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魔法先生ネギま!
Bibliophilia(ネギま/のどか夢)

 ――本の香りがする。
 その色合いは一歩を踏むごとに変わっていく。本棚によって、本によって違うのだ。
 新しい本の香りがする。無色透明、けれど爽やかなものを確かに感じる。
 古びた本の香りがする。多くの時間、多くの読み手の混ざり合った多彩な色を嗅ぎ取れる。

「やっぱりいいなあ。図書館って……」

 ぽつりと、こぼすように呟いて。宮崎のどかは図書館島の表層、その通路を歩いていた。
 図書館島。
 莫大という言葉でも言い表せないほどの蔵書量を誇る一大施設。関東最大の学園都市たる麻帆良学園、その沿岸部に浮かぶ巨大図書館である。
 下層部ともなれば未知の領域、相応の装備を整えた図書館探検部員でもなければ容易には踏み込めないが。
 表層部であればその心配もない。一般的な図書館と同じように利用することができる。
 それゆえか、のどかの足取りは軽い。慎重に探るような様子もない。純粋に、読書を楽しむ少女の歩調だった。

「あっ……」

 カツン、と踵が鳴った。
 図書館島の本棚は背が高く。合わせて、天井も高い。音は遠く反響して霞んでいく。
 それでいて、のどかの視覚が輪郭を確かにする。
 視線の先にあるのは一つの大机。図書館を利用する者ならば誰でも腰を落ち着けることのできる椅子に座るのは。

「今日も、いるんだ」

 青年がいた。
 姿勢が悪い。うずくまるように丸まった背。鼻先で本に触れようとするほどに紙面へ接近し。その瞳が忙しなく文面を追っている。
 大机にはうず高く詰まれた本の山が鎮座する。ハードカバーとペーパーバック、大柄なものから文庫本まで種々様々だ。

「今日もすごい量、読んでるなあ……」

 初めて眼にしたのは、あるいは、初めて図書館島に足を運んだ日だったかも分からない。
 詰まれた図書に囲まれた偏読家。の、青年。

「図書館島に来ると、いつもいる、よね?」

 最初は何か調べものをしているのだと思った。
 なにせ重ねた本の量たるや。遠目には青年が隠れて見えなくなっているほどだ。それほど熱心な収集をしているのだと誰もが思うところだろう。
 だが、違った。詰まれた本の背表紙をそれとなく見てみれば、なんの繋がりも見受けられない。
 取り扱うジャンルもバラバラなら。資料集やら小説やら、本としての方向性もまるで統一されていない。

「何か目的があるんじゃなくて、本を読みたいだけだって、夕映は言ってたけど」

 呟いて、のどかは考えてしまう。分かるような、分からないような。
 本が好きで、本を読むのが好きで、本を集めるのも好きで。そういう嗜好はのどかにもあるところだ。
 そのためなら寸暇を惜しみ。時には没頭のあまりに周囲が見えなくなる、時間を忘れてしまうこともある。

「この人は、すこし、すごいけど」

 宮崎のどかという少女一人が大机の反対、向かいの席に腰を落ち着けたところで気にする素振りすらない。
 没頭している。凄まじく集中している、熱中している。
 ページをめくる勢いも常人より格段に早かった。速読というものだろう。ゆっくり、じっくりと本を味わいたいタイプののどかとしてはあまり好ましい読み方ではないけれど。

「――分からん!」

 不意に、バンという音。そして大声。のどかの肩が思わずビクリと跳ねる。
 音は、本を力強く閉じたものだった。のどかの正面、速読の青年が読んでいた本を叫びと共に閉じたのだ。

「何度、どれほど読んでも理解できん。ワケが分からない。世にはびこる不明不理解は本を読めば解決するもの。本とはつまるところ人類が有史以来積み上げてきた知識の集積であり、読み手の蒙を啓くものだ」

 青年は、本を閉じたまま、視線を手元に落として何事かを呟く。丸まった背、一点を見つめて動かない瞳では、それはまるで呪文を繰る悪しき魔法使いのごとく。
 のどかは思わず、座る背をすこし引いた。
 それも関せず、青年が続ける。

「だのに、これが分からない。俺とて非才なりに書を重ね、知恵を積んだつもりだ。それに見合った程度の能はあると自負もする。事実として、本を読む上で不自由を感じることもそうはない。あったところで即座に学習すれば済む話だ」

 青年が、苛立たしげに爪で机を掻く。カリカリと神経質な音が静けさに満ちた図書館島表層部に響く。
 分からん、と。呟きの中で次第にその言葉が増えているのをのどかは察した。
 本を読んでいて分からないことがあった。だから別の本でそれを調べる。それはのどかにも覚えのあることだ。

「何か、分からない、のかな?」

 ポツリとこぼれた声はかすれて消えるようで。開いた本に落としていた視線を、すこし上げて、のどかが青年を窺う。
 それがいけなかった。青年が、唐突に、弾かれたように顔を上げたのだ。
 すれば正面、窺うのどかと眼が合った。のどかには予期していなかったことだ。驚き、慌てて眼を伏せる。

「――……」
「……、……ぁ、ぅ」

 眼を逸らされたのにも構わず、青年は真っ直ぐにのどかを見据えたまま動かない。呟きもない。
 対して、のどかも俯いたまま動かない。元より対人関係に不得手なのだ。名も知らぬ相手――しかもやや常ならざる人物に――眼を向けられては縮こまることしかできない。
 何かを言おうと、聞き返そうとするが言葉にならない。ひどくか細い、喘ぎじみた音がわずかに漏れる。

「うん、君でいいか」

 また、動いたのは青年だった。
 青年が、のどかへ。言葉を投げかけた。

「君、俺と付き合ってくれないか?」
「……、……へぇ?」

 それは思いがけない言葉だった。思ってもみなかったものだ。

「へ、え、と。ど、どちら、ですか……?」

 のどかは、聞いた言葉が上手く理解できなかった。聞こえただけで飲み込めない。
 ともすればもつれそうになる唇を必死に動かして、率直な疑問を絞り出す。長い前髪に隠れた可憐な容貌は緊張と羞恥からすっかり紅く染まっていた。
 青年が怪訝そうに眉をひそめる。

「どちら? いや、どこに行こうというのでなく。男女の交際の話だ。異性交遊、恋愛小説」
「……だ、だぇ」
「君が、俺とだ」

 誰、と上手く言えず。紅さを増したのどかの頭が殊更に茹で上がった。
 予期せぬ言葉の波状攻撃は、まるで夢を見ているようだった。唐突にすぎる出来事は非現実的極まりない。
 宮崎のどか、14歳。人生で初めて受けた異性からの告白だったのだから。
 その声はいよいよ消え入るようで。私、という一言を返すのにのどかは一生分の力を振り絞ったような心地になる。
 青年が頷く。

「うん。いや、実際のところ、君である必然性はないのだが」

 また、思いがけない言葉。のどかの頭はいよいよパンクする。現実が物語であったなら、きっとその頭からは煙が噴き出ていたに違いない。
 構わず、青年が続ける。

「これほどに本を積んでいてなんだが。恋愛というのがな、俺は分からんのだ」

 すこしだけ、面映げに青年が表情を崩す。のどかは少しだけ呼吸ができた。

「俺は本ばかりで、人付き合いの乏しい男だがそれなりに物事は知っているつもりだ」

 だが。

「恋愛だけはさっぱり分からん。男女の趣一つでなぜそこまで一喜一憂できるのか。命を賭するのか。漱石の『こころ』などまるで理解できん」

 だから、と青年が――山田太郎という名をのどかは後で聞く――言葉を続けていく。

「本からの知識でなく、実際に経験してみようと考えた。が、先に述べた通り、俺は人付き合いが乏しい。これという相手が思いつかないんだ」
「え、と。それで」
「うん。悩んでみれば、目の前に君がいた。ああ、考えてみればここで時折見かける顔だ。覚えがある」

 また、のどかは顔に熱が集まるのを感じた。なんともいえないむず痒さが背を走る。

「どうだろうか。君、うん、名前も知らないな――とにかく、俺と付き合ってみてくれないか? 俺は恋愛というのがどういうものか知りたいだけだ。君に危害を加えるつもりはない」

 言葉を聞いていると、頭で考える自分とは別に、ひどく落ち着いた別の自分が胸に生まれたような。のどかはそんな心持ちになっていた。
 この人は本気で言っているのだろうか。からかっているのだろうか。視線はひどく真っ直ぐだ、悪気があるようには思えない。けれど、やはり非常識であることに変わりない。
 思考という文章が膨大なまでにのどかの視界を埋め尽くしていく。自分の内から生じたものなので読むのは手間ではない。ただ、飲み込みきれずに混乱するだけだ。

「私――私、は」

 のどかは混乱そのままに、あるいは冷静に考える。
 ――なんと言おうか。
 受け止める? 突き放す? 信じる? 疑う? 無視する? 訴える?
 溢れるほどに浮かぶ言葉へ添削と修正を繰り返す。自然、図書館に沈黙が戻ってしまう。どれほど忙しなく頭脳を動かそうと現実の時間は無常にも流れていく。
 青年は何も言わない。静かにのどかを見つめている。

「……あ」

 ふと、のどかの眼が本に留まる。青年が横に積み上げた大量の本たちだ。
 本の香りがする。多くの時間、多くの読み手の混ざり合った多彩な色を嗅ぎ取れる。
 そこに、青年の匂いが新しく加わっている、ような気がする。
 ただ、青年が本を愛し。読書を愛しているのは分かる。知っている。
 ――ずっと見ていたのだ。彼が毎日のようにこの図書館島で数多くの本を読み耽っていたのを。

「あの」

 だから、これを訊ねようとのどかは思った。
 答は分かりきっている。それを聞いて、自分がどう思うかも分からない。
 顔が熱い。正面から言葉を交わすのも躊躇われる。
 でも、けれど。言う。

「本、お好きなんですか?」

 それは、ずっと聞いてみたかったこと。いつも図書館にいるから気になっていたこと。
 人一倍に本を愛する宮崎のどかは信じている。
 ――本を好きな人に悪い人はいない、と思う。
 問いかけに、青年、太郎はこともなげに口を開いた。





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