秋冬春夏(完結)
金曜のよる(1)
すっかりいい感じのカップルが出ていって、店の中に残っているのは純だけになった。
先ほどまで石原も居たが、彼は終電目指して足早に出ていった。
「今日は何話してたの?」
グラスを洗いながら、テーブルを拭いている純に話しかける。
ピタリと動きを止め、少し考えた。
「こないだの続き」
「最近ずっとそれだな」
純にとっては不快じゃない、というより歓迎なようで、嬉しそうに微笑んだ。
「清いお付き合いが眩しくて」
おそらく純はそういう惚れた腫れたのお付き合いの経験がなく非常に疎いはずだ。だから聞くのが楽しいのかもしれない。
「熱に浮かされていた守山くんが元気になったら我に返ったみたいでね」
「あれ」
ふと気になって話を止める。
「最近守山くんと二人で飲んでなかった?」
純は思い出すように上を向いた。
「4日前くらいかな」
同人誌が出来たからって持ってきてくれたんだよね。
一度借りて以来、守山から購入して熱心に読んでいる。無趣味の純としては珍しいが、なにかピタリとはまるものがあったのだろう。
「その話ってしなかったの」
「したよ」
つまり守山視点でのいきさつを知っていながら石原の話を聞いていたということだ。
「悪いやつだな」
「酷いな」
純だって双方から聞かされているだけで悪気はない。
「まあ、難しい立場だよ」
両方聞けて美味しい立場ではあるが、守秘義務もあるだろうし逆に言ってしまいたいところもあるだろう。純がそうこぼす気持ちもよくわかる。
清一は苦笑して見せた。
「ビール飲んで帰ってもいい?」
返事を聞く前から栓を開けていた。
それには呆れつつもどうせ断る気はない。
純は静かに頷いた。
ただ、自分の分が出てこないのは納得いかない。
「僕の分は?」
一瞬きょとんとした清一は取り繕うように舌を出した。
「これは失礼した」
あいすまぬなどと時代劇調に言いながら彼が出したのは、いつものビールではなかった。
ちなみに時代劇調なのは、最近時代小説にハマっているからだろう。シリーズものの小説が本棚にだんだん貯まっていくのに、純も気が付いていた。
「いつものがよかった?」
まじまじとラベルを見ている純に、清一が言い掛ける。
普段好んで飲まないものだったが興味が湧いて首を振る。
本人は自覚がないと思うが嬉しそうに口許が歪んでいるのを見て、清一も嬉しくなった。
渡されたビンから一口飲んで、嬉しそうに笑う。
「気に入った?」
「うん」
この店、ビールは1種類しかないはずだから、特別仕入れたのかどこかで買ってきたのだろう。
「で、守山くん、なんて?」
守山から聞いたのは、冷静になったらすごく恥ずかしいことをしてたことに気がついて、ついつい忘れてくれなどと言ってしまった。
だが、せっかく告白したのに取り下げるなどずいぶんもったいないことをした気がして、後悔しているとのことだった。
純の説明がまとまり過ぎているのは面白かったが、それはそれとして、清一まで残念な気持ちになってしまった。
「そりゃ残念だな」
「でしょ」
取り下げの撤回は難しかろう。
なにか力添えできないものかと思う。
「石原くんは?」
石原の話次第では、清一の守山へのフォローもベクトルが変わってくる。
純は首をかしげた。
「残念なことに」
「え」
また逆に首をかしげる。
「いや、どっちだろ」
「どっちでもいいから」
早く聞かせろ。
妙に勿体ぶるのは、今日の今日でまだ整理がついていないからか。
やがて純の首がまっすぐにおさまる。
「取り下げられたことを残念に思っているみたい」
清一は思わず、なんだ、と溢した。
守山視点なら、反応はそうなる。
「でも、取り下げるのも止められなくて、こないだ告白されたとき反応できなかったのと重ねて、悩んでるらしくて」
「両方スルーしちゃったって?」
「そう」
なんとなく、純なら平気で話題を戻すんだろうなと思う。
「しれっと、こないだのことだけどって言えばって言ったんだけどね」
清一の思った通りだ。
「それはお前にしかできないと思うよ」
そんな特殊能力とも思えず、きょとんとする。
純はぱちぱちと何度かまばたきをして、続けた。
「石原くんもそう言うんだよね」
そんなに後悔してるなら言っちゃえばいいのに。
「お前もそういうのないの?」
「後悔?」
振ってみて、清一は純が何日分も話題を戻した出来事を思い出した。
二人で暮らしはじめて、自然にキスができるようになったあとだ。
布団こそそれぞれだがひと続きのベッドで寝ていたので、清一にとっては据え膳状態だった。
それでも、抱き締めていいかとか、尻を撫でてもいいかとか、少しずつ進展させていた。だいたい即答はしないものの、いいよと返事があり、裸にしてもいいかと聞いていいよと答えられた時にはもう一度念押しで確認した。
ただその先は、なかなか踏ん切りがつかず、保留にしていた。
ある日、あれは高校の同級生に誘われて飲みに行った日で、酒の勢いがあったと思う。
セックスしたいんだけど、どうでしょうか。
勢いがあるにしては及び腰の交渉だった。
純は何回か瞬きをして、首を傾げ、うーん、と言ったきりとうとう返事をしなかった。
それから一週間くらい、まるで忘れたかのように普通に過ごした。
清一としてはスルーされて傷付いたやら、返事を待ちたいやらで気が気でなかったのだが、表面上普段と同様に過ごした。
確か、少し店を早く閉めた土曜の夜だ。
家に帰ると純がベッドに腰掛けて本を読んでいた。
お待ちしておりました。
純は笑顔で清一を迎えた。
ただ、何となくその笑顔が恐ろしくて、立ち止まる。
ヤホーで調べてみた、などと少し古いネタを持ち出したあと、どこで買ったのか漫画をこちらに見せて、少しだけ笑った。
この漫画、知ってる?
知っているからこそ、純がそんな漫画を読んでいることに驚きを隠せない。
女性向けの、しかもゲイを取り扱った漫画だ。
どこで買ったの?
純は目をぱちぱちさせた。
本屋で。
彼の言う本屋は、おそらく本当にその辺の、なんなら会社のビルに入っている様な本屋だ。
すごいな。
他意はなく、すごいと思ったままを口に出した。
それは伝わったようで、純は特に不機嫌にならず続けた。
一応内容は分かって買ったんだけどね。
ヤホーで調べたんだからそうだろう。
俺なら臆病だからAmazonで他の本と一緒に頼むよ。
彼女に頼まれちゃって、くらいの感じで。と清一が付け足す。純は笑った。
ふふ、という笑い声には悪意も偏見もないようだった。
読み物として面白いよ。
なかなか隣に座らない清一に焦れて、純は立ち上がった。
キヨカズが毛皮のマリーをみて感動したのは、マリーが男娼だからじゃないでしょ。
そんなこと言われるなんて思ったこともなかった。
二人で暮らし始めるよりも前のことだが、同性愛者のシンパシーであの作品が好きなのだと勘繰られたくなくて、清一は純を誘わず一人で観に行った。
ただ、観に行ったあとに戯曲を読み直していて、純がどんな話かと聞いてきた。
そのとき熱っぽく良さを語ったのだった。
純はそれを覚えていたのだ。覚えていてくれたことが清一は嬉しかった。
とにかく、面白いと思う興味と性癖は必ずしも関係ないと言いたいのだろう。
潔癖な純の前で、女性向けの漫画を本屋で買えない自分が恥ずかしくなる。同時に、自分にもできるような気もする。
色々大変なんだね。
その漫画に描いてあるのはゲイへの偏見や周囲の人の葛藤だったはずだ。
それを読めば大変と思うだろう。
でも、知りたいことは描いてなかったな。
知りたいことって?
純はふわりと笑って見せた。
セックスのこと。
照れるそぶりも見せず言い切った。
先日彼が回答を保留にしたのが、答えられる知識がなかったからなのだと分かる。
それで勉強してるって訳ね。
もっと直接的なのを買えばよかったのか、などと言う。
それはさすがに購入のハードルが上がるだろう。買えるもんなら買ってこいと言いたい気持ちは、心の奥にしまった。
純が小さな咳払いで話題を引き戻す。
で、この前の話なんだけど。
おそらく回答を保留にしている件だろうが、本当にそれなのか少し不安になる。
それって、セックスしたいって俺が言った話で合ってる?
確認すると、純は微笑んで頷いた。
そうだよ。
その、そうだよ、がいちいち色っぽいんだよ。ため息が出てしまう。
いいよ。しようよ。
こんなに自然に1週間前の話題を取り戻せれば、違う人生を歩んでいたような気もする。
清一は嬉しいような悔しいような複雑な気分だった。
純はふわりと清一にキスをした。
思えば純からキスをしてきたのは、これがはじめてだった。
「後悔してるから蒸し返してるつもりなんだけど」
純は不満げに首を傾げた。
「あんまりさらっと蒸し返すからな」
「どろどろに蒸し返されたら気持ち悪いでしょ」
妙な表現だったが、彼が彼なりの気を遣っていることは伝わってきた。
それに純から蒸し返してくれなければ、おそらく話題は黙殺されたままになっていただろう。そこまで気遣ってくれているかはわからないが、なんとなく有り難く思えてきた。
「気遣い痛み入るよ」
そう言うと、純はまた首をかしげた。
「それはどうも」
それはそうと、石原の件だ。
自分のビールもなくなったし、帰り支度をはじめる。
「守山くんには何て言ったの?」
まさか同じことを言っているのではないだろうかと不安になった。
「いや、さらっと蒸し返したらって」
「やっぱりそうか」
確かにそれがもっとも直接的な解決なのだ。
「守山くんはなんて?」
純はビールの空き瓶を清一に渡しながら、首を捻って思い出しているようだった。
「できたらやってますって」
長いことアプローチできずにいた守山のことだ。
できたらやってますと、心底思っているだろう。
「でもね」
店を出て、家路を進みながら純が言う。
「嘘と隠し事さえなければ、うまくいくと思うよって、言っておいたよ」
先日も、石原に似たようなことを言っていた気がする。
「お前のすることに悪意はないからな」
嘘は吐いても悪意はない。
必要なことは隠さない。
ただ、うまく表現できずに先送りになることはある。
「うまくいくかな?」
清一が前を見たまま呟いた。
純は少し歩幅を大きくして、視界に入った。
「僕のアドバイス通りにすれば、上手くいくよ」
自信満々の笑顔は、暗がりの中でも眩しいような気がした。
「つまり?」
言外に、幸せなオーラが滲んでいた。
「僕は幸せってこと」
軽やかに前を歩く純の後頭部に、
そりゃあよかった
と小さく返した。
聞こえているのかいないのか、とにかく軽やかに、純は歩いていた。
ご機嫌で何よりだ。
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