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無くしたもの
65 離れられない






ベッドに転がって静かに寝息を立てる黒髪の頭を眺め、ふと思う。
わたしの家は彼らの溜まり場なのかと。












転がる人物の身体にやんわりとかけられたタオルケットを剥いでやれば、心底鬱陶しそうに顔を歪めた彼が瞼を開いてわたしを眺めていた。身体を起こす気配がまったく感じられないのは、気のせいなんかじゃないだろう。







「いい加減起きたらどうですか」
「………はァ?今何時だよ?」
「もう7時過ぎてます。試合前らしく気合い入れて走ったりしないんですか。」
「んなことすっかよ。どーせ勝つし」
「……ふうん。わたし、先起きますね」
「……へいへい」






















使い慣れた歯ブラシを手にとって歯を磨けばぼんやりとした頭が徐々に覚醒していく。……この歯ブラシも毛先がボサ付いてきたし、そろそろ新しいのを新調しないといけないなあ。
洗面所に設置されたいつもの鏡を覗き込めば、お世辞にもかわいいとは言えない、そんなくたびれた自分の顔にほとほと嫌気が差した。


……わたしの顔ってこんなに情けないものだったっけな。










『そんなつまらなさそうな顔しないでよ』







今では名前も思い出せないような、かつてのクラスメイトに言われた言葉。




(……不細工、)




つまらなさそうな顔って、こういうことか。

















口に水を含んだ時にはもうすでに頭の中はクリアになっていて、大きく伸びをすれば身体がぼきんと鈍い音を鳴らした。ゆるゆると寝癖のついた邪魔な髪をかきあげ、ぼんやりと考えを巡らせる。

……どーせ勝つ、か。

そんなことを言われてしまうと、いよいよ彼らがこれから何を楽しみに試合をしていくのか、それがわからなくなってしまいそうで怖い。結果のわかりきってる試合なんて、何のやりがいもないんじゃないのか。

ふーー、肺に溜まった息を鼻から吐きだせば、廊下から微かに足音が聞こえてくる。どうやら起きたみたいだ。






「歯磨き粉は?」
「どうぞ。結局起きたんですね」
「おう、どっかの誰かさんがうるせーから寝れなくなった」
「……さようですか」






途端に現れ、寝癖のついた髪をわしわしと掻きながら逆の手で器用にお腹を掻く。目の下にうっすらと隈を作ったわたしを気に止める事もなくさらりと隣に並んだのはさっきまでわたしのベッドを占領してた張本人、虹村センパイだ。捲れた服から覗くお腹はとても綺麗に締まっていて、さすがとしか言いようがない。青峰やら黄瀬やら遠慮を知らない彼らのおかげで、男の腹筋なんて見慣れてしまったわたしはただただその光景を横目で眺めていた。おヘソ見えてるけど、まあいいのか。





「あれ、歯ブラシあるんですか?」
「ん、昨日コンビニ寄ったときに買った」
「ああ、そういえば寄りましたね。……って、最初っから泊まるつもりでしたか?」
「んー」





もしかして、昨日コンビニに寄って行きたいって言ったのはこれが目的だったのか。隣で自前の歯ブラシを取り出した姿に疑問をぶつければ、忙しなく歯を磨きながら適当にはぐらかされる。なんだそりゃ。










結局、昨日はセンパイの謎の追及から逃れられることもなくただただ『キセキの世代』との仲について延々と述べさせられた。思った以上に話は盛り上がって(センパイが興味津々だっただけ)気づけばいい時間に差し掛かかり店を出ればセンパイが言った通り、わたしはしっかりと家まで送り届けられることとなった。いや、さすがにそれは悪いと首を横に振りかけたが、一人で帰ります、なんて言おうものならきっとまたぶつくさ怒られると思ったからわたしも大人しく従わせてもらったのだ。


それがなんで一緒に朝を迎えることになったのかは、まあ、全ては流れだ。あれよあれよと言う間に気づいたら虹村センパイはわたしの部屋に腰を下ろしていて、更に気づいたときには流行りの芸人が出演しているトーク番組をみながら一緒に貝ひもをしゃぶっていた。散々黄瀬や青峰を泊めてきたわけだから、それが一人増えたくらいで今更何も文句を言う気はないんだけれど。












「昨日は悪かったな」




洗面所を後にしてキッチンへ向かう。卵ある、ハムもある、ベーコンもあるし野菜もある。たとえどんな成り行きだとしても一応客人がいるわけだし、ちゃんとした朝食を作るとしよう。その客人が虹村センパイだとしても。冷蔵庫の中身を眺めてうんうんと唸っていれば、上から降ってきた声に視線を上げる。横から伸びてきた手は卵をさらっていき、慣れた手つきでコンロの火をつけた。それより今、悪かった、と。……はて、なんのことやら。
帰り道、わたしの脛を故意に蹴ってきたことか、それとも家に転がり込んだことだろうか。あるいはベッドを占領したことか。






「聞いてんのかよ」
「あ、はい」





えっと、髪を掬いつつそう言葉を濁らせれば、一つ深いため息を吐いた虹村センパイが横目でわたしを一瞥する。なんでわかんねえんだよ、とでも言いたげな眼をしてるけど、いかんせん思い当たる節がありすぎてわからないのだ。





「言ったろ、昨日」
「……でこっぱちってやつですか。それともガキみたいなデコしてるってやつですか。気にしてないですよ、はい」
「思いっきり根に持ってるじゃねーか。……いや、それじゃなくて」





センパイの大きい手に収まった卵はやけに小さく見える。器用にフライパンに卵を落とせば、ぱちぱちと油が弾ける音が食欲をそそられた。そんなわたしに反して、センパイは何やら考え込むように言葉を詰まらせている。……ん?どうしたんだろう、らしくない。普段ならわたしの反応なんてそっちのけで毒を吐いてくるのに。そんなセンパイを尻目に隣でレタスを千切ってやる。朝からサラダなんてめんどくさくてしばらく作ってなかったし、言っちゃあなんだが現在進行形でなかなかめんどくさい。

虹村センパイが口を開いたと同時に、まな板に転がったプチトマトを摘んで口に運ぶ。






「余計な事言ったわ」
「……ああ」

























『お前って、』





昨夜の出来事を思い返してみる。プチ、とトマトが口の中で弾けると同時に、虹村センパイの言葉が頭の中に蘇っていく。

そういえば。
なんだかいろいろ言われてしまった気がする。



















「依存するタイプ?」







まさに麺を啜っている最中、正面にいた暴君のそんな疑問にわたしはわかりやすく困惑の色を示した。そしてしばらくの間の後、だらしなく口からぶら下がった麺をひと啜り。
……依存、って。








「その表現は、どう返したらいいか」
「…オレは、仲良し、なんて言葉で片付けられるものじゃない気がするけどな」





カラカラと、中身を失い氷だけになった透明のグラスを揺らしそう呟く。あれ、ここはバーか何かですか。たかが中華料理屋なのに、その大人びた容姿のせいでイヤに艶っぽいのはそんな仕草をするのがこの人だからだろう。……また話し辛い話題になってしまった。ついつい溢れそうになったため息を飲み込めば、それを図ったように再び話題は深められていく。






「お前ら、ただの友達とか親友とか、そんな生温いモンじゃねえよ。なんて言うんだろーな。まあ、周りが何も言わねェからオレだけがそう思うのかもしれねえけど。良くも悪くも、そんだけじゃねえ。」
「……それって、ほぼ確信じゃないですか」





周りが何も言わなくて虹村センパイがそう思うのなら、きっとそれは間違いじゃない。なんせ彼にはかつて部を任せられた程の観察力や洞察力、そして推察力もあるのだから。




「お前らはさ、」




虹村センパイの鋭い眼がわたしを射抜き、ぽつりと言葉を漏らす。







『お互いがお互いに依存してるよな』






センパイから発せられた言葉を、笑い飛ばせればよかった。




















「今となっちゃあ、オレが口挟むことじゃねえな。悪かった。」
「いえ、気にしないでください。」




目玉焼きを丸皿にうつしつつ、わたしを視界に捉えることはせず何度目かの侘びを入れる。……ふーん、センパイって料理できるのか。目玉焼きなんて焼くだけだけど、それでも手馴れてるのがわかる。こりゃまたモテるわけだ。内心ほくそ笑んでいれば「きーてんのかよ」という声とともにチョップが脳天に降ってきた。







「きーてますよ。だから、気にしないでくださいって言ったじゃないですか」
「…気にしないでって、そーはいかねーだろ。」
「……じゃあ、どうしましょうか」






別に、謝らなくったっていいのに。やけにあっさりとしたわたしの態度を見てか、彼は再び眉根を寄せて口を尖らせる。





「センパイ、気にしなくていいって言うのは、まさにその通りってことです。」
「……あ?って、テメェこら」






センパイの目の前に置かれた目玉焼きの黄身をつついて潰してやれば、ギロリと一睨みされた。これ、人にやってはすごくイヤな人もいるよね。かく言うわたしもそのうちの一人で、こんな愚行をされれば1週間は口をきかなくなるレベルだ。だからこそやったんだけど。

怪訝な顔つきでわたしを見つめるセンパイにこれでチャラだ、微かに口角を上げてそう言えば、バカにしたような呆れたような、そんなため息を吐かれた。しおらしい虹村センパイなんて見たくはないし、それなら毒を吐いてもらったほうがマシだ。それに、彼の言葉はきっと間違いなんかじゃない。






「わたし、きっと彼らに依存してます」




テレビから聞こえてくるおは朝占いの声に、緑色の頭を思う。そんなものも今のわたしたちにとったらただのBGMで、数回きょとんと瞬きを繰り返した目前の人物に小さく笑みをこぼす。







「なんでそんな不思議そうな顔をするんですか。センパイが言ったんですよ。」
「……認めるんだなって思って。」





わたしはパンを一口、虹村センパイはお茶碗に盛られたごはんを口に運ぶ。ごはん、山盛りよそったつもりだったんだけどな。気付いた時にはお茶碗の中のごはんは残りわずかに減っていて、わたしはそれに急かされるようにパンを口に頬張った。昨日に引き続き、虹村センパイはよく食べる。朝でも昼でも夜でも、食欲は旺盛らしい。さすが食べ盛り。


何度か咀嚼を繰り返し、口の中のものを嚥下する。よく冷えた麦茶をごくりと喉の奥に流し込み一息吐けば、次の言葉を待つようにわたしを眺めるセンパイと視線がかち合う。







「認めざるを得ないです。センパイが言うなら。それに、今までずっとわからなかったんです、わたしも。黄瀬も、紫原も、赤司くんも、だけどそうだ。センパイに言われてはっきりわかりました。依存です、きっと」






依存と言う言葉こそいい印象は無い。けど、わたしにはその表現が驚くほどぴったりと当てはまってしまった。





「わたし、人見知りなんです。知ってました?友達とかいないんですよ」
「笑って言うことじゃねーし、人見知りの奴は男を家に泊めたりしねーよ」





そう思うでしょう?わたしだってそう思う。だけど、それは彼らだからなんだ。虹村センパイが泊まるのを了承したのだってきっと、センパイが彼らに関わりのある人間だから。






「まあ、話はまた歩きながらでも。お皿下げてもいいですか?」
「いい、持ってくわ。ごちそーさん」





すっかり空になった皿をキッチンに下げて壁に掛けられた時計を眺める。あらら、意外と遅くなってしまった。洗い物は帰ってきてからにしよう。律儀にもそのまま洗い物をしようとしたセンパイをそう制し、わたしは制服に、センパイは今では見慣れたお馴染みのジャージに身を包み、家を出る。

照りつける日射しにうんざりといった様子で空を仰ぐセンパイに、わたしも同じように視線を空に上げる。そういえば。と、ふいに視線を落としてきたセンパイに首をかしげれば、楽しそうに口角を釣り上げ言葉を続けた。






「おまえ、なんでオールバック?」
「気合入れです。顔を邪魔するものがないとなんかすっきりしないですか?どうですか、センパイも」
「はいはい。前見て歩けよ、転ぶぞ。」
「センパイも」
「オレはそんな鈍臭いことしねーよ」





相変わらず軽くあしらわれてしまう。コツン、隣から伸びてきた拳に軽く額をノックされ、驚いて瞼を閉じる。ぺちん、とおでこを叩かれたかと思えば次には結ったポニーテールをぶらぶらと揺さぶられた。

……ほう、またわたしのおでこをバカにしてるな。まあそれを見越してのオールバックだ。今更嫌なことも何もないからいいんだけど。






「これからおまえらがどうなっていくのか、オレは心配でたまんねーよ」





親心とでもいったらいいか、再び空を仰いでそう確かに呟いたセンパイは親というよりも兄という表現のがしっくりくる。時間が経つにつれ人通りの増していく歩道を歩く。






「わたしにもわからないです。わたしは彼らがいるから毎日こうやって笑っていられるんですけどね。人見知りで根暗なわたしの世界を変えてくれたのは、彼らだから。」
「そうだな。でもそれは多分、アイツらも同じだろーよ」
「……だから、わたしは彼らに依存染みた執着心を抱いてるんでしょうね。センパイ、わたし正直帝光の理念とかそんなんどうでもいいんです。百戦百勝とかなんだそれって言うか、糞食らえっていうか。あ、すみません睨まないでください」




途端、鋭い視線を向けられて思わず狼狽え足を止めてしまった。しばらくの間を空け先に長い足を動かし始めたのは虹村センパイで、その背中は呆れに満ちているように見えた。……殴られなかっただけマシか。わたしの言葉はこれまでのバスケ部の努力や経歴をすべて否定するものであって、マネージャーの立場にあるわたしが零していい言葉じゃない。

後を追うように小走りで隣に並ぶ。








「バスケをしてる彼らを見るのは大好きだし、それを支えられる役目になれたのもすごく嬉しいんですが。だけどバスケをする彼らのマネージャーでいる事よりも、彼らがただ素を出せるような、変なわだかまりのない楽な親友でいたいと思うんです。」







彼らがバスケをしているから友達になったわけじゃない。大好きな彼らがたまたまバスケをやっていて、たまたまわたしが彼らのマネージャーになっただけ。
そう言って見上げた虹村センパイは、淡々と足を動かしながらただただわたしを見下ろしていた。眉根は深いものの、怒っているのとは違う、本当に心から心配しているようなそんな顔をしている。同情か憐れみか、何を感じてその表情をするのかわたしにはわからない。けど、センパイに告げているこの言葉に嘘なんかひとつもない。






「前に、青峰に彼女ができたことがあるでしょう?」
「あー、そいやあ。センパイだったっけか、でもすぐ別れたよな」
「はい、すぐ別れました。わたし、青峰と黄瀬に言われたことがあるんです。『お前がいると彼女できない』って。」
「……わからんでもない、な。」
「その時思ったんです。彼らにもしすごい大切な子ができて、そのうちふざけ合うことも話すことも、何気ない挨拶を交わすこともなくなったらって。わたしと彼らの関係が変わってしまったらって。」






彼らとわたしの間にあるものは、やっぱただの依存心なんだ。彼らがわたしに対してどれだけその感情を抱いているかはわからない。ただわたしは『友達』として、その境界線の内側で彼らを手放したくないと思っている。






「お前は、どうなりたいんだよ」
「……このまま、」




いられたらいい。
けど、きっとこの均衡はすぐに崩れる。


わたしは、紫原がわたしに望んでいる関係に気付いている。保健室での一件を皮切りに、彼のスキンシップは友達という領域を軽く超えたものになっていたし、何より紫原の態度はわかりやすいから。知っていながら見て見ぬ振りをし、気持ちを踏みにじり友達のままでいようとする。なんてイヤな女なんだろうか。

紫原のその気持ちを否定してしまえば色々なものが拗れる気してならない。わたしがマネージャーであることで彼がバスケに向き合うことさえもやめ、仲間との関係すらも無いものにしてしまうのではないか。

何よりも、それが怖いんだ。






「……柴田、」
「……あ、すみません。フリーズしてました」





どれくらい黙っていたんだろうか、珍しく心配を前面に表した様子のセンパイの表情にハッとして口を開く。一回考え出してしまえばいつものように、またずぶずぶと答えの出ない沼に沈んでいくように抜け出せなくなる。

そんな考えを振り払うようにあたりに目を向けてみれば、ジャージを着た他校の生徒がちらほら姿を現している。どうやら知らない間にもうしばらく歩いていたらしい、迷わずに来れたのはセンパイのお陰だろう。





「柴田っち!!!おはよ!!!!」
「朝からうるせーよ」



そろそろ待ち合わせの場所に着きそうだ。なんて遠くに見えた会場に足を進めれば、聞き覚えのある声にわたしが反応するよりも早く、ドスの効いたセンパイの声が響いた。おはよう、と手を挙げて応じればにんまりと口角を上げた黄瀬は結われたわたしの髪を掬い、首をかしげた。





「なんでオールバック?」
「気合い入れ。……これ、みんなに会うたびに聞かれそうだね。結び直そうかな」
「珍しいなーって思っただけっスよ!似合ってるから今日はそのままでいてほしいっス!ね、虹村センパイ」
「オレに振るんじゃねーよ、バカ犬」
「ひどっ」





傷ついたっス、とわざとらしく泣き真似をする黄瀬から伸ばされてきた腕を軽く弾く。それでもそれを意に介さず再び伸びてきた腕は簡単にわたしの首に巻きつけられ、げっ、なんてあからさまに顔をしかめてもなんのその、離してくれる気は全く感じられない。この真夏日和だ、本当に暑い。

そしてセンパイからの視線がイタイ。いつものようにヘラヘラと振る舞う黄瀬に対して心底うざったそうにするセンパイの視線のおかげで居心地が悪いったらない。





「そうそう、ところで」





すっ、と。丸い目を細めた黄瀬にわずかに眉根を寄せたのはセンパイだけではなく、私も同じだった。途端、ピリッとかすかに張り詰めた雰囲気に狼狽えれば「なんだよ」とわずかな間の後、黄瀬を見やったセンパイに背中に嫌な汗が流れるのを感じる。






「……ねえ、黄瀬。暑い、」





雰囲気の変化を感じ取ってしまったが最後、黄瀬と肌が触れていることになんとも言いがたい感情が胸を支配する。触れた箇所からどんどんイヤなものが広がってくるような、よくないものに侵食されていくような。言葉ではあらわせられない、そんな感覚。そんなことがある事は無いのはわかってる。比喩でしかない。それでも、触れていることが苦痛にしか感じられなくなったわたしは黄瀬の腕を掴もうと手を伸ばす。






「なんで虹村センパイと一緒なんスか?」






伸ばした腕はいとも簡単に黄瀬の手によって阻まれ、首に回された腕によって必要以上に密着した身体に湧いてくる嫌悪感。目に見えない何かが乗りかかるような感覚に、今迄黄瀬に感じたことのない感情が渦巻く。



誰だ、この人は。



耳元で聞こえた低い黄瀬の声に、身じろぎさえも忘れる。ばくばくとうるさく暴れる鼓動と静かな自分の呼吸だけが耳に届き、目前で眉を潜めて黄瀬を眺める虹村センパイに目を向ければ、わたしを一瞥し、はあ、とそれはそれは長い溜息を一つくれた。朝からもう何度も見てる、呆れたような表情。

なんていうか、わたしにそんな顔をされても困る。好きでこうなってるわけじゃないし、虹村センパイを巻き込むつもりもなかった。さて、これはどう対応したらいいか。黄瀬の問いかけに下手な返事はできない。いや、わたしが何を言ってもそれはその場凌ぎの言い逃れにしかならなさそうだ。うん、困った。


なんだって朝からこんな変な空気を味わわなければならないのか不思議だ。多分今日のおは朝占いは最下位なんだろうなあ。あとから緑間に聞いてみよう。
現実から目を背けてぼんやりと巡らせたその考えは、脳天に降ってきたチョップによってあっという間に消えて無くなった。






「あのな、偶然そこで会っただけだっつの。わざわざ待ち合わせしてこねーよ。」
「……痛いっス」





わたしの後ろにいる黄瀬も同様、センパイのチョップをお見舞いされていたらしい。頭をさすりながらふて腐れたようにわたしから離れた黄瀬は「仲間外れにされたかと思ったんスよ」なんて口をへの字に曲げたあと、いつもとなんら変わりない笑顔を浮かべた。

……なんなんだ、黄瀬。あまりの切り替えの良さに開いた口がふさがらないのはわたしだけらしい。虹村センパイは何事もなかったように会場に足を進め、黄瀬はわたしの表情に首をかしげる始末。……わたしがおかしいのか。肩からかけたショルダーバックを握りしめて悶々と考えていれば、後ろから忍び寄ってきた水色の頭の声に肩を震わせる事になった。





「黒子、おはよう」
「……柴田さん」
「ん、どうした?」
「……いえ、なんでもないです。」




影を落とした黒子の表情は見ているだけで堪えてしまうものがある。口ごもったまま何も言わない黒子の首に腕を回して「大丈夫、大丈夫」なんて、なんの根拠のない言葉を繰り返す。青峰も黒子も、あれからずっとこの世の終わりみたいなそんな顔をしている。
きょとんと目を丸めた黒子の目をただただ力強く見つめれば、わずかの間の後微かに口角を上げた。











「二連覇したら、バニラシェイクパーティーしよう」
「どんなパーティーですか、それは」








彼らが笑ってくれるのなら、
依存だと言われようが構わない。











あきゅろす。
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