短篇集
溶けちゃいそう(とじとも/美炎夢)
山田太郎は悩んでいた。
スマートフォンから聞こえる言葉に耳を傾け、視線は窓の外、鈍色の空へと向けられる。
うーん、と軽く唸って。
「やっぱメンドクセえわ。なあ美炎、雨に降られたからってなんで俺がお前のお迎えに行かにゃいけねえんだ」
『えー!? なんで、いいじゃーん!』
音が割れるほどの大声に太郎も思わず耳からスマートフォンを遠ざける。
それでも相手の声ははっきりと聞き取れた。
『お願いだってばー! せっかくアイス買ったのに夕立にあっちゃって、このままじゃ溶けちゃうじゃん!』
「早く帰らないとなー」
『でしょ!? だから傘もって迎えに来て!』
「たりい」
きゃんきゃんとかわいらしい罵倒を並べる友人、安桜美炎からの通話を聞き流しつつ。太郎はもう一度外を見る。
ぱたぱたと大粒の雨が休む間もなく窓を打つ。どんよりとした空は重苦しく、それだけで湿った溜息を吐きたくなる。
すでに日も大きく傾き始めた時刻だ。雲と大雨、つまりは夕立に遮られて随分と薄暗く感じられた。
『おーねーがーいー! あとでなんでも言うこと聞くからさー!』
「……なんでも、ねえ」
ピンク色の考えが太郎の脳裏にチラついて、すぐに振り払われた。ダメだダメだ、ばかばかしい。
「走ってこいよ、なせばなるんだろ?」
『ならない時もある!』
「力強い断言をありがとよ。じゃあアレだ。刀使らしく、ほら、瞬間移動で」
『迅移は御刀がないとできないし……。っていうか、荒魂が出たワケでもないのに使ったら怒られちゃうってば!』
むしろなぜ刀使が御刀を持たずに外出したのか、太郎には疑問だった。
ほんのすこしの外出のつもりだったのだろうが、出先のコンビニが荒魂に襲われていたらどうするつもりだったのか。
「アイス、今食っちまえよ」
『……けっこう買っちゃったから』
「あ? 何人分だよ?」
『私と、可奈美と、舞衣と、ふっきーと、ちい姉と。あと十条さんのチョコミント。を全部で三日分!』
「買い過ぎだバカ! いや、アホか? あほの!」
『あほのじゃなーい! みーほーのー!』
「っつうか俺の分買ってねえクセによく俺に助けを求められたなテメエ……!」
その後もスマートフォンを相手に二、三の言い合いをして。太郎は大きく息を吐いた。
言いたいことは総て言った。当てつけめいた罵倒も出し切った。
だから。
「……まだすこし雨脚強えから、もうすこし弱まるまで待ってろ。そしたら行ってやっから」
『……えっ、来てくれるの?!』
「なんでそこで驚くんだよ、お前」
結局は。自分は美炎に甘いのだと、太郎は皮肉げに自嘲する。
安桜美炎という少女は無邪気で天真爛漫、ころころと表情を変える様がおかしく、また愛らしい。
そう感じること、その感情がどういったものかは太郎自身も未だ測りかねている。兄と妹のようなものか。あるいは。
ともあれ、天候の調子を見計らい、一本の傘を余分に持ち。太郎は雨天の中へと踏み出して――。
「あ、おかえり太郎! いやー、実は電話の後にちい姉とばったり会っちゃってさ。傘に入れてもらって帰ってこれたんだー!」
まったくの入れ違いとなったのだった。
行った先のコンビニに目当ての少女はおらず。あまつさえ徒労を嘲笑うように雨脚は極端に強さを増して。
ずぶ濡れの足を引きずり、ほうぼうの体で帰還した太郎は報復とばかりに美炎のストロベリーアイスを略奪した。
甘酸っぱい味は妙に爽やかで、変に小気味良いものだった。
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