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記憶喪失 彼女


ただの散歩だった。散歩はもちろん定春ので神楽ちゃんも一緒だった。天気も良く気分も良く絶好の散歩日和だ。仲良く手を繋いでお母さんみたいな気持ちになった。いや、年が近いからお姉ちゃんのほうが正しいかもしれない。定春の散歩コースはどうやら決まっているわけではなく気分で変えるみたいだ。あっちに行ったり、こっちに行ったり、そっちに行ったりと元気良く走り回る少女と巨大犬の体力に私はついていけなかった。年の差はあまりないはずなのに私の体は老いていた。

「なまえ、乗るアルカ?」

細い路地に入り、気付いた神楽ちゃんが定春の背中に乗せてくれた。ふわふわ。もしも雲を触れるのならこんなに柔らかいのだろうな。思わず顔を定春の背にこすりつけたくなった。温かな体温が伝わりとても安らぐ。私の前に神楽ちゃんが座り、行くネ!定春!と叫ぶとそれに応えるかのように一吠えした。

「う、あ!」

予想以上に揺れる。あの大きな体が動くのだからその振動も激しいだろうとは思っていたがこれほどまでとは予想していなかった。慣れない私は揺れるがままであった。必死になって手に力を入れ足に力を入れしがみついていた。だが、堪えきらなかった。するり、と私の両手から白い巨体が離れる。足も同時に離れる。つかまるものがなくなった私は自然に後ろへ傾いた。路地から私は通りに投げ出される。揺れた頭のせいで何が起きているのかが分からない。聞こえてきたのは車の音と神楽ちゃんの絶叫。見えているのは一瞬の青い空と茶色の地面。意識が遠のいた。





目が覚めるとそこは白い部屋だった。数回瞬きをして夢かどうかを考えた。‥うん、現実。だんだんとはっきりしてくる頭のおかげで病院にいるのだと理解した。そして、交通事故にあった、とも分かった。包帯が巻かれ怪我をしているが麻酔が効いているらしくちっとも痛くはなかった。
気になるのは神楽ちゃんだ。自分を責めていなければいい。怪我をしたのは神楽ちゃんのせいではないのだから。誰も神楽ちゃんを責めはしない。私だって怪我くらいじゃ怒りはしない。そんな人間が小さくはないのだ。怪我なんて病院で遊ぶのを我慢してゆっくりしていれば治る。何も心配することはないのだ。だから、

「泣かないで」

ベッドの横でときたま鼻を、すん、と鳴かせながら泣いていた。神楽ちゃんは静かに泣いていた。両足にある違和感が分からないほど鈍感ではない。泣く理由が分からないほど馬鹿ではない。起きた私に気付いた少女は私に謝罪の言葉を言った。怒ってないから謝らないで。泣き声混じりの言葉は私の心臓を握る。
ああ、私はもう彼の隣りを歩けない。それだけが苦しい。辛い。悲しい。悔しい。太陽のような銀ちゃん。愛おしい人。私はあなたにふさわしくない。あなたは笑って「気にすんな、俺のがある」って言うでしょう。でも私に合わせる必要はないのだ。銀ちゃんは銀ちゃんで生きてほしい。歩いてほしい。私以外の人の隣で。
病室が静かに開かれた。現れたのは黒髪の少年と私の愛してやまない人。目が合わせられなかった。彼を苦しめたくなかった。だから私は最初で最後の人生最大の嘘を吐きました。


記憶喪失


だれ



091104
一壱子



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あきゅろす。
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