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無くしたもの
61 少女は知らない







授業は鐘が鳴る前に切り上げられ、いつものように食堂へ足を運べばそこにはまだ目で確認できる程度の生徒しかいなかった。いつものように窓際の大きいテーブルに腰をかけ、読みかけの文庫本を手に取る。きっと、彼らが集まるまではまだ時間がかかるだろう。そう思い、本を開いたと同時に食堂に見覚えのある人物がひょっこりと姿を現した。「あ、黒子」あっという間にボクの姿を視界に納めた彼女に思わず目を丸くしてしまう。歩みを進めてきた彼女はそのままボクの正面に腰を下ろした。開きかけていた本を閉じる。柴田さんが来たなら、本を読む必要は無さそうだ。





「そういえば、青峰くん、調子を取り戻したみたいですね」
「……今のところは、かなあ。でも、黒子の言葉が効いたみたいだね。部活も出るようになったし、この前の試合では笑顔もあったから少し安心した」






ここ最近、二人になれば話題はもっぱら青峰くんのことで。ふいにそう会話を切り出せば、頬杖をついてボクを見ていた彼女がわずかに眉を下げてそう呟いた。部活をサボり気味になっていた青峰くんも地区予選時には調子を取り戻したらしく、彼の活躍もあって僕たちは全中出場を決めることができた。……ボクのおかげ、か。少なくともボクには、それだけではないと思うけれど。「今日はなにたべよーかなあ」なんて、呑気に券売機に目を向ける彼女を眺めていればふとある疑問が浮かぶ。






「柴田さん、青峰くんに何か渡したんですか?」
「ん?なんで?」
「昨日部活の後に一緒に帰った時におもしろいものを貰ったって笑ってたので。何かあったのかなあ、と。」





券売機に向いていた彼女の丸い瞳は宙を眺め、何かを考え込むような仕草を見せる。……特になにか、特別なものを渡したわけではないのだろうか。「あ」どうやら思い出したらしい。





「合鍵か」
「え」
「なにがおもしろいものなんだか」
「……青峰くんに合鍵を?」






ごつん。目の前であっけらかんと言い放った彼女に思わず項垂れれば、テーブルに頭をぶつけた。痛い。……合鍵?顔を上げ、今度はしっかりと疑問を投げかける。うーん、なんて言葉を濁しながら頬杖をついていた彼女がテーブルに置いてあったボクの本を手にとってパラパラと頁をめくっていく。




「前に夜中に起こされたことあるし、わたしも一人の時が多いからいいかなーって。あ、この本わたしも読んだことある。おもしろいよねえ……あれ、黒子?」





……なるほど、青峰くんが調子を取り戻したのはそのおかげなんだろう。人間、いざというときの逃げ場が出来ると思いもよらないパワーが出ることだってある。青峰くんにとって柴田さんと言う逃げ場ができた事で、彼はまたバスケに向き合うことが出来たという事になるのか。……青峰くんにとっては、プラスになった。けどこの行動は、柴田さんにとってはデメリットが多すぎる気がする。……この話はさすがにどう考えても伝えるべきではない。開きかけた口を固く閉じて目の前の彼女に目を向ける。外野は黙って見守るしかないだろう。「黒子、なんで拝んでんの?」「……何事もなく終わりますようにと」「え」難しい顔で首を傾げた彼女に苦笑いが漏れる。






「あーいた!!柴田っちなんで置いてくんスか!!ってあれ、黒子っちまで、早くないっスか?」





少しずつ賑わいだした食堂で一際大きな声を放ったのはボクの不安材料の一つでもある黄瀬くんだった。その数歩後ろにいるのは紫原くん。ちらりと時計に目を向ければ、鐘が鳴るまではまだ少し時間がある。そういえば、彼女と黄瀬くんたちは同じクラスだったか。





「あれ、黄瀬。気づいたらいなかったから、先に席とっとこうかなあって。そしたら黒子がいた。紫原も全然起きないし」
「ん〜寝ちゃってた〜。起きてお菓子買いにいこーとしたら黄瀬チンに捕まった。めっちゃ遠くから手ェ降ってくんの、恥ずかしいからマジでやめてほしーよね」
「アレね、わかるよ。恥ずかしいよね」
「え!?そんなにっスか!?」
「ね、黒チンはなんでそんな顔してんの?」
「…そんな顔って、うわ、止めてください」





一体自分はどんな顔をしてたんだろうか。紫原くんの指摘に内心心臓が跳ねたけど、彼の大きな手に頭を鷲掴みにされそんな感情もすぐに消え失せた。相変わらず彼はボクを子供にしか見てないらしい。されるがまま、ガシガシと頭を撫で回されて視界が揺れる。……子供以下かもしれない。





「…あれ、赤チンとミドチンは?峰チンもいないじゃん」
「まだ授業じゃないですか?どのみち赤司くんと緑間くんは監督から呼び出しがあったみたいです。先に食べててもいいとメールが来てました。青峰くんはきっと、そのうちひょっこりと現れますよ」
「じゃー先に買いにいこーよ。オレお腹すいてんだよね〜。」
「ん、そうだね。紫原買ってきて」
「こんな距離を動かないデブってどうなの」
「……よし、黄瀬と黒子なににする?わたし買ってくる。」
「え、いいんスか?んじゃ、オレは生姜焼き定食で。はい、お金。柴田っちもそれで買っていいっスよ!」
「え。いーよ、黄瀬にはなんだかんだいろいろ買ってもらっちゃってるし」
「マジで?黄瀬ちんありがと」
「紫原っちには言ってないっス…!!」





柴田さんにとってのデメリット。つまりそれは、彼女に好意を寄せる彼らの事。好きな人が異性に合鍵を渡してるなんて知られたら、彼らは心中穏やかではいられないはずだ。しかもそれを受け取った相手が自分の仲間であるチームメイト。……これが顔をしかめずにいられるだろうか。想像しただけで恐ろしい。「黒子はなににする?」「肉団子定食でお願いします」「合点承知の助」たまに、彼女は真顔で何を言ってるんだと思う。けどそれは口に出さず、昼食代を手渡せば彼女は券売機へと足を進めていった。もちろん、紫原くんも一緒に。






「紫原っちも柴田っちにベッタリっスねえ」
「……そうですね」




肩肘をついてそう眉を下げる黄瀬くんの視線の先、つまりは柴田さんと紫原くん。何時ものように表情にあまり変化のない彼らのコミュニケーションも、見慣れたボクたちからすれば信頼し合っている事は簡単に理解できる。……合鍵の事は、なにがなんでも紫原くんにだけは隠し通してほしい。彼が知ってしまえば、きっと柴田さんが責められる事は容易に想像できる。ボクの斜め、つまりは柴田さんの席の隣に座る黄瀬くんの瞳は、ずっと柴田さんの後ろ姿を眺めていた。







「………黄瀬くん」
「ん?なんスか黒子っち」
「柴田さんが青峰くんに、合鍵を渡したそうです」
「…………は」




黄瀬くんと柴田さんを見ててずっと不思議に思ってたことがある。何時からかはわからないが、彼が柴田さんに向ける視線が今迄とは明らかに違うもののようで。……今、疑惑から確信に変わった。わずかに眉をひそめた黄瀬くんの表情は、いつものような人懐っこさなんて微塵も感じさせないくらい鋭い眼をしていた。






「……青峰っちっスかー。ま、青峰っちならまだいいっスかね。だってあの人別に柴田っちのこと、女としてはみてないし」
「…黄瀬くん?」





静かに細められた黄瀬くんの瞳に、思わず嫌な汗が流れそうになった。たった一人の女の子が、彼等をこんな顔をさせてしまうのか。……なんだか見てはいけないものを見てしまった気がする。これはボクが踏み込んではいけない問題なんだと、彼女の行く末を考えるととても心苦しくなってしまう。
黄瀬くんはもう柴田さんの事をー、







「なんて顔してんだよ、おめーは」
「いでっ…!!!青峰っち…!なんスかもー!人の頭パンパンパンパンと!」
「……青峰くん、遅かったですね」






わずかに張り詰めた空気を打ち破ったのは、その原因である青峰くん自身だった。パン、なんていい音を響かせた頭を黄瀬くんが涙目で撫でる。……同感だ。さっきの黄瀬くんの表情は、いつもの明るくて誰にでも別け隔てない人気者の黄瀬くんとは全く別人のようだった。「仮にもモデルがそんな顔すんなよ」なんてはにかむ青峰くんにはどうやら会話の内容は賑わったこの食堂のおかげか、彼には聞こえてなかったらしい。しかし青峰くんは力加減を知らないから、本当に痛いのだろう。「あ、青峰」柴田さんの声にみんな揃って視線を向ければ、そこには緑間くんと赤司くんもいて、お盆を持ってテーブルへと足を進めていた。緑間くんの手には味噌マヨから揚げ定食と親子丼。







「はい、黒子の肉団子定食」
「ありがとうございます。そういえば、運ぶ時のことを考えていませんでした。すみません、大丈夫でしたか?」
「緑間が持ってくれたから大丈夫だったよ、落とさなくて済んだ。ありがとね。」
「後先考えずに行動するからなのだよ。女子が両手に重いものを持てるわけないだろう」
「赤司くんも緑間も早かったね、もう話は終わったの?」
「ああ、全中のことで少しな」
「はい、黄瀬ちん生姜焼き定食〜。」
「あれ?なんか少なくないっスか?」
「……気のせいじゃない?」






彼女から差し出されたお盆を受け取る。なるほど、緑間くんが持っていたのは柴田さんの食事だったらしい。紫原くんはもちろんだけれど、緑間くんも大概天邪鬼だと思う。……いや、緑間くんはツンデレだったか。「オレもなんか買ってくるわ」財布を片手に歩き出した青峰くんの背中を見送っていれば、彼が姿を現したことに安堵の表情を浮かべた柴田さんが視界に入った。









「全中もすぐそこだねえ、皆さん意気込みはどうですか?ね、黒子一個トレード」
「はあ、意気込みと言いますと………がんばります?どうぞ」
「人事を尽くすだけなのだよ」
「ん〜…めんどくさいけどお菓子食べたいからがんばる〜。しばちんオレにはー?」
「またお菓子か。紫原なに?ハンバーグ?」
「ん、はいあーん」
「……むぐ、お、おいしい。じゃなくていきなり突っ込まないでよ。黄瀬は?」
「オレは〜……まあ、アレッスね。人事を尽くすのみっスかね!柴田っちに捧げるっス!」
「また黄瀬がなんか言ってる」
「おい黄瀬、パクるな」
「勝つのみだな。頼んだぞ、お前たち。」
「赤司くんかっこいい」
「柴田オレにも寄越せ。オレの竜田やる。」
「……わたしの味噌マヨから揚げちゃんが無くなってしまった」







彼女がここまで好かれる理由はなんなんだろうと、たまに思うことがある。ボクが彼女と知り合ったのはそれこそ入学当初で、たまたま同じクラスの隣の席だった。それがなんでここまで親しくなったかと言われれば、ボクが悩んでた時も彼女が隣にいたからだろうか。なんというか、彼女の雰囲気は妙に大人びていて落ち着いているものがある。それが彼等には、居心地がいいんだろう。……目の前で笑う彼女は今こそ柔らかい雰囲気だ。だけど昔はもっと、影があった気がする。渋茶を啜りつつ、そんな思いで彼女を見ていれば彼女の視線がボクに向いた。「ぶっ」「うぉわ!黒子が吹いた…!」「何やってんだよテツ!!」自然と視線が交わって思わずお茶を吹いてしまった。本当に申し訳ない。















キセキの世代と呼ばれる突出したバスケセンスを持った彼等に桃井さんの類稀なる情報収集能力。そして監督に認められる程の完璧なスケジュール管理、トレーニングメニューの作成、そして作戦立案を行ってきた柴田さん。そして、彼女がいることでボクたちのチームワークは完璧なものになっていて。ボクにはもう、ボク達が負けることなんて全く想像がつかなかった。


彼女がいることでボク達が得たものはたくさんある。だからもしもこの先、どこかでボクたちの仲が壊れてしまうとすれば、それはきっと彼女の存在も大きく関係するんだろう。目の前で微笑む彼女の小さな背中には、ボクが思ってる以上に乗りかかっているものが多すぎる。…何時までも、このままではいられないんだろう。









「おし、絶対全中二連覇しようね」









さあ、全中は目の前だ。







































あきゅろす。
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