[携帯モード] [URL送信]

秋冬春夏(完結)
土曜日のあさ(2)
久我さんが
ちゅーしていいんじゃないかって
いうから!

そう嘆いて頭を伏せた石原を前に、純がこちらに視線を寄越した。
清一は肩をすくめて見せた。


「で? なんだって?」

翌朝。
珍しく自ら朝食の準備をはじめた清一が、ダイニングのイスで膝を抱えている純に聞いた。

「それよりどうしてご飯用意してるの?」

岩木が絶賛する朝食を差し置いて食べたいものがあるのか。

「腹が減ったから」
「なるほどね」

さすがにどんな美味しいものでも空腹には敵わない。

純は清一の手元を見ながら、昨日の石原の話を思い出していた。

「この前、それならちゅーしていいんじゃないかって答えてたんだよね、僕」
「ああ」

その話も最後まで聞いていなかったことを思い出す。
でもそれは純のせいだ。

目玉焼きの完成と共にパンが焼き上がる。
目玉焼きと食パンが載せられた大きくない皿が、純の前に置かれた。

「だからしてみたらしいんだけど」

別皿のサラダとコーヒーも出てきた。
ドレッシングもヨーグルトもマーマレードも出てきた。
そして純の後ろを回って清一が席につく。

純はいそいそと足を床に下ろし、手を合わせた。

「いただきます」

自分が食べたいものを用意するのもいいが、作ってもらうのもいい。
嬉しくて、顔がほころんでしまう。

さらに顔がほころぶポイントがもうひとつ。


清一のトーストはめちゃくちゃ美味い。


小さなことだが非常に重要である。
霧吹きをしてるんだか水をかけてるんだか、これが絶妙なのだ。

さくっ。
ふわっ。
最高。
なんて、幸せ。

純がにやにやパンを噛み締めているのを、清一はあきれた様子で見ていた。
毎度そんなに感動しなくてもよかろう。
というか、ちょっとしたコツなのだから純だってすぐにできるはずだ。
たまの楽しみとして大事にされてるならくすぐったい話だが。

「それでどうなったって?」
「それがね」

ふふ、と笑った純にぐっときたが堪えた。
また先週のようになっては話が進まない。

「守山くんが軽くパニックになっちゃって」

鈍い鈍いと思っていた石原からキスされるなんて、想像だにしなかったのだろう。

「それってなんなのって、聞かれて」
「ああ」
「ちゅーしてもいいのかと思ってと答えたら」
「うん」
「ダメじゃないけど不意討ちは反則だってさ」

正直そんな守山なんて押し倒してしまえばよかったのにと思う。
それは荒っぽいので、清一は別の感想を考えていた。

「押し倒してしまえ、ってのは無しだよ」
「お前」

どうしてわかった、というのも愚問か。
どうせ鼻で笑われるに決まっている。

清一は少し間をとった。

「ずいぶん清いお付き合いなのね」

目玉焼きの目玉を潰した純が、くすりと笑う。

「僕らに比べればね」

そういえば、以前純をからかって自分たちの付き合いを
「清いお付き合いなの」
と聞いたことがあった。

「我々は清くないの?」
「どうかな」

まあ、恋人になるより体の関係の方が先にあったわけだから。
なんと返すか考えながら、清一は純が目玉焼きを食べる姿を見ていた。

半熟にした黄身が、唇の右端に垂れそうになる。

「ん」

純は左手の人差し指を押し当てて、止めた。
人差し指の第2関節辺りまで、黄身が垂れた。
その人差し指を、そっと唇を撫でるように動かして、舌が黄身をすくった。

些細なことだ。
ただ、こぼれそうな黄身を指ですくって舐めただけ。

「見つめられると恥ずかしいんだけど」

純はこちらの気も知らずに、お行儀が悪くてすみませんでしたね、と呟くように言った。

実際、それはほとんど呟きだった。
清一は興奮を抑えるのに必死で、聞いてないから。

ずいぶん間が空いた。

「お腹すいてるんでしょ」

そう純に言われ、いそいそと食事を再開する。

「せっかくのトーストが冷めてしまったじゃないか」
「いいんだよ、毎日食べてるし」

何気なく返した一言に、純が固まる。

「まいにちたべてる?」

裏返った声で聞き返され、相手にとって特別な食べ物だと言うことを思い出す。

「まあ、昼に」
「なんだよ羨ましい!」

純は両手で包むようにしたコーヒーカップの上に頭を垂れた。

「いいな」

呪いのような呟きがしばし繰り返され、もはや石原の話どころではない。

まあいい。
まだ時間はある。

[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!