逃亡靂
婚礼
いつまでも女々しく泣くなとミツに諌められた。
姉の喜代が眞山家へと嫁いで行った。明日からは姉は目覚めてもこの家にはいないのである。あの優しい笑顔で迎えられることもないのである。
行雄はそれを思うとまた悲しさが込み上げてきた。
ミツは厳しいが酷く心配性で神経質だった。その為、行雄が友達と遊んで遅くなろうものなら物凄い剣幕で叱りつける。そんな中にあって喜代の存在は唯一の安らぎとも言えた。
幼い頃に結核で両親を亡くしてからは喜代は親代わりでもあった。六歳離れた姉が心の拠り所となっていた。
そう思うと行雄は再び不安な気持ちになってしまう。知らぬ間に頬には涙が伝い、堪えきれず嗚咽が漏れた。
そんな行雄を見て祐一は呆れた顔をしていた。
「情けないのォ。行雄は男じゃろう」
「男じゃ…せ、せやけど」
「わしかて母ちゃんなんておらん。せやけど寂しいなんてちっとも思いやせん」
「祐ちゃんにはおじちゃんもおばちゃんもおるけぇそんなこと言えるんじゃあ」
「あんなん母ちゃんと違う!わしの母ちゃんは一人やけん。行雄おまんもっと強ォならないかん。せやないとばぁちゃん守れんで」
「わかっちょる」
「兵隊に取られたらどないするんじゃ」
「わかっちょるよ」
「女々しい言われてもええんか。わしはそんな友達はいらんけんの」
「嫌じゃ」
「そんなら強ォなるしかないんじゃ行雄。うちの兄ちゃんは強いぞ。鬼神じゃ、鬼じゃ。わしは兄ちゃんみとォ強ォなりたい」
行雄は祐一の兄、祐輔の姿を思い浮かべようとした。町の高等中学校に通っているため今は村を離れている。
ぼんやりとしか思い浮かべることの出来ない姿は時折姉の喜代の元に通っていたことを思い出した。
こっそりと出ていく後ろ姿が酷く大きかったことを覚えている。
「わしも祐輔さんのようになれるかの」
「行雄には無理じゃ」
「何でじゃ」
「行雄は意気地無しやけんの」
「そんなことない!」
「ほんなら賭けてみるか?」
「ええよ」
「どっちが先に兄ちゃんみたいになるんか」
行雄は大きく息を吸い胸を反らしてから頷く。
深緑の匂いが肺に充満する。強い光を受けて反射した空は青く清んでいた。そこに横たわる入道雲が夏の気配を色濃くする。
もうすぐ蟲追いの季節だ。大人たちを手伝い今年は行雄たちも祭りに繰り出す。
照り付ける陽射しが地面を炙り熱を起こす。陽炎が立って全てを溶かそうとする。行雄は目眩を起こしそうで思わず胸を押さえた。
祭りが来る。
行雄は胸の苦しみの中に僅かに起こる興奮に身体を奮わせた。
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