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短篇集
人の恋路がどうとやら(アサルトリリィ/神琳夢)


 寒風が吹く。
 季節らしく、青色の懐かしくなった鈍色の空を軽く仰いで息を吐いた。白く煙る息が慰め程度に口先を暖める。
 小銃を離さないまま、指先に力を入れて、抜く。これを繰り返す。寒さにかじかんだ手指がいざという時に動かない、なんてことのないように熱を留めておくためのストレッチ、のようなものだ。
 一際強い風が廃墟となった市街を抜ける。吹きさらしの身体がぶるりと竦んだ。
 寒い! などと大声を上げたくもなったが、今は警戒中だ。そんなことをすれば敵を――ヒュージを招きよせてしまうかもしれない。
 そう考えれば必死に奥歯を噛んでこらえる他になかった。自分ごときではヒュージに抗することさえできないのだから。

「冷えますね?」

 冷たい風に軽やかな声が混ざった。ガレキの崩れる音を聞き違えたかと疑ったが、そうではないとすぐに思い直す。
 振り向き見れば、寒空と寂れた廃墟の灰色よりもずっと濃い黒だった。一見すれば味気ないようで、しかしはっきりとした黒色は自己の存在を強く訴えかける。それは眼の覚めるような黒だった。
 亜麻色の髪の少女だ。赤色と金色、ルビーとトパーズを思わせる虹彩異色。寒空の下、周囲を警戒すべき時間帯にも関わらず湛えた微笑が優雅に映る。
 リリィだ。膨大なマギを保有し、決戦兵器CHARMでもって敵性体ヒュージと戦い、これを撃破することのできる唯一の存在。
 防衛軍の一兵卒にすぎない山田太郎では自然と姿勢を正してしまうような相手だ。寒さに丸まっていた背筋がぐいと伸びる。
 そんな太郎の態度に、リリィの少女――郭神琳はくすりと笑みを深めた。

「別に、そのような態度を取らなくても、取って食べたりはしませんよ?」
「いやいや、自分らみたいなのからすればリリィってそういうもんスよ」

 態度とは裏腹に太郎は気の抜けた軽口を叩く。
 それもそのはず、太郎の配属は鎌倉府、百合ヶ丘女学院の近郊であり、自然と百合ヶ丘のリリィと顔を合わせる機会も多い。すれ違えば挨拶をし、時には共に作戦行動を取ることもある。すればいくらかの顔馴染みもできるというもので。郭神琳はまさしくそんな見知ったリリィの一人だった。
 正面に立つ神琳には眼を向けず、警戒を怠らないまま太郎は会話を繋ぐ。

「今は休憩の時間でしょう。こんな警戒網の端っこまで来てていいんですかい?」
「私たちが休息を取っていようとも、それはヒュージには関わりないこと。ヒュージが出現したならばすぐに対応する必要があるのですから、どこにいても同じですわ」

 言葉の正しさを証すように、神琳は堂々と言い放つ。理路整然、泰然自若。およそ年齢相応とは言いがたい肝の据わり方に太郎は思わず息を吐いた。口元がふわりと煙る。
 それを見て、神琳はまた笑みを深めた。

「なので、はい、これを」

 言って、差し出されたのは小さな巾着袋だった。
 太郎が受け取ってみれば、わずかな重みがかじかんだ指先に負担をかける。すこしばかりしっとりとした重さだ。

「開けても?」

 問えば、神琳はにこやかに頷いた。開ける。

「……おにぎり?」
「はい、おにぎりです」

 鸚鵡返しにされた言葉に若干の困惑を覚えつつ、太郎は手の中でやや小柄なおにぎりを弄ぶ。
 右から見る、三角のおにぎりだ。左から見る、三角のおにぎりだ。小さなボックスに詰め込まれていたためにすこし角は潰れているが。

「食っても?」
「もちろん、差し入れですので」
「あー、差し入れ。差し入れね……」

 その一言に納得し、太郎はおにぎりを一口頬張った。
 もち、もち。当然として、握られてから時間が経っているのだろう、冷えた米は粘つきすぎず、しっかりとした食べ応えを感じさせる。
 手作りの妙というべきか、市販品とは何かが違う。冷えているにも関わらずどこか温かい。人の手の温もりが込められていた。
 具材の梅干までぺろりと平らげる太郎を前に、神琳は小さなポットを取り出した。

「そいつは?」
「魔法瓶です。こちらもどうぞ」

 差し出されたカップが真っ白な湯気を立ち昇らせる。一つとはいえおにぎりを食した腹に爽やかなお茶の香りは殊更に魅力的だった。食欲を掻き立てられる。
 受け取ったカップの外縁は冷たく、しかし神琳の指先の触れた部分だけはほんのりと温かかった。

「……ん、うまい」
「ありがとうございます。まだありますからね」

 鈍色の空の下にあってなお、神琳の笑みは晴れ渡るようだった。
 今がヒュージとの戦いで得られた余暇であり、彼女が命懸けで戦う少女であることも思わず忘れそうになる。いや、あるいは年齢相応のものではあるのかもしれない。
 二つ目のおにぎりを咀嚼しながら太郎はそんなことを考える。
 それを察したのかどうか、神琳が白い言葉を口にする。

「軍旅は舒を以て主と為す、舒なれば則ち民力足る。と言います」
「は。ううん、あー、……なんて?」
「軍旅は舒を以て主と為す、舒なれば則ち民力足る。です。」

 太郎の間の抜けた応答に、神琳はそのまま同じ言葉を繰り返した。
 繰り返されたところで太郎には言葉の意味など理解できない。そんな相手の顔がおかしかったか、神琳がいたずらっぽく笑う。

「舒、というのは、そうですね。長ぁく伸ばす感じです。ぐにょっと」

 こんな風に、と神琳は両手で餅を伸ばすようなジェスチャーを取る。落ち着いた、大人びた雰囲気がいくらか和らいだような、不思議な印象を与える。

「伸ばす、のびのびと、ゆっくりと。そういうニュアンスですね」

 つまり、と人差し指を立てる。

「軍を動かすのであれば急がず、焦らず、適度に緊張を解しながら進むのが望ましい、という意味です。そうすれば万全の力で敵と相対できるという考えですね」
「……あー、つまり、こうやって握り飯を食って?」
「はい。緊張感は常に必要ですし、周囲の警戒も大切です」

 ですが、と神琳は続ける。

「それで精神的に疲弊してはかえって自身を、仲間を危険に晒してしまうこともあるでしょう。舒を以て、ですよ太郎さん」

 それで差し入れか、と太郎は静かに納得する。
 おにぎりを噛み、お茶をすすり。ふと気づけば、油断なく巡らせていたはずの視線も今は神琳に向けられていた。
 しまった、とも思わなくはないが。事実として肩の力は抜けていて。また腹の内の重みは熱へと変わり活力を生む。コンディションは確かに改善されていた。

「参るね……」

 こぼした言葉は米粒諸共に飲み込んでしまう。神琳には届かなかっただろう。
 代わりというように、太郎は片手を差し出した。

「ええと、なんでしょう?」
「俺ばっか食ってんのもアレですし?」

 太郎の手には小さなボックス、おにぎりの最後の一つだ。
 予期せぬ申し出だったのか、神琳はぱちぱちとオッドアイを瞬かせる。ふと、笑って。

「では、ご相伴に与りましょうか」
「用意してくれたのはそっちですけどね」

 かぶりついた神琳の一口は、おにぎり一つを食べ終えるのにもひどく時間のかかりそうなほどに、控えめなものだった。


          ◆


「あ、おかえり神琳」
「はい、ただ今戻りました」
「なんじゃ一人でふらふらと。どこ行っておったんじゃ?」
「あらミーさん、そういう詮索をすると馬に蹴られてしまいますよ?」
「……、……馬? なんで馬なんじゃ……?」




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