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無くしたもの
49 変わり始める














「……」
「……」
「……………どこ行くの」
「………別にー」
「次体育だよ」
「でねーし、めんどい」
「いいの?赤司くんにどやされるよ」
「……赤ちんなんか関係ねーし」





目の前を歩く紫原の大きい背中は、気を抜いたらあっという間に遠くなってしまう。
普通にいつも通り歩く紫原の後ろをパタパタと小走りで追いかける。いかんせん彼と私では足の長さが違いすぎて普通に歩くだけではあっという間に置いてかれてしまう。

相変わらず顔を見ない彼の足は止まることなく教室の前を通り過てしまった。
まさかサボるつもりか。今まで授業中寝ることはあってもサボることなんかなかったのに。こういう時こそ嫌な予感は的中するもので、彼の足は保健室に向かっているように感じる。彼にとって絶対の存在である赤司くんの名前を出しても今回は彼の気持ちは変わらないらしい、一瞬怯んだけどノックすることなく保健室の扉を開け足を進めた。おいおい。


ここで追い出されるのは割に合わない、恐る恐る保健室を見渡せば先生は丁度留守のようで心の中でガッツポーズをする。
ぎし、と音のした方を見ればそこにはすでにベットの上に転がる紫原の姿。体の大きい紫原にとったらこのベットも小さいのだろう、体を丸めて布団に潜り込むその姿はとても窮屈そうだ。

ふう、一息ついて隣のベットに同じように体を沈ませる。想像を越すその居心地の良さに思わず瞼が閉じそうになるのを堪える。
ベットのスプリングが軋む音に反応を示した紫原の視線が静かにわたしを捉え、しばらくの間の後口を開く。
…今日初めて、まともに目が合ったなあ。




「……なんで着いてくんの?」
「なんで顔見てくれなかったの」
「……質問してんのはこっちだし」




ゴロン、再びわたしから顔を背ける紫原の背中を眺めるのは今日何度目だろうか。
それでも「眠くなってきた」と何気なく呟けば「勝手に寝ればー」なんて独特の間延びした返事が返ってくる。
何気ない会話を出来るようになったのは、彼と目を合わせることができたからだろうか。


あーあ、このままサボったら赤司くんにバレるかな。今からでも行くべきだろうか、なんて考えてれば授業の始まりを知らせる鐘が校内に響く。それと同時に授業に出ようなんて気持ちはあっさり消えて無くなってしまった。わたしも悪くなったもんだなあ。







「お見舞い来てくれたんだよね、ありがと」
「…柴ちんが寝てる時にね」
「心配させてごめんね」
「……別にー」




どうやら話をしてくれる気にはなったらしい。彼から発せられる声色でだいぶ機嫌が良くなったのが手に取るようにわかり、ついつい安堵のため息を吐く。
うつ伏せになって枕に顎を乗せれば、隣で紫原が同じように紫の瞳をわたしに向けた。
……やっと本題に入れそうだ。





「気にしないでいいんだからね」
「…んー……何が」




横目でさりげなくこっちを見る彼に目を向ければ、ばっちりと視線が交わったあとからばつが悪そうに紫原は枕に顔を埋めた。
その反応からして、わたしが何を伝えたいかは理解しているみたいだ。

保健室まで聞こえてくる賑やかな声は、きっと体育が始まったことによるものだろう。
ボールが何かにぶつかる音や叫び声が聞こえてくるけど、なにやってるんだろう。
「青峰っち!顔はやめて!!」なんて声が聞こえて来たのは気のせいではないと思う。その後に彼の悲鳴が聞こえたことも。

ぼけっと窓を眺めていれば紫原がちらりと視線を送ってくる。
ちらちらと見たり逸らしたり、なんというかかまってほしそうな子供にしか見えない。
まあ体がでかいだけでまだ中2だしなあ。








「わたしがケガしたのは黄瀬のせいでもなければ紫原のせいでもないでしょ」
「……しばちんがトロいから」
「うん、まあそれは否定できない」
「……ちげーし、冗談通じないのー?」







え、冗談なの。
目を瞬かせて紫原を見ればムスッと眉をひそめて呆れたように息を吐く。
……冗談に聞こえないんだけどな。

わたしとしては灰崎くんに蹴られるまでに逃げられる時間はあったし、蹴られて落ちたにしてももっと上手に受身が取れてたんじゃないかと思う。
わたし自身の反射神経が悪かったと言われてしまえばそれは否定できない事で、随分派手に落ちたんだなあ、なんて乾いた笑みを漏らせばこれまた怪訝そうに紫原に眺められた。








「まあさ、ちゃんと生きてるから安心してよ。黄瀬もそうだけど、自分のせいでケガしたなんて思ってるならそんな考えはもうやめてほしい」
「…はあー?思わずにいられると思ってんの?実際オレも黄瀬ちんも、あの時は助けられる距離にいたじゃん」
「心配してくれるのもそう思ってくれるのも嬉しいけど、終わったことだし」
「……あのさー」








なんとなく視線を合わせることができずに枕に顔を埋めていれば、ギシ、とスプリングが軋む音と共にベットが沈む感覚に顔を上げる。…んん、なんだこの状況は。

まず視界に入ったのは、うつ伏せになる自分の顔の横に伸びてる腕。その腕を辿って見上げれば無表情でわたしを見下ろす紫原の顔。
……いつの間にこっちに来た?
て言うか、なにやってるんだこいつ。

この状況に頭がついていかず起きようとすれば何かに邪魔されて身体を起こすことすらできなかった。





「…いや、なにやってんの」
「しばちんに乗ってる」





乗ってる、じゃないから。
どうやら起き上がれない原因はこいつがわたしの身体を跨いでいるかららしい。
何度起き上がろうとしても、この巨体を退かせれるわけも無く、ただただなけなしの体力を消耗するばかりでなんの意味もなかった。

いやいやいや、これは人に見られたら…てかどんなけ重いの、びくともしないじゃん。




「は、話するのに乗る必要はないでしょ」
「…んー、わかってたけどやっぱしばちんバカだし、話ししてもわかんないかなー」
「ば、バカって。成績同じくらいじゃん」
「ねー、バカにも種類はいろいろあんじゃん?しばちんはまた違うバカじゃねーの」




わたしの背中を挟んで膝立ちする紫原を眉を潜めて見上げればあっけらかんとした様子でひとつ、欠伸をこぼされた。






「眠いなら寝なよ」
「……そうするー」
「退い、ぐふ…っ!!!」






ここでじゃねえよ!隣のベットいけよ!

やけに素直に返事をしたと思ったら奴のでかい身体が覆いかぶさってきて全体重がわたしの身体に預けられる。
いきなりのことに変な声が自然と口から漏れてしまった。我ながらかわいくない声だ。



バカじゃないの、身体につぶれるっての。
それ以前に誰かがきてこの場面を見られたら不登校になる。これから生きていけない。
いくら仲が良くてお互い気を許してるといってもわたしだって健全な女の子だ、この距離感はいただけない。



考えれば考えるほどこの状況は好ましくない。どうにか抜け出せないかと考えていれば廊下から聞こえてきた微かな足音と女の子らしき高い声に、一瞬にして身体が固まった。









「……む、紫原」
「………なに」
「ひ、人、人が来るかもしれない」
「……ほんとだねー」







ほんとだねって。他人事か。
ピシンと身を固めたまま動かないわたしとは打って変わって奴はあろうことかあからさまに距離を詰めてくる。さっきまでわたしの顔の横に置いてあった紫原の手はいつのまにか肘に変わっていて、軽く四つん這いになったような紫原の大きい身体に本格的に覆いかぶされた。


聞こえてくる女の子の足音も声も、さっきよりもハッキリと聞こえてきてわたしはより一層息を潜める。信じられないくらい紫原が近くにいる羞恥心と、知らない誰かにこの状況を見られるんじゃないかという不安と恐怖でわたしの頭はいっぱいだ。
どうすればいいのかわからず、ただただ激しく打つ鼓動を抑えることしかできない。

わたしを無表情で見下ろしていた紫原といえば、そんなわたしの様子を眺めてふ、と鼻で笑うだけ。
その余裕そうな表情に、これまたわたしの心はかき乱される。





「な、なに笑ってんの」
「しばちん固くなりすぎでしょー」
「ちょ、小さい声で喋ってよ…!入ってこられたら終わり…!」
「えー、終わりってなにが?」





だからなんで他人事なの。諭すように紫原を見上げれば扉が開く音に吐き出そうとした言葉を飲み込み慌てて口を噤む。
だから早くどいてって言ったのに。



「あれ?先生いなくない?」「ほんとだ、勝手にやっちゃっていいかな?」どうやら体育で怪我をしたらしい、聞いたことのあるその声は同じクラスの女の子のものだった。
同じクラスの子となれば、余計に見つかるわけにはいかない。
「黄瀬くんやっぱかっこいーね!顔にボールぶつけられてたけど大丈夫かな?」「青峰くんもかっこいいよね!」なんて話の内容からさっき聞こえてきた黄瀬の叫び声に納得がいった。ドッジボールでもやってるのかな。
しかしモデルの顔に平気でボールをぶつける青峰はすごいと思う。






「ねえ〜」
「ちょ…!しゃべるなって…!」






よそ事を考えていれば急に耳元で聞こえてきた低い声に、思わずびくりと身体を震わせてしまう。あいにく女の子達はガールズトークに夢中なのかわたしたちの存在には気づいていないようで、ガタガタと物音を立てながらきゃっきゃと盛り上がっている。

おそらくだけど、相当大きい物音を立てなきゃ覗いてくることはないだろう。
ほ、と安堵の表情を浮かべていれば サラ、と髪を撫でられる感覚に心臓が跳ねる。





「ねーって。」
「なに」
「オレもー無視とかしないから」






相変わらずぽつぽつと耳元で呟く奴の低い声に、わたしの心中は穏やかじゃない。
なんでこんなに距離が近いんだ、髪を撫でられて耳元で呟かれるなんて、どこの少女漫画だよ。






「……シカトすんなし」
「いや、シカトって、…う!?」





顔をしかめたまま答えを返さないわたしに痺れを切らしたのか、あろうことかゴツゴツとした大きい手に顎を鷲掴みにされそのまま上を向かされる。苦しい、手を軽く叩けば「あー」とつぶやきその手を緩める。
緩めるんじゃなくて離してほしいんだけど。

ありえないこの体勢。どっからどう見たってこの絵面は襲われてるようにしか見えないだろう、自意識過剰とかじゃなくて。





軽く仰け反るようなその体勢にわたしの腰も限界が近づいている。妙に近いその距離感から呼吸がし辛い。我慢できずに小さく息を漏らせば止まっていたその手が再びわたしの頬をなでるように動く。
「ねえ」再び聞こえてきた声に視線だけを向ければ(そもそも顔が動かせないけど)伏し目がちな紫原の顔が目に入って、やけに艶っぽい中学生らしからぬその表情に嫌な予感が胸を支配し始める。






「……やばいかもー」
「……なにが、て言うかもう止めてよ」
「あともーちょい」
「ちょいって、…うぁあぁぁ…!」







やばい、とはなんのことか。
理解したくもないその言葉にひくりと顔がひきつるのが自分でも手に取るようにわかる。

嫌な予感はやっぱり的中するもので、顔を掴まれる手に力がこもったかと思えば耳に生温かいか何かがぬるりと触れる。
予想外のその感触に変な悲鳴とともに背筋がピシッと伸びた。
おいおいおいおい、それはないだろう。







「…ねえ…!ほんと何してんの…!」
「…んー…わかんない」
「おい、もうさすがに…!ひぃ…!」







耳に触れるその生温かい感触はどうやら紫原の舌によるものらしい。信じられるだろうか、あろうことかこいつは舐めている。
何をって、耳を。信じられない。
どこで覚えたんだ、中学生がやる事じゃないだろう。止むことのないその感触に身体をよじろうとするも、いかんせん奴の身体のせいでどうにも身動きが取れない。


いよいよ笑えない。意味のわからないこの状況に今日一番のしかめ面をして覆いかぶさる紫原の顔を睨みつける。
紫の瞳と視線を交わらせれば一瞬、何かを考え込んだように動きを止める。

女の子たちの声は、
気付けば聞こえなくなっていた。








「……何やってんだろー」
「こっちのセリフだよ」








小首を傾げてのっそりとわたしの上から退いた紫原の背中をグーで殴る。「いてーし」と気にも留めない様子で隣のベッドを移っていった奴は何事もなかったかのように大きい身体を投げ出し再びわたしを一瞥した。


かく言うわたしもベッドから身体を起こし、隣で寝転がり視線だけをよこしてくる紫原の横顔を眺める。
…横顔を眺める限り、さっきまでの不機嫌さはもうどっかに消えたらしい。今迄の行動から全く腑に落ちないけどまあなんというか、これまで通り普通に話ができるようになったならまあ良いのかな。なんて、わたしも紫原には相当甘いらしい。あんなことされてブチ切れないって、わたしは仏なんじゃないか。








「しばちんほんと色気ないよねー」
「………今さら言う?」
「んー、さっき改めて思った」
「色気求めるなら違う子にやりなよ」







わたしだってやられたくてやられたわけじゃないんだけど。軽く睨みを利かせてやったが今さらそんなんが通用するわけもなく、のそりと起き上がってベッドから降りる。


そんな流れを首を傾げて見ていればパンっと軽く頭を叩かれた。え、なんなの。
目を丸くして目の前に立つ紫原の顔を見上げれば、私とは比べものにならないくらいムッとした顔で見下ろされる。
……おお、こわいこわい。






「ほんとバカすぎて呆れるしー」
「………バカって言い過ぎじゃない?」
「……あのさあー」





はあー、とそれはそれは長いため息を吐いて再びわたしを視界に捉える。





「オレが誰にでもこんなことすると思ってんの?」





静かになった保健室に響いたその低い声はわたし意外、誰の耳にも届くことなく消えていく。わたしを見つめるその強い眼差しに思わず視線を泳がせれば「いまはそれでいーけど」なんて背中を向けて仕切りのカーテンを開けた。


そのまま遠ざかっていく大きい背中を眺めるのは今日何度目か。さっきの行動に紫原の言葉、これまで仲が良いとは感じてたし、まさか、なんて考えたこともあったせど。


けど、いやまさかね。
ふ、と1人で乾いた笑みを漏らし、
一人になった保健室で再びベッドに身体を転がした。





















それからの紫原はいたって普通だった。
黄瀬からも「無事仲直りしたんスね!」なんて言われるほど。もちろん保健室での一連の流れは話してないし、誰かに言うつもりもないけど。








そういえば。カバンに入れていたお菓子を紫原と食べようかな、なんてチャックを開ければ入っていたのは中身を失った大量のゴミだった。
おい、いつ食った。





なにより授業をサボったことを先生に怒られ、終いには赤司くんにこってり絞られた。
今日一番辛い出来事である。












あきゅろす。
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