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或る日の聖剣と銀狼














『その小さな小さな1秒が無限に合わさり、やがて大きな物語となる。…一滴の雨粒が河を経て大海となるように。』

-M.マグリア著「聖杯戦争」より-









































夜も更け、辺りがすっかり静まり返った頃。
英国の首都、ロンドンは高く昇った月の眩い光に包まれていた。

その月明かりに、ロンドンの街並みの一角にあるこの建物――英国…いや世界すらも救うかもしれないとある組織の本部――も例外なく照らされていた訳であって。



「やっぱお月さんはきれいだなぁ…」

「……………………。」



建物の中の部屋の一つ…月を見上げる二つの双眸がある部屋を、蝋燭があるだけとは思えない程明るくしていた。

――ベッド、引き出しがある以外は石畳の上にカーペットが敷いてあるだけの殺風景な部屋。そこには二つの生き物の影が見えている。
一人は栗毛色の髪と瞳を持った、12、3歳位の少年。白いYシャツにサスペンダーで吊されたズボンという、この年端から考えると至って普通の格好をして窓辺に座っている。
そしてもう一人。
ぱっと見ただけでは、ただの人間であり、17歳位の青年に見えた。
が、よく見ると普通の人間と違う箇所が幾つかある。

…………耳。

普通人間には顔の横に生えているはずの器官が、何故かそのボサボサの銀髪の頭から突き出ていた。しかも髪の色と同じ銀色で、フサフサした犬のような耳が。
それだけではない。ズボンの尻の部分に開けられた穴からは同じく銀色の尻尾がゆらゆらと揺れている。

そう、まるで狼のような。

明らかに人間でない事は確かであった。
青年(で、合っているだろうか?)は肌が殆ど露出した…というか上半身が裸同然な服装をしていて、首からは怪しく光る綺麗な小石をぶら下げながらカーペットの敷かれた床の上でゴロゴロと寝そべっている。

「なぁ、アーサーもそうおもわないか?」

彼はふと月から視線を外し、自分と同じように月を眺めている窓辺の少年にニッと笑いかけて尋ねた。

「…………ん?」

アーサー、と言われた窓辺の少年が質問した声の主に向かって振り返り、優しく微笑む。

「うん、そうだね。とっても綺麗だよ。」

少年が答えると、そう言われた青年はヘヘッ笑い、「だよな〜」と嬉しそうに顔を緩ませた。

「お月さんてさー…キラキラしてるしー…まいにち形かわるし、見ててたのしいからな〜…。」

しかしそこまで言うと、青年は急にどこか寂しそうな笑顔になった。ふわふわ、ゆらゆらと揺れていた尻尾が少しだけ下がる。

「なんか、『みんな』をおもいだすぜ。」

――『みんな』。
遠い遠い遥か昔、青年と共に暮らし、共に生きた者達。即ち…青年にとっての家族。
彼等は今、この地上にはいない。
愚かな人間達のもとに、『駆除』されたのだ。

そう、彼は人間ではない。

……『人狼』

世界で最も凶暴な生き物であると謳われた、『魔族』の一種族の一人であった。

「……本当にただ『謳われた』だけ、か。いや、踊らされたのか。人間が。」

窓辺の少年が幼い外見には似合わない苦々しそうな顔をして呟く。

「?」

青年はアーサーと呼んでいた少年をキョトンとした目で見つめた。どうやら彼の呟きがよく聞こえなかったらしい。
当のアーサーは下から送られてきた青年の純粋な視線にハッとして表情を再び笑顔に戻した。

「アーサー、どうかしたか?」

「…ん?あ、ああ。なんでもないよ。」

「ふーん。ま、アーサーがなんでもないっていうんなら、べつにいいんだけどな〜」

青年は「にししっ♪」と笑い、再び月に視線を戻す。そんな彼をアーサーは無理矢理繕った笑顔を消して暫くじっと見つめ続けた。

((もし彼が人間を未だに憎んでいるとしたら私のしている事は…))

アーサーは人間の欲望に巻き込まれた悲しき人狼を、少しの後悔の念に駆られながら見つめ続けた。

「…………んー……む?」

青年が視線に気付き、少年を見上げて眉を寄せる。そしてふぅ…と息を吐き出してゆるゆると立ち上がると、次の瞬間、青年は「うりゃっ!」とアーサーに飛び付いた。

「うわっ、なんだよファロ!!」

「なんでもないくせにそんな顔するやつがいるかよっ。なんかなやみがあるならこのオレにいいな。つーか、言わねぇと……こうだ!」

いきなり飛び付かれた事に驚くアーサーを尻目に、ファロと呼ばれた青年は少年の脇の下や足の裏、脇腹等をこしょこしょとくすぐった。すると途端に少年の口から半分悲鳴のような笑い声が漏れ出す。

「え、あっ、あふっ…!アヒャひゃヒャヒャヒャヒャヒャ!!!」

「言えコラっ!このっ!オリャッ!!くらえっ!!!」

「アヒャヒャッ!やっ、やめっ、ファロっ!ちょ、やっ、やめろっ!!死ぬっいやっ、息っ、息が!!」

「だはは!!オレのしらないところでなやみ事なんかするからだー!」

「…あふっ!そ、それだけじゃなくてぇ!ファ、い、いかげんにしないとホラ、お、おち、うっ…うわっ!!」



…どさっ。



アーサーが激しく抵抗したにも関わらずファロがこしょこしょとくすぐり続けた結果…二人は大きな窓の縁(へり)からずり落ちる事になった。

「あだっ!」

「……っ…………!」

調子に乗ったのが悪かったのか、ファロはアーサーの下敷きになってしまっている。それに気付いたアーサーは慌てて彼の上から降りようとした。

「あっ、ごめんファロ…!だいじょうぶ、」

「どうしても、いえねーのかよ」

心配して呼び掛けるアーサーの言葉を、ファロの外見よりもやや幼い声が遮る。

「え?」

下敷きになっているファロの表情を見ると、先程までの慌ただしさが嘘のように、彼は真剣な顔だった。

アーサーはファロの珍しい表情に何か言おうとしたが、

「……………………。」

言葉が、喉の奥から出てこなかった。

…本当は人間なんか救いたくないんじゃないか。

ファロを見ているといつも考えてしまう事なのに、アーサーは怖くて言えなかった。
アーサーはいつだってファロに幸せでいてほしいと願っている。それは人間が今まで彼にしてきた過ちを償いたいだけではなく、彼が自分にとっての大切な友であるからだ。
しかし、もしも彼の本当の気持ちが今まで自分が思っていた…『理想』や『想像』と食い違っていたら。自分の今までしてきた事が、最も大切な友を苦しめていたとしたら。
アーサーはまだ怖くて言えなかった。
自分でもこんなの矛盾していると思う。彼の本当の気持ちを知らずに、この先も自分の勝手な判断でファロの幸せを考えてしまうなんて。彼の幸せを心から願うなら、今ここで聞くべきだ。

((だがファロが騎士団から抜ける事が幸せだったとしたら?))

誰よりも彼の幸せを、彼が笑顔でいてくれる事を願っている。しかしファロを手放したくない。

((いつから自己中心的になってしまったんだ、私は…))

アーサーは何も言えないまま、自分を見つめる真剣な眼差しから顔を逸らした。

「………………はぁ〜あ…ったく、」

今まで下敷きになっていたファロが、大きく溜め息をついて上になっていたアーサーごと抱きながら体を起こす。

「なんか…やっぱいいや。いいたくないならいうな、今は。」

「……ごめん。」

アーサーは目を逸らしたまま謝った。そんな彼を見て、ファロが苦笑を浮かべる。

「あやまるひつようなんてないさ。そのかわりいいたくなったらいつでもいえよな?まってるのもシンユーであるオレのしごとだ。」

「………………。」

アーサーは、小さく微笑んだ。
偽りかもしれなくても、その言葉が嬉しくて。

「…シンユー、か。」

親友。
なんだ、私が教えた言葉なのに随分と新鮮なモノに感じる。

「……ああ、もうすっかり夜中になってしまったね。」

アーサーはファロの上から空を見て立ち上がった。

「…ファロ、明日の朝にも電話が鳴ると思うんだ。もう寝た方がいいよ。」

「え゛っ」

ファロはギクリと固まった。明らかに嫌そうである。

「う、うそだあ〜!だって今日かえってきたばっかじゃないかよ!」

少年は視線を空に浮かぶ月から床の上で嫌そうな顔をしながら慌てるファロに移し、溜め息を漏らす。

「嘘じゃない。当たり前だろ。予想は着くよ。こうしてる間もエヴィリアがどこかで侵攻してるんだ。女王陛下も、一刻も早くエヴィリアの殲滅を願ってる。今日本部に帰れたのも奇跡だと思うよ?最近は任務が終わった途端、新しい派遣先に強制連行されることが多いし。たぶんまた早朝にでも連絡が入ると思う。」

「ええ〜〜〜〜」

ファロが物凄く嫌そうな顔になり、口を尖らせた。

「……オレ、はやおきにがてだ。」

窓の前で立つ少年から目線を外し、ぼそりと呟く。そんな彼を見てアーサーはふふっと微笑み、ファロに目線を合わせるかのようにしゃがみ込んだ。

「だからもう寝た方がいいよ。困る事は寝坊だけじゃない。旅の最中も眠いといざという時上手く戦えないだろう?ファロは。…君の事はかなーり頼りにしてるんだから、よろしく頼むよ親友。」

青年はアーサーの言葉――特に『親友』の部分――を聞くと頭から生えた犬耳をピクリとさせて「んっ?」と反応し、尖らせた口をニンマリとした笑みに変えて、すっくと立ち上がった。

「っそうだな!アーサーのいうとおりだ!オレはもうねるっ!!いざというときアーサーを…シンユーをまもれなかったらたいへんだかんなぁ!」

「…有り難うファロ。」

アーサーも目を伏せがちにゆっくりと立ち上がる。大切な友に、心からの感謝を送りながら。

「それじゃあ明日こそちゃんと起きて…、ん?……うわっ」

最後に一つだけ彼に釘を刺そうと思っていたアーサーは顔を上げて言葉を途切らせてしまった。
と、いうのもファロが急にグイッと顔を近づけて来たからである。それも鼻先がぶつかりそうな程。いきなり目の前に現れたファロの顔に、アーサーが少々驚いたように目を見開く。

「…………?どうした?」

「アーサーはぜったい守る。なんたって、おれの『ナスづけ屋』でもあるからな。」

そう言って自分をじっと見つめる、真剣な顔。

『ナス漬け屋』…?

…ははーん。

アーサーは暫く凝視していたが、やがてプッと吹き出し、やれやれと突っ込んだ。

「…漬け物屋さんになった覚えはないよ、ファロ。漬け物は嫌いだ。ジパングのアレはしょっぱ過ぎだからね。」

アーサーはそう言って目の前のファロの顔を押しのける。

「…そんなに堅くなんなくていいよ。別に当然の事をしただけだし。」

「いいや!オレはすごくかんしゃしてるんだ!だからぜぇーったいまもってやっかんな!」

「ふふっ…はいはい。ほら、早く行きな。」

「…りょうっっかい!」

アーサーが微笑みながら手をヒラヒラさせると、ファロは元気良く返事をして駆けていき、ドアを開けた。

「…おやすみ、アーサー。」

パタリとドアが閉まる。

………………。

やっと訪れた静寂。アーサーはやれやれと息をつきながらも、まんざらではなさそうに微笑んだ。

――…するとその時。








「アーサー!」








ガッチャンといきなりドアが開き、つい先程出て行ったばかりのファロがピョコッ顔をと出す。

「マジで名まえくれてサンキュな!パルチファルって名まえ、きにいってるんだぜ!?」

そう言うやいなや、アーサーに返答の隙も与えずにファロは再びドアをバッタンと閉めた。

ドタドタドタ。

ドアの向こうで、騒がしそうにファロが駆けていく音がする。
アーサーは呆気にとられて彼を見ていたが、暫くしてプッと軽く吹き出し「どういたしまして」と言った。

――…既に彼が閉めていき、何もないドアに向かって。

少年は振り返って静かに月を見る。高く高く昇った、眩い月。



――ヒュッ…



いきなり、窓を締め切っている筈の部屋に一陣の風が吹いた。

「…なんだ、聞いてたのかい?」

アーサーがまるで誰かに話し掛けているかのように目を閉じ、呟く。

「…………ふふ…私らしくない、か。どうもな…人を統べる事には十分慣れているのだが、こういう…『親友』というモノは初めてなのでな。どう対処すればいいのかわからんのだ。上に立つのは知っているのだが同じ位置に立つ者がいるっていうのは…」

……((おいおい、このワシはタメ口きいてる癖に同等ではないんかい))

「アンタを同等になんか思った事は、一度もない。」

((ほぅ…では下に見ていると?))

「とんでもない!アンタはタメ口が聞けるようになった今でも私の師匠だ。同等でも、下でもない。…大体私を大蛇のいる洞窟に閉じ込めたり、人喰い巨人と一騎打ちさせたりする者を上から見下ろせる程私は超人ではない。」

((懐かしいのう、そんな事もあったな))

「とにかく、今アンタが来たということは『あっち』でまた何かあったんだろう?」

((いや、至って平和じゃ。ガウェインが必死に仕事をこなしておるわ))

「では何故?」

((暇じゃったから、からかいがてら様子見に))

「最低だなアンタは!」

((いやぁん〜アーサーが怒鳴ったぁ〜))

「…………はよ記憶の元へ帰りや。」

((ふふっ、ワシの『記憶』の中のアーサーはもうちょっとスルースキルが高かったぞ?))

「…………それは良かったな。」

((やっぱりお前、ちと子供っぽくなったんじゃないかのう))

「……………………。」

((先程のやり取りも初めての友達に対する、アレというか…ワシの知っておるお前だったら、即質問してるわい。『人間が憎くないのか』、とな。ようするに手放したくなかったんじゃろう?あの人狼を))

「…………私の精神が幼くなっていると?」

((ワシにはそう見えるがの。まるで失っていた少年時代を、エンジョイしてるみたいじゃ))

――先程からブツブツと誰かに語り掛けていたアーサーの口が止まった。どことなく驚いたように眉がつり上がる。

…そうか、自覚はしていなかった。

アーサーはゆっくりと目を開き、やや自嘲気味に笑って月を見上げた。




「………………そうかも、しれんな。」




再びどこからともなく吹いた小さなつむじ風が、今は若きアーサー王の前髪をなびかせる。

――舞い上がった前髪の隙間から覗く瞳が月の光を反射して、金色に輝いていた。



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