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止まれ


グラスに入った氷がカランと音を立てる。白くて細いなまえの指がグラスを持って揺らしたからだ。そのまま持ち上げ唇に付け、葡萄色のお酒を飲み干した。バーテンダーと目が合うとすぐに近付いてくる。なまえに目をやると白く細い人差し指で飲み干したグラスを指差した。グラスを預かりバーテンダーに手渡しながら、カシスウーロンとあとお冷お願いします、と言葉を添える。バーテンダーは返事をすると仕事に戻っていった。なまえは隣で目を丸くしていた。

「酔ってるの?気持ち悪いの?」

「いやいや。んなわけねェだろ」

「だってお冷頼むからー」

「なまえのだっての」

「まだ大丈夫だもん。ふふ」

そうは言っているが顔どころかストッキングから見える肌まで真っ赤であった。なまえはあまりお酒が強くない。けれど俺に合わせようとしているのか、それともただ自分が飲みたいだけなのか、何杯も飲むのである。さすがに吐くまでは飲まないがこちらとしてはただただ心配で、いくらお酒を飲んでも酔えずにいた。
炭酸が苦手ななまえはあまりサワーを飲まない。すぐにお腹が膨れて飲めないから好きじゃないらしい。けれど、最初の一杯だけは俺と同じようにいつもビールを頼む。ビールも苦くて好きではないらしいが、飲めるようになりたいと前に言っていた。

「すいません、ウイスキーお願いします」

「…ふふ」

「また見てんのか」

「うん。うふふー」

「まあ…嬉しいのはわかるけどよ」

笑うと体温が上がるのか、赤い顔が更に赤くなる。バーテンダーからカシスウーロンとお冷を受けとる。なまえに渡すと嬉しそうに葡萄色の酒を口に含んだ。含んだまま笑うからなまえ特有の笑い声は聞こえなかった。
今日のなまえはとても上機嫌だ。その理由は何なのか先ほど耳に胼胝ができるくらい聞いた。口を開けばその事ばかりで、少しの沈黙も我慢できずすぐに笑い出すのである。
俺のウイスキーが運ばれてきた。それ程待ってはいないが無性に苛ついていた。バーテンダーに対してではない。大きく一口飲むと喉から順に胃まで熱くなっていった。

「ふふふー。きれい?似合う?」

「あーはいはい」

「ちょっとー、ちゃんと答えてよ!でも幸せだから別にいいけどねー」

「…はあ、聞き飽きたっての」

「幸せをお裾分けしてるんですー」

口元を左手で押さえながら笑うなまえ特有の笑い声が響いた。白くて細い薬指に光る銀の指輪が視界に入るたび、俺は眉間に皺を寄せる。指輪だけでそんなに幸せそうに笑うのなら俺がいくらでも買ってやるさ。どんなことをしても買ってやる。指輪だけじゃなくなまえがほしいものなら何だって買うし、求めるなら何だってしてやる。でも俺が何を買ったって、何をしたってきっとなまえはここまで笑わないんだ。そんなこと分かっているさ。なまえをこんな幸せな顔にしてやれるのは俺じゃないんだよな。悔しいのか、悲しいのか、今の気持ちは複雑でうまく表現できない。なまえが笑っていればそれだけで俺も笑えると思っていたが、どうやらそういう訳ではないようだ。俺が笑わせたかったんだ。幸せに、したかったんだ。
時計を見ると深夜一時を回っている。もう今飲んでる酒がなくなったら帰るだろう。葡萄色はコリンズグラス半分、琥珀色はロックグラス六分目くらい残っている。

「なまえ 、幸せか?」

「とっても」

「…そうか」

「銀ちゃんもいい人見つけてね」

「…ああ」

お冷なんて頼まなければ良かった。もっと酒を飲ませて酔い潰れさせてしまえば、なまえを別の男の元へなんか送り出さなくて済むのにな。俺とこのまま消えてしまうこともできたのにな。そんなことをいくら考えたって俺は行動に移すことはできないんだ。なぜなら、なまえのこの幸せそうな顔を壊すことなんかできる訳がないからだ。俺の手の届かないところにいても幸せであってほしい。
けれど今だけは、俺の傍にいて欲しいんだ。お酒がなくなるまで、店を出るまで、送り出すまではどうか傍にいて欲しい。強いて言うなら俺とこのままずっと二人でいて欲しい、なんてな。
ロックグラスに入ったウイスキーを俺は一気に飲み干した。いつもよりも苦く感じた。


時間よ止まれ


131010
一壱子



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