置いてけぼり
散歩していると珍しいというか懐かしい人と出会った。どちらからともなくぺこりと頭を下げ挨拶する。久しぶり。優しい声は相変わらずだった。俺も相変わらずの腑抜けた声で返事をする。隣で歩くなまえは何だか変な感じであった。
沈みかけのオレンジ色の太陽が町を染め上げる。細長い影だけが黒い色をしていた。横に並んで歩くのはどれくらいぶりだろうか。少し距離のある俺たちの影は太陽に照らされ一つになることはない。
「元気にしてた?」
「ああ。お前も元気そうだな」
「うん。今何してるの?」
「聞くなっての」
「ふふ」
右手を口元に当てて笑う癖は変わっていなかった。だからあの頃に戻ったのだと錯覚してしまいそうだった。俺の隣でどんなときも笑って傍にいてくれたなまえ。なまえの傍は落ち着いた。それが当たり前だと感じるようになってしまっていた。なまえが大切だと気付いたのはなまえが去ってからだった。
今隣で歩くなまえはどう思っているのだろうか。あの頃の思い出が蘇ってくるのは俺だけなのだろうか。ちらりと顔を覗くと前を向いて話していた。もうこちらを向いて話してはくれないのか。
「まだあそこに住んでるの?」
「…お前が居た頃と変わってねーよ」
「そうなんだ」
「お前は…」
「何?」
お前の名前を声に出すことを俺は躊躇っていた。なまえとあの頃と同じように呼んでいいものなのか。俺たちの関係が変わった今も名前を呼んでもいいのか。答えの出ない問いはもやもやして胸に留まり続けた。何度なまえと心の中で叫んでもなまえに届くことはないのだ。
お前と呼ぶことに違和感はあるが笑っているなまえはこのままでいいのだと答えてくれているようだった。名前を呼ぶことはもうこれから先ないかもしれないのだから。
なまえの左の薬指に光る指輪を見つめながら言う。
「結婚したのか?」
「する予定」
「ふーん」
「かっこいい人だよ」
「はいはい」
話を流すふりをする。ぐさりぐさりと胸に突き刺さるような痛みが走った。照れくさそうに笑うなまえは昔と変わらず手で口元を覆う。その仕草は変わっていないのに隣をあるくのは俺じゃないのか。
楽しそうななまえを見ていると置いて行かれた気持ちになる。俺の心はまるであの頃と何も変わっていないのだ。なまえは俺を置いてどんどん先に進んでいる。
なまえに気付かれまいと笑顔を顔に貼り付けた。今の彼氏との惚気話を笑って聞けるようにするためだ。
「ねえ」
「なんだ?」
「…なんでもない」
「そうか」
「…うん」
「今の彼氏と仲良くな」
「…ありがとう」
にっこり笑って俺の行く道と違う道を歩き出した。またね。手を振って歩き出すなまえはあの頃のように振り返ったりはしないだろう。なまえの背中が消えるのを待たずに俺も俺の道を歩き出した。
未だに痛む胸は今の気持ちを伝えなかったからなのか、それともあの頃を思い出したからなのかはわからない。けれど俺も止まったままでは行けないんだとなまえに会って思えた。前に進むんだ。
置いてけぼり
痛くても進め
120607
一壱子
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