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境界線上のホライゾン
校庭の恋バナ者達(左近夢)

『時に小姫よ、お前、あのタローという男を好いているのか?』

 厳しい訓練も一息をついて、束の間の休息に入ると同時に投げかけてみた言葉に、口に含んだばかりの冷えた緑茶を小姫――島・左近が盛大に噴き出すのを鬼武丸は見た。
 絶大な肺活量で拡散された緑茶は大気を爆ぜさせ、わずかながらに生じた真空を埋めようと瞬間的な突風が日差しの下の砂を巻いた。
 ……行儀が悪いな!
 大いにむせた後、二、三度の深呼吸を繰り返した小姫が口を開く。

「……鬼武丸さんは馬鹿なんですよ!?」
『誰が馬鹿だ誰が! 俺は将軍だぞ、敬え馬鹿が!』
「馬鹿って言った人が馬鹿なんですよう?」
『貴様あー!』

 大声を響かせれば、できるだけ身体を冷やしたくない、と校庭の向かいで軽いジョギングを続けるタロー・山田がこちらへ振り向いた。
 数秒だけこちらを窺う様子だったタローはすぐに前へと向き直って走行を再開する。わずかに首を傾げているのは距離があったがゆえの反応か。
 ……真面目な男ではあるな。
 ぐうたらな小姫とは随分違う、と内心で考えながら、再度問いかける。

『で、どうだ。好いているのか、いないのか?』

 小姫は答えず、背の高い全身をもじもじと揺らす。頬を紅く染め、あー、だの、うー、だのと呻るばかりだ。
 走るタローをチラチラと窺っているのは距離を測っているようでもある。

「まあ、そのう」
『聞こえんぞ、もっと腹に力を入れて話せ!』
「頭だけの人に言われたくないですよう」
『今は機動殻なのだから仕方ないだろうが……!』

 うなだれ、視線を落とす小姫は思い悩んでいるようでもある。
 長く伸びた指先を小さく弄んで。
「う、でも、タローさんも大きい女に好かれたらメーワクかもですよ……」
『そうとは限るまい。世の中魔神族だの妖精だの竜族だのといるのだ。貴様があの男の趣味に当てはまらないとは――なんだその眼は』
「鬼武丸さん、そういう趣味だったんです……?」

 信じられないものを見るような視線がベンチに置かれたこちらへと注がれる。
 若干の沈黙が流れる。自分が言葉を理解し、怒鳴りつけるべき返答を割り出す前に小姫が慌てて言葉を続けた。

「だ、大丈夫ですよう! ちょっとドン引きですけどそういうのは個人の自由だと思うですよう、ちょっとドン引きですけどよう!」
『なぜ二回言ったか! 二回言ったか! いらん勘違いをするな、俺はちゃんと普通の女が好みだ!』
「機動殻の女性なんですよ?」
『生前の話に決まっているだろうがあー!』

 怒鳴り声を校庭に響かせれば、タローがまたこちらへ振り向くのが見えた。いい、貴様は走っていろ。いや、待て。やっぱりこっちへ来い。
 通神で呼び寄せつつ、ややトーンを落とした声で小姫に提案する。

『ええい、埒が明かん! そんなに趣味がなんだと気になるなら、小姫、直接あの男に探りを入れるぞ』
「直接って、どうするんですよ?」
『タローに、どういった女が好みかを聞くのだ。無論、いきなり貴様に当てはまりそうな例は避ける。外堀から徐々に埋めていくぞ。策を敵に悟らせてはならんからな』

 小姫が、おお、と声を上げる。先ほどまでの沈んだ面持ちも晴れやかに変わった。

「それは考え付かなかったですよ! 鬼武丸さんってば智将ですよう」
『ふはは、将軍だからな!』
「でも義経さんには負けるって聞いたですよ?」
『それはアレがキチガイなだけだ……!』

 形だけの咳払いを強引に挟み、プライベート設定の通神を小姫に飛ばす。
 何を突然とばかりに首を傾げる仕草に若干の苛立ちを感じつつ、通神上に言葉を入力していく。

鬼武丸:『よし、では作戦開始だ。秘密裏の会話は通神で行う。声に出すなよ小姫』

「Tes.ですよう!」
『言ったそばから声に出すなあー!』
「……えーと、なんか呼びました?」

 声に振り向く。気づけばタローがすぐ近くまで歩み着いていた。
 首元を伝う運動の汗をタオルで拭う様は爽やかな好青年、という雰囲気を感じさせるものだ。降り注ぐ日光の明るさがよく似合う。
 まだ心構えが整っていなかったか、動揺を見せる小姫を余所に返答する。

『うむ、小姫がな』
「わ、私なんですよ!?」

鬼武丸:『人を頼るな! 自分でやれ自分で!』

「左近が。訓練のことか?」

 視線を向けられ、小姫がより一層動揺を顕にする。
 ……若いな。
 なんとなしにそんなことを思うのは一度死んだ身だからか。まあ、確かに年長者ではあるが。
 一度大きく深呼吸をしてから小姫が口を開く。出だしが若干上擦った。

「い、いえ、そっちではなくてですよ? ええと、そのう――タローさんは、背の高い女性をどう思うですよ?」

鬼武丸:『貴様の特徴から聞くなというに……!』
小.姫:『ほ、他に思いつかなかったんですよう!』

 小姫の顔横に出る表示枠を気にせず、タローは、背ねえ、と呟き、小姫を見上げた。

「背が高いと便利そうだよな。ほら、高いところに手が届くし」
「でも通路とか狭いですよ? 扉の縁に頭をぶつけるのもよくあるですよう」
『それは貴様が抜けているからだろうが』
「そ、そんなことないですよう! お昼時に何を食べようか考えてれば誰だってやるですってばよう! あ、じゃあタローさん、そういう隙のある子ってどうですかよ?」

鬼武丸:『わざとか、わざとやっているのか貴様!?』
小.姫:『いや、これは私のことではないですよ?』
鬼武丸:『どの口が言うか……!』

 タローが先ほどよりも少しだけ深く考え込むような仕草を取る。
 その視線が小姫に向いていることに、ふと気づいた。

「まあ、度を越さない分にはかわいいんじゃねえかな?」

小.姫:『キタ! キタですよ鬼武丸さん、これは脈あるかもしれんですよう!』
鬼武丸:『貴様よくもぬけぬけと!』

 だらしのないニヤケ面を隠しもしない小姫の様子にため息が出る。機動殻なので出ないが。気分だ。
 なので今度は自分からタローに問いを投げた。

『では貴様、首を落とされてから死んだことに気がつくような抜けっぷりだとどうだ?』
「……抜けてるってレベルじゃなくないですかね、それ」

鬼武丸:『言われたぞ小姫! さあ、どうする!』
小.姫:『鬼武丸さん! 鬼武丸さん! なんだか趣旨が変わってきてるですよ!?』

 言われてみればそんな気もするがスルーしておく。
 ニヤケたかと思えば慌て出し、身をよじらせては表示枠を連打する小姫はひどく挙動不審だ。落ち着け馬鹿め。
 顔に若干の困惑を浮かべたまま、タローが口を開いた。

「正直、質問の意図はよくわかんねえけど、要するに左近のことをどう思うかってことだよな?」

小.姫:『バ、バレたですよ? 鬼武丸さんの作戦ダメじゃないですかよう、やっぱり』
鬼武丸:『貴様が迂闊極まりないからだろうが、いらんことばかりベラベラとしゃべりおって! それと、やっぱりとは何だやっぱりとは! さては貴様最初から信用していなかったな!?』

 タローの眼は変わらず、小姫へと向けられている。男から女へ注がれた視線でありながらそこに劣情の色はない。あ、いや。今、一瞬だけ胸を凝視してたな。大雑把な小姫はともかく俺は気づいたぞ。まあ、同じ男として見逃してやろう。寛大なのだ、将軍だからな。次はない。
 一つ頷いて、タローが小姫に回答する。

「うん。デカくて、抜けてて。――かっこいいよな」
「……おう」

 小姫が間の抜けた顔をする。鳩が豆鉄砲を食らった、まさにそのままの顔だ。予想だにしない答えだったらしい。
 そんな心情を知ってか知らずか、タローは言葉を続ける。

「やっぱ背え高いといいっつうかさ。パワーあるし。鬼武丸さん、あー、機動殻着けて立ってる時なんか最高にかっこいいって思うね」

 あと、と加えて。

「そういう辺りをちょっと気にしてるとことか、女の子っぽくてかわいいよな」

 言って、タローがにかりと笑った。
 小姫が喉から声とも音ともつかない呻きを漏らす。小動物の鳴き声のような音を繰り返して、ようやく搾り出した言葉は、

「あ、りがと、ですよう」

 たどたどしい礼だった。
 満足げに笑みを深めて、タローは校庭の周回へと戻っていく。
 後に残された小姫はその背を見送り、淡く手を振る。ほう、と息を吐く頬は紅く上気していて。ほどなく赤面が両手で覆われた。

「うー、あー。私、なんか恥ずかしくなってきたですよーう。自分で思ってたよりずっと見られてるものですよ……」

 膝を折って屈んだ小姫が悶えるように身を震わせる。いよいよ耳まで紅く染まりつつある。
 あまり見たことのない反応だな、と思考して、まだ聞いていなかった事柄に思い至った。
 タローは走る脚で距離を離しつつある。通神は介さず、直接に問いかけた。

『逆に聞くが、小姫よ。お前はタローのどこを気に入ったのだ?』
「タローさんは、とっても優しいんですよう」

 わずかに逡巡して、小姫が言葉を作った。
 優しく、穏やかな息遣い。自然と形作られた笑みは柔らかで。輝きを錯覚しそうになったのは果たして視覚素子の不調だったか。
 ……まったく、腑抜けきった表情をする。
 淡く吹いた風が爽やかに感じられた。小姫が言葉を続ける。

「おかずを一品譲ってくれたり、訓練で疲れてる時にはノルマを1セット誤魔化してくれたり。くたくたの時なんかは部屋まで運んだ上にマッサージまでしてもらえたですよう」

 返して吹き抜けた風を生ぬるく感じた。
 受け取った言葉をたっぷり噛み砕いて、怒鳴るべき言葉を見つけた。

『甘やかしているだけではないか……! ええい、不許可だ不許可! あれと一緒になった日には貴様ますます堕落するばかりだろうが!』
「自分で動けない人に言われたくないですよう」
『機動殻なのだから仕方ないと言ってるだろうがあー!』

 叫べば、声が空へと抜けていく。
 傾き始めた日はなお眩しく世を照らす。それは何処からかもたらされる祝福の光なのだろうか。即ち、光在れ、と。

「ずっとなんか話してんの。仲いいなあ」

 轟くような叫びを聞いたタローが、走る脚を止めないまま振り返った。
 ベンチの上で声を荒げる烏帽子型の兜と、高い背をかがめて兜に視線を寄せる女の子。
 それがあたかも親子のようで、自然、口元が綻んだ。
 走行距離を測る脳裏の隅で、ふと、自分がその輪の中にいる光景を、タローは思い描いていた。





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あきゅろす。
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