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逃亡靂
  獣道




 天候が変わりやすく酷く落ち着かない。
 村の人間は行雄を見るとまるで疫病神にでも出会したかのように避けて行く。
 そんなにも兵隊に取られることが立派なものなのか――否、皆怯えているのだ。そして妬んでもいる。
 兵役と云う日本国民の義務を逃れ見す見す家族を戦地に送り込まなければいけないと云う矛盾から、非道から――現実から。



 その負の念を請け負う標的――生け贄が欲しいのだ。そうしなければこの不条理に正義を歌っていられはしない。
 そうやって均衡を保っている。そうしなければ自らがその贄になってしまうからだ。



 兵隊に取られて僻地に行ったからと云って何が正義なものか。

 正義を気取ったところで所詮そんなものはまやかしでしかないのだ。




 不義を働いて他人の女を身籠らせた覚えもない。
 そんな男に護られる正義とはどのような価値があると云うのだ。
 入隊したところで何だと云うのだ。
 もっと先を見るべきだ。日本が諸外国に勝てると云うのか。この広大な世界の欠片でしかないこの国が大陸に勝てるとでも思っているのか。

 こんなものは直ぐに終わる。

 己が持つ愛国心などとうに折れた。やがて皆も気付く筈であろう。
 そうすれば律子も自分のもとへと戻ってくる。





 狂ってなどはいない。
 自分は誰よりもまともなのだ。祐一の方が如何程非道なものか。
 正義とは一体何なのだ。





 ミツが慰めのように言葉を吐く。
 病弱である自分を置いて行くなど人の子にあるまじと。僻地にて人の命を奪うなど人の子にあらずと。自分より先に命を落とすなど不幸者であると。ぼそりぼそりと紡ぎ出される言葉が真綿のようにじわりじわりと行雄の首を絞めていった。


 若い男のいない村は生気を無くした亡者のようであった。
 取り残されたのは年寄りと子供に女ばかりだ。



 女は亡者の上を這い廻っている。
 行雄はその女を待っている。




 自分は何だ。

 一体何だと云うのだ。

 何故自分はここにいるのだ。

 何のためにここに留まったのだ。

 何故入営が叶わなかったのだ。

 何故だ。





 何故――





 灰褐色の雲が空を覆っている。重く分厚いそれが山間に懐かれた狭い檻に蓋をする。
 雪が全てを覆い何もかもを隠してしまう。世界から隔離され孤立し不信感が降り積もる。


 雪が降る。
 しんしんと音を呑み込んで。
 雪が隠す。
 檻の中で息を潜めながら。
 雪が凍てつかせる。
 男の心に澱のように降り積もって凍えさせ殺そうとする。



 身体を震わせながらその時を――





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