無くしたもの
42 ハッピーエンドは遠退いた
本当にツイてないと思う。
今まで面倒ごとは避けて生きてきたし、
これからもそうだと思った。
それがバスケ部のマネージャーとして毎日を
過ごすようになって生活が一変した。
朝暗いうちから家を出て外を走り回って夜は
辺りが暗くなるまで家には帰らない。
さらには家に帰ってからも机の上に広げられ
た様々な資料と向き合う日々。
それでも、大好きな彼らと一緒にいるのは楽しいし、そんな彼らの為に働けることに喜びを感じていた。
しかしまあ、誰かの為になろうとすれば誰かが傷つくことになる。
人のために動くのってこんなに難しいんだなあ。しみじみとそんなことを思った。
目を開けば視界が真っ白だった。
いまいち状況が読み込めずフリーズしていれば、嫌に痛む右頬と身体に意識が持ってかれた。ぼやけて視界がいまいちはっきりしないのはずっと眠っていたからか。
…なるほど、わたしは灰崎くんに病院送りにされたらしい。せめて保健室送りくらいにしてほしかったな、なんて呑気なことを考えていればガラリと開いたドアが開いた。
ついさっき目が覚めたばかりで起き上がれる気がしなかったので視線だけを向ける。
目を凝らして見れば、そこには金色。
「…目、覚めたんスか…?!」
バタバタと足音を立ててベットの傍に立つ彼は、どうやら黄瀬のようだ。いかんせん視界が霞んでて顔が見え辛い。
どうにかならないものかと目を擦ろうとすれば、思うように腕が動かなかった。
どうしたんだろうかわたしの身体は。
大好きな彼がそこにいるのに、顔が見えないなんて、もどかしい。
「ごめん、ずっと寝てた?」
顔を覗き込む彼の顔はしっかり見えないけど、まあ心配しているに違いない。
何か言おうかと悩んだがこんな事しか言えなかった。
「…寝てたっていうか、脳震盪起こしてたらしいっス。」
「まじか」
わたしの言葉に、黄瀬は一瞬言葉を詰まらせた。
「なんか目が霞んでて顔がよく見えないんだけどさ、元気だから心配しないで」
「…柴田っち、3日間意識無かったんスよ」
「え」
黄瀬の言葉にあんぐりと口を開ける事しかできなかった。
3日だと?思わず絶句していれば黄瀬はわたしの怪我について控えめに話し出した。
灰崎くんに蹴飛ばさたわたしはバランスを崩して右半身を強打、右肩関節を脱臼したらしい。なるほど、右腕が動かなかった原因は
どうやらそれが原因なんだな。
入院は必要ないらしいが三角巾で腕を吊り、絶対安静にしていなければならないらしい。
自宅療養がいいらしいけど、生憎勉強面で遅れをとるのは嫌だったしなによりもマネージャーとして学校に行きたかった。
そして頭を強く打ち付けて脳震盪を起こし3日間ずっと眠っていた、と。なんてこった。
入院と言うほどではないが、医師の判断で念のために2日このまま病院で寝泊まりをすることになった。
おまけにわたしの右頬には大きいガーゼが貼り付けられている。
よほど打ち所が悪かったのだろう、よく死ななかったと思う、本当に。
意外とわたしはタフらしい。
もしもこのまま目を覚まさなかったら、なんて考えてたら自分がどれだけ危険な目にあったのかを嫌でも実感した。
思わず眉を潜めれば、優しく頭をなでられる。久しぶりのその感覚に目を閉じればその手が頬に降りてきてくすぐったさを感じた。
そういえば
灰崎くんはどうなったのだろうか。
「ねえ黄瀬」
「…なんスか?」
「灰崎くんどうなった?」
そう問いかければ、
頬を撫でていた彼の手が動きを止める。
「その名前は聞きたくないっス」
「そっか」
「…柴田っちなら、誰にも言わないでって言うんだろうけど。さすがに3日意識失っといてみんなにウソつくなんて無理っス」
「……あー」
つまり、もうみんな知ってるって事か。
さすがに今回の事は隠し通せるなんて思ってないし、誤魔化すつもりはないけど。
「でも、ショーゴ君のことはまだ言ってない」
「…え」
「紫っちも、言ってないっス」
なんと。気づけば霞んでいた視界はいつのまにかクリアになっていて大好きな黄瀬の顔をしっかりと視界に収めることができた。
「学校側には、ちょっと足を踏み外しただけだって言っておいた。ショーゴ君のことはひとつも話してないっス」
「…そうなんだ」
「…でも、赤司っちにはウソはつけないとおもったから、柴田っち本人から話を聞いてほしいって言っておいた」
「そのうち話ししにくるっスよ」と眉を潜めて呟く黄瀬になんとも申し訳ない気持ちになった。ちなみに他のバスケ部の人間(主に一軍)にはわたしの話は赤司くんを通して伝わるようになっているらしい。
灰崎くんの話が彼らに伝わるのは、わたしが赤司くんと話をしてから。
たしかに、赤司くんに嘘をついてもなんにも得はしないだろうな。
すぐに見破られて信頼を失うだけ。
なら下手にそんな事はしたくはない。
「ねえ」
「……なんスか?」
「もしかして黄瀬、寝てない?」
「…柴田っち、もうオレ見える?」
3日ぶりに見た彼の顔はひどく憔悴してしまっているように見えた。
目の下にはうっすらとクマがあるし、なによりいつもの覇気もない。
黄瀬の小さな問いかけに短く肯定の返事を返せば、眉を潜めて顔を俯かせた。
「ごめんね」
「……また守れなかった」
ぽつりと呟く彼が言いたいのは、いつかの約束のことだろう。
顔を上げようとしない黄瀬の頭に手を伸ばそうとしても痛みで動かすことができない。
ああ、もう、
「黄瀬」
「……」
「おーい」
「……」
「こら」
「……」
「なんか言ってよデルモ」
ううむ、困った。なかなか顔を上げない黄瀬に眉を下げれば俯く彼の肩が微かに震えてるのがわかる。……あれ?
黄瀬とわたし、二人しかいない静かな病室にポタリと音が響く。
まさかと思って見やればシーツに数滴の水が染み込んで小さなシミを作っていた。
「…え、黄瀬」
「……」
「りょーたくーん」
「……うぅ〜ぅっ…うぐっ…」
「……ちょ、いやいやいやいや」
なんてことだ。
思わず目をかっ開いて黄瀬を見れば涙をだらだらとながしながら唇を噛み締めている。
「ね、泣かないでよ!ほら、元気!!」
「…どこ、がっ、スか…!」
「わたしの顔みてよ!この顔!」
「顔に、まで傷がぁ…っ…ぅうっ」
思いっきり笑顔で重い身体に鞭を打ち起き上がれば、目の前で涙を流す黄瀬に「起きるなばか」と身体をベットに押し付けられた。
いままで困らせたりしたことはあってもさすがに黄瀬の事を泣かせたことはなかった。
おろおろと悩んでいれば彼の手がベットの上に放り出されているわたしの左手を握る。
「死ぬかと、思ったっス」
「…わたしも」
「…泣くくらい、大事に思ってるんスよ」
「わたしもだよ」
「ショーゴ君の事、殺そうと思った」
「……ごめんね」
正直、なんでここまで灰崎くんの肩入れをするのか自分でも全くわからなかった。
屋上に拉致されありとあらゆるところを殴られ…思えば彼と仲良く過ごした思い出なんてこれっぽっちもないのに。
終いには階段から蹴り落とされ生死の境をさまよったし。
だからこの件も先生に言って退学にしてもらえばいいのに、わたしにはそれができない。
「柴田っち」
「ん?」
「バスケ部、やめろよ」
何言ってんの、そう言おうと口を開けばうつむいていた黄瀬の目がわたしを捉える。
「ショーゴ君が言ってたことの意味はまっなくわからないけど、女を階段から蹴り落とすなんて相当おかしいっスよ」
「それはわかる」
「今度また何かしてきたら、」
「絶対やめないから」
黄瀬の言葉を遮って言い放てば、眉により一層シワを寄せる彼の顔。
なんとなくそんな事を言われる気がしてた。
再び言葉を発しそうになった彼に「絶対」と念を押せば彼はまたうつむいて押し黙った。
「オレが、どんな気持ちで」
「うん、こんなこと言わせてごめんね」
「オレだって、柴田っちの側にいたい」
「側にいてよ」
「柴田っちが死んだらどーするんスか」
顔を上げた彼の瞳に再び涙がたまっていくのがわかる。その表情にいよいよ寝ていられなくなった私は身体を起こす。
ぐらり、頭がゆれる感覚を覚えたがいまはそんなのもどうでもいい。
のろのろと左手を動かしてこっち来て、とジェスチャーで伝えれば、一瞬戸惑った表情を見せるも大人しく身体を寄せてきた。
「おりゃ」
「、……なんスか」
「そんな顔するから」
そのまま寄ってきた彼の首に左手を巻きつけ自分の身体に引き寄せる。
急なことに身体のバランスを崩した黄瀬は、わたしを挟んでベットに手のひらをつける体制になった。
「柴田っちがやめないって言うから」
「やめないし」
「ほら、また言う」
そうぽつりと呟くと、黄瀬も同じようにわたしの首に片腕を巻く。こんな真剣に彼と抱き合う日が来るとは思わなかった。
黄瀬の言葉に「やめないもん」と口に開けば黙り込んだ黄瀬の顔が肩に埋まった。
さらさらと首をくすぐる彼の髪の毛がくすぐったい。
「……柴田っち」
「うん?」
「バスケ部、やめないで」
ぽたり、その言葉とともにわたしの肩が濡らされた。
肩を震わせる黄瀬の背中をなでれば、そのまま嗚咽を響かせる。
『バスケ部、やめろよ』
言いたくなかっただろうな、こんな言葉は。
自意識過剰とかそんなことは抜きで、黄瀬はわたしのことが大好きだ。
わたしも同じように黄瀬のことを好いている。
…そんな彼に、なんてことを言わせてしまったのだろう。なんでここまで彼らはわたしのことを好いていてくれるのだろう。
『オレが辞めさせてやるよ』
灰崎くんのその言葉は、きっと嫌悪から出たものではないと思う。だったらあんな顔はしないと思うし。
だとすると彼の考えていたことは。
考えれば考えるほど、わたしは灰崎くんのことを憎むことも恨むこともできなくなってしまった。
喉が焼けるような感覚をこらえて黄瀬の背中をさする。小さく肩を揺らす黄瀬の涙は私の肩を濡らし続けた。
わたしと黄瀬、二人しかいないその空間は夕焼けで赤くなり始める。
病室に響くのは、彼の小さな嗚咽音だった。
ハッピーエンドは遠退いた。
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