秋冬春夏(完結)
金曜のよる(2)
「あ」
珍しく家で飲み直していた純が、ずいぶん使い込んでいるスマホを見て、声を漏らした。
向かいに座って付き合っていた清一が、
「どーした?」
と聞くと、
「石原くんだ」
と妙に嬉しそうに返ってきた。
いつの間にか連絡先を交換していたらしい。
そして、本当に妙に嬉しそうにする。
「久我さんのいう通り、だって」
「なんの話?」
純の返事はいたってシンプルだった。
「いつもの」
もはやいつもの話題になってしまった。
石原と守山の関係の話である。
「うまく話が進みましたか」
「そのようでございます」
石原の要領を得ない説明によると、石原が覚悟を決めて蒸し返してみたようだ。
すると、取り下げたはずの守山が、実はもう一度話したいと思っていたという。
「よかったじゃない」
「よかったよね」
あまり他人に興味のない純だが、いよいよあの二人には思い入れが深くなったようだ。
我がことのように嬉しそうに笑っている。
「それで?」
ずっとスマホを眺めてスクロールしているので続きがあるのかと思い促すと、純はきょとんとした。
「それだけ」
清一は、ちょっと待て、と反射的に返した。
「それって途中経過だろ?」
「そのようだね」
よかったね、というには早い。
純にしては少々先走っているような気がする。
清一が言いたいことを察したらしく、純は何度か頷いて見せた。
「両方の言い分を聞いているから、結果がわかったような気でいました」
それはそうかと納得する。
あとは妙な捻りが入らなければ上手く行くだろう。
またしばらくスマホを見つめていた純が、楽しそうだなあと呟いた。
「なにが?」
缶ビールを軽く降って、残りを確認しながら聞く。
純は微妙な表情で少しだけ首を傾げた。
「やり直したいと思うことある?」
「何を?」
「我々の関係」
というか、段取り?
つまり好きだとかなんだとか告白するところからやってみたかったかどうかということだ。
清一は即答した。
「ないね」
その即答ぶりに、意外そうに目をぱちぱちさせる。
「どうして?」
「自信ないから」
この結果に至る自信がない。
清一らしい回答に、純は笑ってしまった。
「悔やむことないんだ」
何をどうすればよかったかも、みたいなのがなかったわけではない。
まともに返事をしようとして、思い直す。
「どうせお前にはないんだろ」
純は返事の代わりに笑った。
なにも悔いのないやつに自分の後悔を聞かせてやる義理はない。
清一はわざとらしくため息をついた。
「僕のこと好きだった訳じゃないんでしょ?」
「いつの話だよ」
「あたかもプロポーズのとき」
湖の上で言ったのは、好きだとか愛してるとかいう気持ちではなかった。
「一緒にいてくれたらいいなあと、思って」
恋愛かどうかは知らないが、とにかく一緒にいてほしいと思った。
だからあの言葉が一番ストレートだった。
純はしばしどこかを見ながら考えていて、素朴な感想を漏らした。
「プロポーズって恋愛じゃないんだね」
確かに。
清一も、なんとなく思い当たって笑った。
「会社にね、誰か結婚すると必ずプロポーズの言葉がなんだったか聞く人がいて」
どの部署にもいる。支店にもいた。
そういう人はだいたい大勢がいる飲み会なんかでやるから、嫌でも聞かされる。
なんの役にも立たない情報だし、本人は恥ずかしいし、とくに興味もなくただ付き合って聞いていたが、今初めて興味が湧いた。
「それを総合すると、プロポーズって、好きだとはあんまり言わないよね」
たまに愛してますとか付いていることもあるが、そもそも好意があることは前提なのだ。
「もし俺があのとき」
清一は少しだけ言葉を選んだ。
「好きだから付き合ってくれって言ってたら、どうしてた?」
今度は純が考える。
真剣に考えるには。
「セックスしたいのときと同じようなことになったかも」
鬼スルーだ。
ため息をついた清一に、純は違う違うと慌てて言った。
スルーするという意味ではない。
「わからなくて、お時間をいただいたと思う、という意味 」
純はそれまで、好きだとか付き合ってほしいと言われた経験は掃いて捨てるほどあった。
ただ、清一のようにずっと親しく友人として付き合っていた人物から好意を告げられた経験はない。男女問わず。
だから、同じく経験がなかったセックスと同じように、少し考える時間がほしかっただろうなと思う。
「あの時は即答だったけど?」
まさに即答した。
一緒にいようと言われて、一緒にいようとわざわざ返した。
それは純にも確かな記憶がある。
「それは、断る理由もなかったし」
どちらかというと、もちろんマンションの契約更新の時期もあったが、好意的に受け取った。
清一と居るのはストレスがないし、それをちょうど海外旅行で再確認した。
気を使わないし楽しいだろうなと思って誘ったのだ。それが思い通りで、嬉しかったというのもある。
「断る理由がないからって受け入れるとも限らんだろ」
少々不満げな清一に、肩を竦めて見せた。
「何年一緒にいるんですか?」
ご存じでしょ。
確かに受け身体質だとは思うが、男にあたかもプロポーズされて、即答するだろうか。
「まあ、結果オーライということで」
もはや考えるのも面倒になった純がビールをあおった。
会社の人と散々ビール以外を飲んできた訳だが、なぜかいま、ビールに戻る。
清一にとっては不思議な現象だった。
「石原くんと祝い酒をしなくちゃ」
「だからそれは気が早いだろ」
ふふ、と笑った純はまたご存じでしょ、と言った。
3秒ほど固まって、清一は察した。
「理由なんか要らないだろ」
「あった方がやり易いでしょ」
「なくてもできる。お前なら」
つまり、酒が飲みたいだけだ。
ややあって、清一が聞いた。
「俺と酒とどっちが好き?」
勢いで発言してみたものの、くだらなさに絶望した。
深く深く、ため息をつく。
情けなく俯いて、長いため息をついている清一に、純は微笑みかけた。
「お酒は好きだけど」
清一の方が好き。
と言おうとして少し考える。
ちょっと違う。
「お酒にプロポーズされてもうんとは言わないよね」
微笑んだまま言う純を、清一は呆然と見つめた。
見つめたと言うか、目が離せなくなったと言うか。
少し力が抜けて、とろんとした笑顔だ。
こんな油断しきった顔、外では見られない。
そしてその発言。心底下らないと思った質問に答えてくれただけで救われたのに。
「それって調子に乗っていいやつ?」
「どう乗るかによるけど?」
「そのビールを取り上げて、ベッドに連れてく」
純は清一とビールの缶を見比べた。
僅かに何か考えて、残りをぐいっと一気に飲んだ。
「はい」
はい、ってなんだよ、はいって。
結局、ビールも清一も手に入れてしまう。
清一はため息をついて項垂れた。
「連れて行かないの?」
不思議そうな純の声に首を振って見せる。
「なんだ」
と立ち上がった純が何をする気か、清一は瞬時に察した。
「待て待て待て」
キッチンに行きかけた純の腕を掴む。
急に動いて息が上がった。
少し乱れた呼吸の間に、
「そろそろ寝ようか」
と言うと、純は素直に頷いて見せた。
もう一本開けたら、長くなる。
「ビール買わなくちゃなあ」
ベッドの上で伸びをしながら純が言った。
「そんなに減った?」
聞くと、純はわざわざ顔を近づけて目を合わせてきた。
ぐ、と息が詰まる。
「もう無いんだよね」
それではさっきキッチンに行こうとしたのはなんだったのか。
ひひ、と純が笑って背を向ける。
「悪いやつめ」
ひと芝居打たれたと言うわけだ。
「で? なにがお望みなの?」
意味もなくあんな振りをするやつではない。
純はまた寝返りを打ってこちらを向いた。
「なにってわけでもないんだけど」
純は少し間を取ったが、それは勿体ぶってると言うよりも、純粋に何と言うか考えているような間だった。
間近にある形のいい眼は細められて、視線はどこかを向いている。
やがてじっと目を合わされた。
清一は緊張を自覚する。
握った拳に汗を感じた。
「そんなに早く寝たかった?」
先程純を止めたのは、寝るタイミングを逃したくなかったからだが、どれだけ強い気持ちかと言われると些細なような気がする。
「それほどでも」
ごまかす理由もない。正直に答えた。
純が首を少し傾けた。横になっているから、少し。
そして、なぜか嬉しそうに微笑む。
「僕ももう眠いんだけど」
とろんとした視線の色気に清一は文字通り硬直した。
「幸せで、もったいなくて」
もうちょっと二人で起きていたいなあと思って。
と、静かになる。
聞こえるのは規則的な呼吸音。
「……寝た」
ため息の前に、ひとつ確信を得る。
先程の緊張感を返してほしい。
完全に酔っ払ってたな。
思い返せば、おそらく石原からメッセージが来た時点で結構酔っていた。
耳元で盛大にため息をついたものの、純には響かなかった。
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