リリカルなのは
アヤマチ(A'sリンディ夢)
「よーし、一つ、ちょっと思い出してみようや」
「え、ええ……」
大きく息を吐いて、リンディと向き合う。
口の滑りを良くしようとコップの水をぐいと呷れば、喉を抜けた冷たさに頭が冴える。パタパタと落ちた二、三の水滴が素肌の胸に冷たい。
「昨日、は。飲み会だったんだよな」
「ええ、久しぶりにみんなで集まろうって。同期とか同僚とかのみんなで、そう、レティもいたわ」
「レティ、そうだよあのウワバミも確かにいた。めっちゃ飲んでた」
記憶の合致に応じて顔を上げる。
すれば、視線を向けられたリンディがぐいと身をよじった。身体に巻いたシーツを引き上げれば豊かな胸が目に見えて形を歪めた。エロい。違う、そうじゃない。
思わずそっぽを向くと反動でベッドのスプリングがギシリと鳴った。
「ええと、確か、タローくん。レティにすいぶん飲まされてた、ような」
「飲んだような気がする。あんにゃろうは慣れた相手じゃねえと付き合えねえし、ほれ、付き合い長え俺が相手するっきゃねえだろ? ……まさかお前にやらせるワケにもいかねえし」
気づいてみれば頭が痛む。内から叩くような痛みは間違いなく二日酔いだ。
昨日、どうやら自分たちは大分飲んでいたらしい。それはもう記憶が吹き飛ぶほどに。
「それから、みんな少しずつ解散していって」
「俺らは最後くらいまで残ってたはずだ。レティがいるなら大体そうだろうし」
「そう、だったわね。レティはどうしたのだったかしら?」
「適当なやつに押し付けたんじゃなかったかなあ。俺、タクシー止めた覚えあるぜ」
道路際で手を上げて、運転手の肩を思い切り叩きながら「この酔っ払い連れてってやってくれよ、な!」とか言ってた気がする。テンションが高い。自分も十分酔っ払いだ。
それを送り出して、残った自分の隣には。
「で、俺と」
「私が、残ったのよね?」
人差し指を唇に当てる仕草が可愛らしい。すでに妙齢のリンディだが、随分歳若く見えるというか、細かなところに愛嬌がある、と思う。
クライドの野郎のことがなかったり、お互いにもう少し若けりゃ口説いていたかも分からない。
そんなことを考えていれば、つい、リンディの胸に眼が行った。
純白のシーツはある種の気品のようなものを錯覚させ、布の一枚しかまとっていないという事実を決して下品なものにしていない。好い。
慌てたようにリンディが両手を胸の前で交差させた。
「……タローくん、眼がいやらしいわよ」
「……悪い」
普段の関係なら、「デカい胸目の前にしてガン見しねえ男がいんのかよ、会ってみたいね!」くらい言っていたかもしれないが、今はそれどころじゃない。それどころじゃないのだ。
痛む眉間を指先で叩いて、おぼろげな記憶をより一層に掘り下げていく。
「で、あー、その後どうしたっけか?」
「私も大分お酒が入ってたから。ええと、一緒に車に乗ったはずだわ。少し自信がないけれど」
「タクシー、乗った。あー、なんか俺、吐きそうになってたかもしれねえ」
車というのは乗っていればよく揺れるもので。泥酔であやふやとなった平衡感覚にとどめを刺すには十分すぎる。
言葉に応じて、リンディが手を叩く。胸が揺れた。
「そう! そうよ、タローくんってばタクシーの中で気持ち悪いなんて言い出して……言い、出して」
リンディの歯切れが悪い。言い淀む語感、消えていく語尾。少し俯いた顔はほんのりと紅らんで、しかし眼を逸らすでもなく、ちらちらと上目遣いで俺を窺っている。
それはどんな反応かと首を傾げて、一つの推測に行き当たる。
なんとなく、自分の中でも結論が見えつつあった。断片的な記憶を話の流れに照らし合わせて繋いでいく。
「降りたんだよな、一度。車ん中で吐くワケにもいかねえって」
「……ええ」
「それから、あー、少し休んだ方がいいってんで」
――ホテルに。
口に出した一言がいやに室内で反響する。壁にかけられていた面白みのない風景画に喩えて言えば、人気のない静かな湖畔に落とされた一粒の水滴のよう。
酒で失われた記憶、その確認はいよいよ核心に近づきつつあった。
リンディは耳まで紅くしている。見ているこっちまで首回りに熱を感じてしまう。
「そう、ホテル、なのよね、ここ」
たどたどしいリンディの言葉が事実を抉る。
酔いがひどく、帰宅さえ困難になりつつあった俺たちはホテルで一夜を明かすことにしたらしい。
無論、ホテルといっても男女が愛を育むような場所ではない。クラナガンでも珍しくない、いわゆる一つのビジネスホテル。
問題は、二つ並んだベッドの内、片方のシーツが全く乱れていないこと。そして俺もリンディも一糸まとわぬ姿で目覚めたことだ。
「……ここまでだ。もう思い出せねえ」
「そう、そうね。ここから先は、ええ」
だから、あとのことは状況から推測する。
推測して、今、俺がやるべきこと。タロー・ヤマダがやるべきことは。
「ご、ごめんなさい」
思い切り頭を下げることしか思いつかなかった。
「……タローくんだけが、悪いワケじゃないでしょ。その、私にも隙があったのだろうし」
恥じ入るように身をよじるリンディの、シーツ越しに作られたボディラインが非常に困る。確かに、隙はある。
これが見ず知らず、ないしは二、三度の面識がある程度の相手だったならばお互いこうまで悩まなかったかもしれない。
だが俺はタロー・ヤマダで、彼女はリンディ・ハラオウンだ。
共に時空管理局で切磋琢磨し、交友を深めてきた友人同士。
そして何より、彼女は二児の母であり、クライド・ハラオウンの妻であり、未亡人だ。
「いや、いやだがよ。今お前は、ほら、色々と大変じゃねえのかよ。例の、あー、何ちゃんだっけか?」
「フェイトさんとは上手くいってる、と思うわ。縁組の話も受け入れてもらえて。確かに難しいことは多いけれど……」
一度言葉を区切って、リンディは軽く首を振った。いいえ、と。
「もしかしたら、自分で思っている以上に思い詰めてたのかもしれないわね。久しぶりに同僚と会うのを言い訳にしてハメを外したかったのかしら」
だから飲み過ぎてしまったのだと、自嘲する。
それは見覚えのある顔だった。
思い出してしまう。十二年前、殉職したクライドの葬儀のこと。まだ小さな息子を不安がらせまいと気丈に涙を堪えていた彼女の横顔を。
それを見て、何を勝手に死んでいやがる、と腹の内でクライドに毒づいたものだ。
今、リンディがあの時と似た表情をしている。あれこれとこちらを気遣い、自分の弱みを見せまいと。
「これじゃ同じじゃねえかクソったれ……!」
「タローくん?」
勢いよくリンディの両肩を掴む。すれば、ベッドが大いに軋んだ。
頭の中で様々な感情と言葉が渦を巻く。突然の行動に呆気に取られるリンディへと、俺は言葉を吐いた。
「せ、責任は取る!」
なぜか自分でも肩を震わせてしまうほどの大声が出た。リンディの肩もビクリと跳ねた。
構わず続ける。
「何でも言え! 何だってだ、本当だぜ。必要なもの、欲しいもの。何だっていい。馬鹿やっちまった俺には男としてそれを補う準備――は、ねえが。いや、覚悟がある!」
一息に言い切った。吐き出しきった酸素を必死に取り込み直す。
遅れて、ズキリと頭が痛んだ。大きな声が二日酔いの頭を悩ませる。
「あ、っつう……!」
「――ふ」
俺の言葉にポカンとしていたリンディが、笑った。
「あはは! タロー、タローくん! それ、まるでプロポーズみたい!」
「う、うるせえやい! あんま考えずに言っちまったんだよ! あ、いや。言ったことは嘘じゃねえぞ」
「ええ、分かってるわ。ありがと」
目尻に浮かんだ涙を拭って、リンディが表情を柔らかなものにする。
よかった、と胸を撫で下ろす。少なくともあの痛ましい顔を振り払うことはできたのだと。
「――そういえば、今ので一つ思い出したんだけど」
何を、とは聞かない。今の会話の流れで思い出すようなのは、多分、あまりいいことじゃない気がする。
その証拠に、リンディの笑みはこちらを弄うようじゃないか。
「昨夜の、その、してた時にね」
「……おう」
「ずっとお前を見てた、想ってた。って、そう言われたわ、私」
誰に、とは聞かない。俺しかいないからだ。
自分の顔が一瞬で青くなって、それから紅くなるのが理解できた。
ずいとリンディがこちらに身を乗り出してきて、俺は身を仰け反らせて少しでも距離を取った。
「タローくん」
「……はい」
「私のこと、好きだったの?」
「……別に」
「責任は取る! 何でも言え! ――でしょ?」
直前に発した自分の言葉を突きつけられてしまえば黙秘はできなくなる。
至近でこちらを見上げてくるリンディの視線に耐えあぐねて、大人しく口を割ることにした。あ、近すぎて胸当たってら。柔っけえ。
「クライドの野郎をブン殴ってやろうかと思ったことは、二度三度じゃねえよ」
「嫉妬してたの?」
「したね。すげえした。負け犬だよ、笑え」
クライドが死んだ時、それを喜ぶ仄暗い自分がいた。今にも折れそうなリンディを自分が抱きとめてしまえと囁く自分がいた。
それを総て必死に踏み潰してきたのだ自分は。こればかりは、さすがに言えない。
リンディが一つ頷いた。
「その、差し出がましいことを言うけれど」
「おう、言えよ。俺ほどじゃねえさ」
くすりと、唇がきれいな弧を描く。
「今は、受け止めきれないけれど」
クロノくんやフェイトちゃん、何よりクライドのこと。リンディ自身の気持ち。考えなければならないことは山のようにある。
それでもいつか。
「私の気持ちの整理がついたら、またこの話の続きをしたいと思います」
それまで。
「待っててもらえる、かしら?」
そう言われて、俺は逆らう言葉を持っていない。惚れた弱みだ。何年越しにこんなことになってると思いやがる。正直、ワケ分かんなくて一杯一杯だよ。
だから俺は、できるだけ強がった笑みを作って、応える。
「100年くらいが限界だぜ?」
「じゃあ、なるべく急がなくちゃね」
そんな強がりも総て見透かしたような笑み。ああ、チクショウ。好いなあ。
「それにしても気づかなかったわ。私、そんなに想われてたのねえ」
「ライスシャワーは本気だったよ。俺は区別のつけられる男だからな」
またリンディが笑ってくれた。思えば、こういう口の軽さは彼女の気を惹きたいがために身に着けたような気さえしてくる。
時計を見ればもはや朝。
深刻な話し合いを終えた俺たちを特有の脱力感と空腹感が襲う。
「とりあえずシャワー浴びてこいよ。独り身の俺はともかく、お前が朝帰りでそれはマズいだろ」
「……タローくんがずっと独身なのって、もしかすると私のせいかしら?」
「偶々だよ。さすがに思い上がりだぜ、そりゃあ」
図星だった。
ベッドから立ち上がったリンディが浴室に向かう。
普段は一つに結われている薄い緑の髪が下ろされていることにそこはかとない色香を感じる。その陰で揺れる尻からもだ。
リンディは一度浴室に入って、またひょっこりと顔だけをこちらに覗かせた。かわいい。
「タローくんも一緒に入る?」
他意はないのだろうと、そう思う。今さらだし。しかし、やっぱり彼女は隙だらけなのかもしれない。
できるだけシニカルな笑みを心がけて、言ってやる。
「後でいいよ。昼までには帰れなきゃマズいだろ」
「……えっち」
返す言葉もない。
なにせ浴室が空くまでの間、酒で飛んだ昨夜の記憶を取り戻そうと必死になるつもりだったのだから。
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