エリア内
其の日は一日中応接室から逃がさずに、全ての事を僕の近くでさせた。なんだか、一時でも目を離せば、何処か遠い所に行ってしまいそうで……はっきり言えば僕は怖かったのかもしれない。


「名無し……」


何時でもどんな時でも、何故君の名前が……表情が頭に浮かぶ? 会議中でも何時でも何処でも、名無しの事が気になって頭から離れなかった。
心苦しい……こんな気持ちは早々感じるもんじゃない。なんで僕がこんな思いをしなければ成らないのさ。


「委員長?」
「……」

応接室。また降らない書類にサインをしなければならない。風紀委員特性ペンを使ってサインを施していたとしても、僕は何時の間にか手を止めている。ぼんやりとし、意識がぼやけていく……。
草壁だって、僕の事を気にして当たり前だよね……。


「委員長、やはり……名無しさんが居ないと……」
「煩いよ、草壁」
「は……ですが」
「いいから出ていけ」

いい、沢山だ。もう其の名前を僕の目の前で出さないでよ……聞くたびに、何処かが痛い。
ドアから渋々出ていった草壁を片目に、僕は窓に視線を送る。そうさ、今日は名無しと一度だって合っていない。詳しく言うならば、名無しは学校に来ていない……。何をしているのか、僕を一人学校に置き去りの侭、一人で自由に家でのんびりだなんて、ふざけるにも程が有るんじゃないの? 


「――咬み殺す」


嗚呼、何て力無い声。僕とした事が、降らない。
名無しの事は忘れて、しっかりと仕事をこなさなくては――風紀の仕事は底を付く事を知らないんだから……僕がさぼったら如何にもならないでしょう?
再び意識をしっかりと持ち、サインを施す。だが、名案が……浮かぶ。


「そうだ」
電話、だ。其れで無かったらメールでもすれば良いじゃないか。

思い立った矢先、僕は携帯を手にとって名無しにメールを送る。電話の方が早いかと思ったのだが、今は名無しの携帯電話の番号を覚えていない。アドレスは記録に残してはいたのだが……浅はかだったか。

“なんで学校に来ないの?”
と、極一般的、かもしれない文章にして名無しに送る。何か理由があるだろうから、其の言い訳を聞いてやらないでもないと考えたからでも有る。……もしも其処らの生徒ならとっくに咬み殺しているよ……許してあげているのはさ、其の相手が、君だからだよ。


「……さ、仕事」

来るまでは仕事をしなくては。そんな奇妙な不安と焦りから、僕は仕事をこなすのだ。だが、幾らメールの遣り取りが苦手な名無しでも、余りにも時間がかかりすぎやしないだろうか――。
十分待っても、二十分待っても返信される気配は無い。

流石に、苛立つ。
こっちは心配しているのに、返してこない其の無神経さに苛々してきた。再びメールを打ち返そうかと思った其の時、メールではなく、電話が鳴る。


スクリーンを見れば、其処には僕がイラついていた張本人……名無しの名前が表示されている。如何したのかと、僕はペンを置いて携帯に出た。


「遅い」
「……ごめん」

開口一番罵声を浴びせる僕に対し、名無しはすまなさそうな……力無い声で謝罪の意を述べた。


「今日、学校休む事、言わなくて……」
「そっちに謝ってるの? 返信が送れた事じゃなくて?」
「ん、どっちも」

力無い声。少し、心配になってきた。

「ねぇ、大丈夫なの? てっきりズル休みかと思っていたけど」
「まさか、恭弥が居るのにそんな理由で休めるわけ無いでしょ……」

良く分かっている。なんて内心褒めながら……少しだけ嬉しかった。


「具合は如何? 体が悪いの?」
「如何かな、別に、平気」
「平気なわけ無いでしょ……今さっきそんな理由で休まないって言ったくせに」

強がり、もっと素直に成りなよ。調子悪いならば僕がお見舞いに行って上げるって言っているんだからさ。
電話口向こうで、咳きをする声が響いた。風邪を引いたのだろうか? そんなに無理をしていたのだろうか。

「大丈夫?」
「……うん」
「意地っ張り」

簡単な言葉の連鎖が続き、そして僕は何時の間にか長電話をしている。そして気が付くのだ……。通話時間が長くなるに連れて、名無しの咳きをする回数も増えていっている事に。


意地っ張りで、何も見えていなかったのは―――僕の方。

段々、心配で心細くなって……名無しの側に居たくて居たくて――仕方が無い欲求に駆られた。嗚呼、馬鹿で愚かな僕。

beforafter

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あきゅろす。
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