いゴム手袋。
「ゴム手袋?」
想像してなかったのか、石原が聞き返す。
「不衛生だからじゃない」
彼がいつ着けていつ外してるか判然としないものの、必ずある。何枚もゴミ箱に入ってることもある。
「なるほど!」
ふむふむ言いながら、石原は携帯でメモしたようだった。
そして、恥ずかしそうに小さく唸る。
こちらは恥など捨てたと言うのに。久我はなんとなく理不尽な気がした。
やがて非常に小さい声で聞かれたことは。
「気持ちいいですか」
恥は捨てたはずが、さすがに答えに窮する。
今度は久我が黙った。
仕方ない。腹をくくれ。恥は捨てろ。
そんな意気込みで、石原にちょいちょいと手招きする。
耳元で囁く。
気持ちいいよ、我を忘れるほど。
石原は真っ赤になった。信じられないくらい真っ赤になった。
「そ、そ、そんなにですか?」
大声を出した石原に、微笑みかける。
ややしばらく神妙な面持ちでグラスを見つめていた石原だったが、顔をあげて久我を見つめた。
「がぜん興味が湧きました」
「やる気になったんじゃなく?」
からかうように聞くと、それはまだちょっと、とあやふやな答えが返ってくる。
「どういうきっかけでするに至ったのですか」
そういう疑問があることもわかる。少し思い出す。
「させてくださいって、言われて」
正確にそうだかどうかは曖昧だが、だいたいそうだ。
「久我さんからは?」
「して欲しいとは言ってない」
いいよとは言ったけど。
思い出してみると、二人で暮らしはじめてからなんでか今と同様にベッドをひと続きにして寝起きしていた。
はじめはキヨカズがなにかと断りながら、好きなように触っていただけだ。
「最初から、最後までしたんですか?」
「踏み込むね」
どんな段階を踏んだらいいのか想像できないのだろう。
もはや先輩の使命として、教えてやらねばならないような気がしてきた。
「そこまではずいぶん時間をかけてくれたと思うよ」
「ずいぶんって?」
記憶によると一年くらいか。
石原はひゃあと目を見開いた。
「そんなに大変なんですね」
そもそも好き同士だと確認しあって始めたことでもないし、どちらかと言うと彼に言われるまま体を貸していた感もあった。
だから時間がかかっただけかもしれない。相手の優しさもあって。
「お互いその気になればそんなにかけなくてもいいんじゃない」
今ほどはっきり相手を想っていれば、すぐにでも繋がりたいと思ったかもしれない。
「勢いで出来るものですかね」
「どうかな」
そもそもそのための体じゃないんだから少々の準備は必要だろう。
石原は少ししゅんとした。
「そんなにしたいの?」
なんとなく、興味本意の部分と素直に相手と繋がりたいと思う部分があるようだ。
やがて返ってきた言葉は、微笑ましいものだった。
「僕、女の子だったらよかったなって、生まれてはじめて思いました」
久我はそんなこと思わなかったが、想像はできる。
「いいことだね」
それほど相手を想っているということか。
「される側の意見を言えば」
たぶん踏ん切りをつけるのはする側なのだ。
痛いのは我慢すればいいし、なんとかなる。痛いのを我慢させてまで、という壁は向こうにある。
久我の意見に石原は唸った。
「流れに身を任せてみれば」
微笑みかけてみる。
石原は頷いて、いつものように朗らかに笑った。
「なるようになりますかね」
いつでもなれるように準備しなきゃ。
それは先程教わったグッズを揃えることもあるし、柔軟体操をすることもあるし。
石原は自分のできることを頭のなかに並べた。
が、久我が付け足した一言に、はたとする。
「あくまでされる側の話だからね」
久我に感情移入して、自分がする側になる場合を忘れていた。
石原はごまかすように笑った。
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