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秋冬春夏(完結)
9
店を閉め、家までの道をとろとろと歩きながら携帯を確認する。
なんの連絡もない。相手は大の大人だし特に心配することもないが、少し寂しい。

小振りな集合住宅の下から自分の部屋を見上げた。
灯りがついていない。

普段なら、寝るなら寝ると連絡を寄越すから、まだ帰っていないということだろう。

モテて困っているくせに、社交性を発揮することにためらいはないらしい。そうやって働いているのだし仕方がないのかもしれないが、嫌ならやめればとも思う。それに、彼が女性に紳士に振る舞っているのは、少々もどかしい。
本人にその気がなくても、おおいに勘違いされがちなのだ。

みっともないから絶対言わないが、心配はそこそこで、嫉妬が半分以上だ。

玄関に鍵をさして回す。いつも通りにやったつもりが空回りした。開いている。
そっと扉を開けてみた。

「純?」

中に入り玄関の灯りをつけると、段差に座り込んだ純がいた。

「大丈夫?」

小さな声で何か言ったようなので、しゃがみこんで目線を合わせた。

「なに?」

そっと頭を撫でてみる。

「え?」

靴が脱げない?

久我純ともあろう男がそんなことを言うなんて。
信じられず繰り返すと、ますます俯いた。

「仕方ないなあ」

酔っていても記憶はなくさないはずなので、助けて恩を売ることにする。
綺麗に手入れされた革靴の細い紐をほどいてやった。
純は少しだけ足をジタバタさせたが、ピタリとフィットした靴が脱げるわけもない。彼が諦めてここで寝ると言い出さないうちに、足首をつかんで靴を脱がせてやる。

「世話の焼ける子だねぇ」

こんなことを言ったら怒るだろうが、今まさに助けてもらっている純はウルサイと小さく呟いただけだった。

先に玄関を上がり、羽交い締めにしてベッドに引きずっていく。

横になった純はぐっと伸びをした。ふう、という短いため息が漏れる。普段放出されていない色気が今日は全開だった。それだけ飲んだと言うことだ。

「どんだけ飲んだの?」

キヨカズがベッドに腰掛けて聞く。
楽しくてどんどん飲むような性格ではない。押されて飲まされるタイプでもないと思うのだが、どうしてこんなに酔っているのか。

「弊社は見栄と張りでやってるんで」
「お客さんだったの?」

衣擦れの音がする。純の腕が布団の上を滑ってきて、冷たい手がキヨカズを探した。
それを受け止めて、両手で包む。

「いや、ちょっと上の先輩」
「いつもの人?」
「大体はね」

純を気に入っている先輩社員がいるらしく彼らと酒を飲んでくることはよくある。
それでも、たいてい店に寄ってさらに飲む余裕を残してくる。

「お姉様が来てさ」

キヨカズはお姉様という言い方に含まれた負の感情に苦笑いする。
おばさんと言っては失礼だから。

「あの人、絶対僕のこと酔い潰れさせるつもりだった」

酔い潰れさせてどうするつもりなのだろう。キヨカズはそう考えてみてすぐやめた。
純の手の、微かな震えを感じる。

「おかえり」

かける言葉がなかったので、キヨカズは言ってなかった挨拶をした。

ただいま。

少し置いて消え入りそうな返事があり、安心する。
女が色男を酔い潰れさせてすることなんかそう多くないだろう。
キヨカズは言いようもない不安を感じて黙り込んだ。冷たい手は、キヨカズの熱を奪って段々温まる。

やがて純が口を開いた。

「逆に潰そうと思って、頑張ってしまった」

潰されるまいと張りつめていたため家まではなんとかなったものの、気が緩んだら立っていられなくなってしまったらしい。

「なるほどね」

潰されてお持ち帰りされるより、酒を大量に飲む方が生命の危険があるような気がするが、純にとってはそれほど苦痛なのだろう。
そういう意味で負担だろうから、モテないように無愛想にすればいいのにと思う。しかし見栄と張りでやっている会社の社員はそうはいかないのだろうか。いや、もともと女性には優しい。

キヨカズは小さくため息をついた。
純はある種の女性恐怖症なのだ。

「大丈夫?」

小さい声で、うんと言うのが聞こえた。

「怖かった」
「こんなになるまで飲むほどね」

キヨカズの呆れたような声に、純は笑った。

「お前の知らないおばさんに、食べられちゃった方がよかった?」

口調はふざけていたが、手に力が込められていた。

「まさか」

世話焼く方が良いに決まってる。
キヨカズの独占欲だけではなく、傷ついて欲しくないからだ。

純が女性恐怖症になるにあたりいくらかの事件があった。噂で聞いたものもあるし、遭遇したものもあるし、相談されたものもある。

姿が整っているから仕方がない。気の毒だがそれだけは言わせてもらったが、本人もよく自覚しているようだった。
自覚しているというより、そうやって自分を納得させているという方が近い。

「お前は俺のもの」

無意識に呟いていた。

ずいぶん前に、丸一日ほとんど身動きもとれずひたすら嘔吐を繰り返していた姿を思い出してしまった。

二度と見たくない。

何の時だったかなと、純の手を撫でながら記憶を辿る。
確か、学生の頃のストーカーだ。
もちろん純がしていたわけではなく、された側だ。

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