Tricksters
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 寧が個室に入ったすぐ後、誰かがお手洗いにやってきたようだ。道具を動かすようなガタガタという音がしているので、清掃員かもしれない。そう思い、寧が急いで事を済ませ、個室を出ようとしたその時だった。

 ――突然、頭上から大量の水が降ってきた。髪の毛からハイヒールに至るまで水浸しになった寧は、呆然として上を見やる。サッと引っ込んだ水色のバケツを見て、“あぁ、誰かにやられたんだ”と、何故か冷静に思った。

 すると、壁の向こうから声が聞こえてきた。寧のよく知る男ウケしそうな外見の女の、砂糖を煮詰めたような甘い声が。



「……お姉さん、びっくりした?でも、お姉さんが悪いのよ?あたしに嘘なんてつくから。」



 初めて会った時のような、甘えた話し方ではない。彼女、但馬えれなは、一枚の壁越しにクスクスと笑った。

 “嘘”、という言葉が胸に痛い。やはり、えれなは怒っていたのだ。寧が咄嗟に口にしていた、あの言葉を。



「……“弟みたいなもんだ”って言ったクセに!!あいつのこと、最初から狙ってたんでしょ!?あいつに好かれて優越感でも持ってたわけ!?邪魔なあたしを蹴落とせて、あんたは嬉しくて仕方ないでしょうね!!」



 えれなの声にまとわりついているのは、隠すことの出来ない、爆発した怒り。あぁ、こんなに純粋な子を傷付けてしまった……そう思うと、寧は何も言えなくなった。



「そっちがその気なら、こっちにも考えがあるんだから。覚えてなさいよ。あたし、自分を馬鹿にする奴は絶対に許さないんだから。
……あんたなんか、“トークの下手さを体でカバーしてる”って言ってくる奴らと同じよ。良い人みたいな面して、ほんっと最低!」



 慌ただしい音がして、足音が段々小さくなっていく。それが消えた後、寧は力なく、壁にもたれかかった。

 ――傷付けたくないと思った結果が、これだなんて。一体何をやっているんだ、自分は。

 溜め息が、冷たく薄暗い空間にこだました。寧はゆっくりと、お手洗いを後にする。濡れた体を気にかけることもなく、和洋達に何も言わず、会社にも戻らずに、そのまま帰宅した。


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