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短篇集
紅差す頬の虎模様(軍神ちゃんとよばないで/虎千代夢)

「あー、太郎だー」

 越後の山城、春日山城の一角、城主たる上杉謙信虎千代の部屋の襖を開ければ、むせ返るような酒気に眩暈がした。
 太郎は軽く眉間を押さえて、虎千代に向く。

「虎千代さん、虎千代さん。ちょいと飲みすぎじゃあないでしょうかねえ?」
「だーって、今日は寒いしさー」

 言って、虎千代はまた一口酒をすする。もはや杯に注ぐことさえしない、酒瓶から直接だ。
 あまりのだらしなさに、小姓といえど頭を抱える。寝巻きのまま、布団にくるまって昼時から酒を飲む。そんな城主がどこにいる。ここだ。

「せめて着替えるくらいしましょうや……」
「えー」

 むくれる虎千代の顔は傍目に分かるくらいに紅くなっている。舌足らずになっているのも酔いの証左だ。
 視線を合わせるように太郎が屈めば隙間風に足元を冷やされた。確かに今日はよく冷える。酒を飲んで温かくしよう、というのも悪くない。

「つっても? そいつは昼時からやるもんでもねえですし?」

 何より。

「あんた、温まろうが何だろうがどうせ何もしないでしょうが」

 そうだ。
 彼女は確かに春日山城の城主で、越後国主で、諸侯からは軍神と呼ばれ一目置かれる上杉謙信虎千代だが。
 その実態はただのグウタラ娘。日がな一日部屋から出ない、布団から出ない。働かずに生きていきたいと言って憚らない。歴とした怠け者なのだ。
 日々の政務も家臣たちが効率よくまとめており、虎千代自身にはなにもする必要がないのは彼女にやる気と政務能力がないからだ。

「えー、私だって色々あるよー」
「ほほう、たとえば?」
「ご飯食べてー」
「ほう」
「書を読んでー」
「へえ」
「寝る!」

 太郎は思わず足が出た。蹴飛ばしたのだ。

「ぶれー者ー!」
「やかましわ。主君とはいえションベン垂れてた頃からの付き合いに今さら無礼も辛えもあるかっての」

 蹴られた勢いそのままに仰向けになった虎千代が全身で綺麗な大の字を描く。
 同時、どたどたと近づいてくる足音があった。勢いよく入ってきたのは。

「無礼者ですとー!?」
「おう、弥太郎君、寒いのにお疲れさん。俺だから、いつもの」
「ああ、山田殿でしたか。いつものですね」

 御免、と小島弥太郎は廊下を引き返していった。いつも通りの流れだ。
 真面目で良いやつだよなあ、と呟き。向き直った太郎が見たのは紅い頬を林檎のように膨れさせた虎千代だった。

「……どした?」
「弥太郎には優しい。私には厳しいのに」
「弥太郎君はちゃんと働くからなあ」
「太郎の衆道者ー!」
「張り倒すぞ、お前」

 投げつけられた枕を受け止め、軽く投げ返す。先の時代のことは別として、当世の枕は固い。当たると痛い。
 自棄だとばかりに再び酒瓶に口を付ける虎千代にはいよいよ慎む様子が見られない。
 溜息一つ。太郎は虎千代の横に腰を下ろす。

「――お虎様、何が言いたいんだよ?」
「働きたくない!」
「おう、だろうな。今のは聞いた俺が馬鹿だったよ」

 そういうヤツだよ、と呆れて。問い直す。

「俺にどうしろって?」
「――……」

 拗ねる虎千代と、その機嫌を取る太郎。
 幼い時分から、身分の差もさほど気にせず付き合う二人が何度も繰り返してきたやり取りだ。
 気づけば、虎千代は越後一国という重荷を負う立場となっていたが。そんな、ささやかな関係までは今もって変わらない。
 だから、解決法も決まりきっている。観念した太郎が虎千代の言うことを一つ聞く。それだけだ。

「……い」
「あ? なんだって?」

 消え入るような一言を、太郎は当然のように聞き逃した。
 だから、問い返して。

「口吸い」

 返答に、ついにおかしくなったか、と割と本気で思った。
 太郎が荒げた声を大きく上げる。

「今は昼だろうが! そういうのは夜やれ夜! 違う、そうじゃねえ、俺相手にやるこっちゃねえだろうがよ本の虫の耳年増!」
「あー! あー! 私に悪口いった悪口ー! いーけないんいけないんだー!」
「馬鹿に馬鹿っていって何が悪――酒臭えなお前! どんだけ飲んでんだ、酔いすぎだ馬鹿!」

 どたばたと騒ぐ。太郎と虎千代、二人、これでもかと騒ぐ。
 続く戦国乱世、軍神の呼び名と武勇を天下に広く知らしめる上杉謙信虎千代は、政務も執らず、勝手知ったる一人の小姓と馬鹿な騒ぎを演じている。

「お二人とも、本当に仲が良ろしいなあ」

 偶の寒気程度ではビクともしない、鍛えた身体の小島弥太郎が喧騒を微笑ましく思いながら、寒空の下、熱燗を一口すすった。





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あきゅろす。
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