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リリカルなのは
見えず、掴めず、離れず(ViVidミカヤ夢)

 吹いた風に木々がさんざめく。
 幹を削り、枝を揺らし、生い茂る葉をすり合わせる様子は寒さに身を震わせているようでもある。
 確かに、風には冷たさが混じっている。
 しかし、それは気温の低さ、寒冷さからくるものではない。

「――ふ」

 周囲を木々に囲まれた中でわずかに開けた場所、隙間めいた空間でミカヤ・シェベルが軽い息を吐いた。
 正面に構えられた抜き身の太刀、刀剣型デバイス『晴嵐』が吹き抜ける風を二つに分かつ。
 ぎらりとした剣の輝きは冷たく、剣士のまとう空気もまた静謐。その姿は氷の彫刻のように精巧で、美しかった。
 ミカヤが納刀の動作を取る。腰に鞘は無く、しかし抜刀の構え――。

「ハッ」

 凛とした掛け声と共に晴嵐が振り抜かれた。
 大気すら切り裂く一太刀には音もない。無音のままに風を断てば、それを讃えるように木々がざわめいた。何のことはない、ミカヤの一振りで生じた風が木々を揺らしただけである。

「あー、なんつうの、精が出ますねい?」
「タロー、気配の消し方が上手いのはいいけど覗き見は褒められたことではないよ?」

 いつの間にか一本の木に背を預けていた男、タロー・ヤマダへ振り向くこともなくミカヤが言い咎める。
 タローは悪びれた様子もなく笑ってみせた。

「ばぁか、逆だよ。ここは元から俺のサボリ場。お前のが後から来たんだ」
「……そうか、ここがね。道理で落ち着く場所だと思った。気の流れを調整してあるのか」
「苦労に苦労を重ねてな。俺以外のやつじゃあフラフラ歩いた程度じゃ来れないようになってる……ハズなんだけどなあ」
「無心だったからね。むしろ誘い込まれたようだったよ」

 ミカヤもまた悪びれた調子もなく、涼やかに笑う。
 冷え切っていた空気がわずかに温もりを取り戻したようだった。

「それにしてもタロー、またサボリかい? 君も本気になれば相当の位まで上がれるだろうに。師範代としても友人としても、あまり見過ごしたいものではないのだけれど」
「いいんだよ。俺は好きでやってるだけなんだから。お前やナカジマのおチビちゃんたちみたく上へ上へってのはどうにも合わねえ」

 晴嵐を構えたまま、眼を合わせることなくミカヤはタローと言葉を交わす。
 直前までの怜悧さはなく、しかし隙のない自然体。振るわれる一太刀は緩やかでありながら数歩も離れた木に届きかねない伸びやかさをタローに錯覚させた。

「純粋に剣を振るうのが好き、っていうのは分からなくもないけど」
「単純に、な。だいぶ違うぜそこ」

 差し挟まれた訂正に、ミカヤが思わずといった様子で苦笑する。

「向上心がないという人もいるけど」
「暑苦しけりゃイイってもんでもねえだろうよ」
「うん。私は好きだよ、タローの剣」

 返る言葉はない。タローが息を呑んだようだったが、切っ先を見つめるミカヤには確認できないことだ。

「無欲の剣、とでも言うべきかな。いいじゃないか、好きだから剣を振る。誰だって最初はそんなものだろうし」
「遠回しにガキっぽいって言ってんぞそれ」
「自分でそう思ってるから、そう聞こえるんじゃないかな?」

 苦虫を噛み潰したような顔をするタローに対して、ミカヤは愉快げに破顔する。
 風が剣の峰に触れる。風向きが変わった。

「うん、やっぱりここは良い所だ。ズルいよタロー、こんな場所を隠していただなんて」
「誰にも邪魔されずにいられる時間と空間。師範代様もそんなもんが欲しいのかよ?」
「……欲しいときだってあるさ」
「負けた時?」
「タロー、そのネタひっぱるね……」

 ミカヤがうんざりだとばかりに吐息する。対して、今度はタローがケタケタと笑う。

「いや爽快だったね。渾身の居合をブチ抜く集束キック! 俺ってばアレ以来ミウラちゃんのファンだぜ」
「不良門下生は師範代の負け試合がそんなに好きかい?」
「だって考えちまうじゃねえか――こいつでも負ける、こんなに強い女も負ける。だったらオイ、俺にも勝ちの目があんじゃねえか、ってよ」

 鋭い風切り音が語尾と重なった。
 型を崩さないミカヤの表情は先ほどまでよりも引き締まり、その横顔を眺めながらタローは微笑を浮かべていた。
 ミカヤが沈黙を断つ。

「意外だね、君にも勝ちたいなんて思うことがあるのかい」
「お前だけだよ」
「どうして? 言ってはなんだけど、よりにもよって、だ。君じゃあ無理だよ」
「ホントになあ。高望みもいいとこだ」
「なら――」

 大げさに肩をすくめてみせるタローへの問いかけは、先んじた言葉に遮られた。

「惚れた女には勝ちてえじゃねえの」

 今度こそミカヤの眼が驚愕に見開かれた。振るう剣はわずかにブレて、残心に欠ける。
 ミカヤの動きが止まった。頬は朱に、視線は泳ぎ、口元はむず痒そうに微動する。
 しばらくの静寂を終えて、ミカヤが搾り出すように口を開いた。

「そういう言い方は、卑怯だと思う」
「はは、俺だぜ?」

 卑怯上等、と笑って憚らないタローにミカヤが息を吐く。
 タローは、心底から楽しそうに、唇を舐めた。

「好きだぜ、お前の負け姿。剣みてえに真っ直ぐ綺麗なミカヤ・シェベルがへし折れてやがる――ハ、堪んねえ、ぞくぞくするね」

 ぶるりと身を震わせるタローにミカヤが一歩、距離を取る。
 それに構わず、タローは言葉を続ける。

「あんなのを目の前で、一番近くで見てみてえなって、そう思うよ。いつものお前じゃないいつかのお前だ。独り占めしたくなる」
「……褒められてるのかな?」
「告ってんだよ。ああ、いけねえ。テンション上がってんな俺」

 笑うタローを真っ直ぐに見据えて、ミカヤは呼吸を止める。それは水に潜る前準備のようで。
 一歩を歩み寄る。気づけば、風がなくなっていた。

「タロー、構えて」
「あいよ」

 突然の申し出もタローは笑って受け止めた。予期していたのかもしれない。
 先に構えたミカヤは努めて表情を消す。胸の内に冷えたものを注ぎ込む。
 集中する。
 あるいは、燻り始めた熱を押し留めるためだったか。

「こうなりゃ素直にいくか。――やっぱ綺麗だね、お前。そうやって構えてる時がバツグンにイイ」

 後に構えたタローは無手だった。サボタージュの場に剣などあるはずもない。
 にも拘らず、タローは平然と構えてみせた。木々の隙間から差し込む光を返して煌く『晴嵐』の鋭さを恐れた様子もない。
 表情は変わらず軽薄、口元はわずかな喜色を隠せない。

「天瞳流抜刀居合師範代、ミカヤ・シェベル――行くよ」
「来いよ。俺はタロー・ヤマダ、お前に惚れてる男だ」

 踏み込みが地を揺らした。
 振るわれた刃が空を斬る。神速。下方から飛ぶ清冽な切り上げに、タローはごく自然な動きで前へと踏み出した。

「――」
「ハ、なんだよ。手ぇ抜きやがって」
「手加減した、つもりはなかったのだけど」
「ウソつけ。じゃなきゃ、オイ、俺がお前相手にこんな近づけるワケねえだろ?」

 抜刀する腕の内側に踏み込まれたことでミカヤの剣が止まった。
 相対する二人の距離はすでに半歩もない。わずかな衣擦れの音も聞き逃さない。呼吸さえ聞こえる。心臓の鼓動は、どうだろうか。

「タロー」
「なによ」

 風はない。木々のざわめきもなく、二人の声だけが静かに響く。
 向けられ合った視線が真っ直ぐに触れる。ミカヤには世界が途方もなく広く錯覚されていた。

「私は――」

 静寂を破ったのは言葉ではなく、均一な電子音だった。
 不意の音に思わず背筋を強張らせたミカヤが慌てて音源を、自身の通信端末を探り出す。
 端末を懐から取り出して応答するという慣れた動作にももたついて、ミカヤが端末と向き合った時にはもうタローは背を向けて歩き去っていた。
 力なく振られる手に少しだけ手を振り返して、ミカヤは端末を起動した。

『ああ、ミカヤちゃん。今、よかったかな?』

 通信の相手は見慣れた赤髪、知己たるノーヴェ・ナカジマだった。
 夢から覚めたような浮遊感を内で消化しつつ、ミカヤは空中に投影された通信相手に笑みを向ける。

「ああ、いいよ。すごくいい。むしろ助かったくらいだ」
『なんだいそれ?』
「なに、こっちの話さ。――何もかも話が早すぎる。全部、勝ってからじゃないと、ね?」

 楽しみだなあ、とミカヤが笑う。新たに吹き始めていた風には先ほどまでの冷たさはなく、穏やかな微温さが混じっていた。
 ディスプレイの中でノーヴェが首を傾げた。

『……変なミカヤちゃん』

 電子音に変換された呟きは、余韻も残さず風に溶けていった。





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あきゅろす。
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