魔法先生ネギま!
アヲイトリ(ネギま/美砂夢)
「太郎〜! もう聞いてよ〜〜!」
夕暮れを過ぎて、夜。もはや来客の気配も途絶えたはずの時間だ。
山田太郎の住まう寮の一室、その玄関を叩く者がいた。
ウェーブがかった長髪は腰を越えるほど。すらりとした手足は歳相応に細く、しかし年齢以上の端正さを感じさせるほどに長い。
それは決して不健康さを抱かせるものではない。ほどよく引き締まった、健康的な体躯だ。
そんな少女が、開かれた玄関から勢いよく駆け込んでくるのを太郎は胸で受け止めた。勢い余る直撃だった。むせた。
「ってえの……。ああ、泣くな喚くな近所迷惑だ。人の服で鼻かむんじゃねえよバカ美砂」
「うう、太郎ってば冷たい……。こういう時は何も言わずに泣かせるものじゃない?」
「こんな時間に飛び込んできて都合いいこと言ってんじゃねえよ、ったく」
「そんなだからモテないのよねえ」
「張り倒すぞテメエ」
言いながら、太郎の指が珍客にして友人、柿崎美砂の額を弾いた。
ほんのりと紅くなった、トレードマークともいえるおでこを恨めしげにさすりながら。美砂は室内へと歩を進める。足先に迷いはない。まさしく勝手知ったるという様子だ。
「今日は飲むわよー! もう、じゃんじゃん飲む!」
「ジュースをな未成年。……で、その心は?」
「……話せば長くなるんだけど」
「男にフラレた?」
美砂が押し黙る。図星だった。
「お前がウチに駆け込んでくるのってだいたいそれだしなあ」
「……そんなに頻繁じゃ、ないし」
「初等部ん時の、あれ、K介くんが最初だったかな」
「あー! なんでそういうどうでもいいことばっか覚えてるかなー!」
どたんばたん。夜の一室に喧しい音が響く。
スリッパどころか靴下もない。素足で駆け回る、子供の時間。
「――で、さあ」
「おう」
「なんか、私といると、重いんだってさ」
「へえ」
「聞いてる?」
「それなりにな」
愚痴と共に夜が更けていく。
太郎と美砂、二人が床に直接、テーブルを囲んでからしばらくが過ぎていた。美砂の使うクッションはいつの間にか部屋に常備されたものだ。
ダン、と美砂がカップの底でテーブルを叩く。アップルジュースが淵からすこし散った。
「なーにが重いよなにが! そりゃあ桜子とかの方が体重軽いかもしんないけどね!?」
「お前のがタッパあるもんな」
「そーそー。桜子は天然タイプだし。私はね、これでももう色々やってんのよ。パックとか」
「ははあ、美容健康」
「そ。美容と健康」
わずかに言葉が途切れる。何かを迷うような間があった。
太郎は何も言わない。話を聞いているのいないのか、漫画雑誌を緩慢に手繰る。
自分で言うのもなんだけど、と美砂が前置きして。
「……私、同年代じゃ、けっこうイケてる方だと思う、のよね」
言葉に、太郎の手が止まる。
「本当に自分で言うことじゃねえな」
「……いや、まあ、そうだけどさ」
太郎を見る美砂の眼は据わっていた。
酔っているワケではない。眠いのだ。夜も遅い。美容には悪い。
「そこは、もう少し、こう、慰めというか同意の言葉をね?」
太郎は応えない。じっと美砂を見つめて、面倒そうに息を吐いた。
両手に抱えていた漫画雑誌を適当にほうって。
「――え」
空いた片手で美砂の手を引く。
自然、美砂の身体は太郎の胸に収められる。勢いはない。痛みも伴わない。
もう片方の手が美砂の頬を淡く撫でた。
ぞくり、と。美砂の背に痺れが走った。
「ああ。――お前は世界一、カワイイよ」
間抜けな音が、美砂の喉から漏れた。
予期せぬ言葉、予想だにしない体勢。まったくの無防備に、言葉は美砂の脳髄を直撃した。
太郎だ。山田太郎なのだ、相手は。
長い付き合いがある。互いに15歳程度だが、古い友人だ。気兼ねなく接することができる。いよいよ思春期に差し掛かる年齢としては、希少な異性なのだ。
――異性、だったのだ。
「……おい、なんだそのツラ。笑えよ。冗談だよ」
「あ、うん。冗談。冗談、よね」
引き寄せられた身を起こして、美砂は乱れた髪を手櫛で直す。半歩、太郎から距離を取って。
美砂がテーブルの上に手を伸ばす。透明なカップ。よく冷えたアップルジュース。
触れれば、指先がひやりと。唇を付ければ、喉が冷える。
「おい、それ俺の」
むせた。咳き込んで、咳き込んで、咳き込む。
親の仇であるかのごとき勢いでカップをテーブルに叩きつけて。
はたと、二人の視線がぶつかった。
「……ちょ、ちょっと。ちょっと、タンマ」
美砂の顔は、チャームポイントのおでこまで紅かった。
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