Tricksters
137
「……いけない、いけない。仕事にプライベートを持ち込まないようにしないと……ていうか、私をからかうヤス君も悪いわよね。」



 ブツブツ言いながら歩いていると、後ろから「寧ちゃん!」という声。自分を呼ぶその甘い声の持ち主は、顔を見なくてもすぐに分かった。



「ヤス君、どうしたの?私、取材中に何か聞き漏らしてた?」

「そうじゃなくて……ちょっと言い忘れてたことがあってさ。」



 金色の髪を手で直しながら、和洋が言う。グレーの瞳に捉えられ、ドキリとしたのも束の間。耳に寄せられた唇から、静かに言葉が吹き込まれる。



「……また今度飯作ってよ、って言い忘れてたんだよね。ウマかったよ。」



 ――わざわざ耳元で言うことじゃないだろう。そう思った寧だったが、ここが二人のプライベートスペースでないことを思い出して、仕方なく納得する。

 それにしても、彼の声は色んな意味で心臓に悪い。甘いトーンは時に優しく、時に意地悪く、脳を刺激してくるからだ。不覚にも、ここで触れて欲しくなってしまう。




「ごめんね、これ言うためだけに引き止めちゃって。」

「そ、そんなことない!
……ありがとうね。また張り切って作るから、楽しみにしておいて!」

「ん、分かった。」



 満足げに微笑んだ和洋は、寧の頭をクシャリと撫でる。「ヤスー、早くしろよ」というハスキーボイスが廊下に響くと、「はいはーい!今行きますよ!!」と返し、手を振ってくれた。

 和洋が去った後、幸せを噛み締めながら帰社する寧。その後ろ姿をあの但馬えれなが見つめていたことに、彼女は全く気付いていなかった。えれなの怒りと悲しみが宿った瞳にも、勿論。


[*back][next#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!