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無くしたもの
19 やられた








「よく来てくれた。柴田ゆう、でいいかな?
話によればキミはかつて元全日本選手である柴田謙光の娘だと聞いているが。引退後、彼は何を?」
「え、あの」
「彼とは何度かあったことがあってね。選手としてのみならず、トレーナーとしても活躍していることは聞いているジムの経営はうまくいっているのか?」







まったく意味がわからない。



困惑するに決まっているだろう。青峰の宣戦布告とも取れるあの「地獄に落としてやる」と言う言葉を真に受け、恐怖に震えながらも今日1日を過ごしてきた。
授業中にとんでもないことを仕掛けられるか廊下で何かをやられるかと身を硬くして構え
ていたが予想外、何も無く1日が終わった。


あれはただの脅しか、とカバンを持って廊下に出ればぴーんぽーんぱーんぽーん「1年A組柴田ゆう、直ちにバスケ部監督室に来なさい」と放送が流れる。

…バスケ部?嫌な汗が流れるのを感じながらこれを無視して帰れるほどわたしは強くない。暴れる鼓動を抑えながら失礼します、と部屋に入れば、高そうな椅子に腰かけたスーツ姿の髭を生やした男の人が眼に飛び込んできた。
この人はよく知っている。帝光中学校バスケ部の、白金監督。


部屋に入らず困惑するわたしに
入ってくれ、と声をかける白金監督。
椅子に座ればもう後はどういうわけか、現在に至る。
父と知り合いとは、驚いて目を丸くするわたしにひらり、一枚の紙を机に置いた。






「彼の娘である君が我が部に入ってくれるとは、非常に心強いな」



「………は?」




白金監督の言葉に驚いて言葉を漏らす。
訳がわからないなんてものじゃない。
机に置かれた紙にはバスケ部の入部届け。
マネージャー志望、そう達筆で書いてある文字の下にあるのは柴田ゆうの文字。
紛れもなく私の名前。は?なに?






「紫原から君の話は聞いている、さすが彼の娘といったところか。彼はジム経営でトレーナーをする傍ら、アスレティックトレーナーとして地方を飛び回っていると聞いたが、その間ジムは?」
「……わたしが任されています」


「…そうか、彼は現役時代も君を連れて試合に来ていた。彼からは、バスケに関しての知識、トレーナーに関してのノウハウなども娘である君に叩き込んであると聞いたが」
「……あ…まあ…一通りは…ずっと見てきていたので……」





机の上に置いてある入部届けから目を離すことなく監督の声にぽつりぽつりと返事をする。これを書いたのは青峰なのか、しかし紫原から話は聞いている、と彼は言った。
その上あのバカ峰がこんな綺麗な字を書けるわけがない。………黒子か?
これはやばい流れだ、どう考えてもこの会話からいい方向に流れることはないだろう。
覚悟を決めて言うしかない、机の下でスカートを握りしめ、息を吐く。


よし、言おう。これは間違いであったと。「あの、」監督を見て言葉を絞り出せば、彼の強い眼差しに口を噤んでしまった。
そんなわたしを見て彼は口角を上げる。





「君の母親も、選手である君の父、謙光のサポートをしていた。よくできた人だったよ。」
「……そうですか」




なるほど、私の母のことも知っているらしい。彼からの強い眼差しに、私は自分の言葉を飲み込むしかなかった。
…母の事まで言われてしまうとは。そんなの、ずるいじゃないか。
静かに睨みつければ彼は微笑んでいた口角を下げ、真顔でわたしを見やる。




「…できる事なら青春の全てを捨ててバスケに打ち込む彼らの姿を見届けたいと思っている。が、生憎私は持病を患っていてな」
「…そうですか」



持病、その言葉にわたしは目を丸くする。

ふと、監督が視線を壁に向ける。わたしもつられて目を向ければ彼の視線の先には黄金色に輝く数多くのトロフィー。
ここはバスケの強豪校だ、歴代の部員が勝ち取ってきたものだろう。
その隅にはユニフォームを着て笑顔で映る選手の写真があり、彼はそれに目を向けたままポツポツと言葉を紡ぐ。



「君の話は紫原や青峰、一軍の彼らがよくしていた。…だからこそ、君にバスケ部のマネージャーとして、彼らを支えてほしいと思っている。」
「……過剰評価しすぎじゃないでしょうか」
「…そんな顔をするな。君が柴田謙光の娘であり、彼らのそばには君が必要だと思ったからだ」





監督の瞳が私を捉える。わたしは逸らすことも、睨み付けることもできずただただ視線を交わらせるばかりだ。
あの、とひとつ監督に言葉を投げかける。

本当に厄介なことをしてくれたな、あいつ。




「彼らと出会ってまだ一年も経っていません。そんな彼らにわたしが必要なんて、どんな根拠があって言うんですか」




たしかに、彼らと仲がいいだろうと言われれば否定なんてできないし、まずしないだろう。黒子の努力だって見てきたつもりだ。
青峰の優しさに、緑間の純粋さ、紫原の素直さ、絶対的な強さと可能性を持つ赤司くんも。

だけど、わたしは一度も彼らの助けになった覚えはない。
…なぜそんなことが言えるのか。私は考えを巡らせるばかりだ。


そんなわたしの問いかけに彼はひとつ、微笑みをこぼし椅子から立ち上がる。長い足を動かしコツコツと足音を響かせながらわたしとの距離を縮める。
なんだ、とあからさまに身を固くするわたしの側に立つと、監督は片膝をついてわたしと目線を合わせる。
呼吸も忘れてしまいそうなほど強い眼差しに膝に置いた両手が汗ばむのがわかる。




「…君はわかっていないんだろう」
「……なにがでしょうか」



ごくり、唾を飲み込む音が聞こえてしまうんじゃないか。そんな静寂の中監督が発した言葉は、わたしの頭を駆け巡り、また答えの見つからない問題として頭を悩ませ事になる。

そんなわたしにお構いなく口を動かす彼はわたしに何を望んでいるのだろうか。



「彼らの君に対する感情は非常に様々だろう。愛情、興味、友情、安らぎ…きっとそれぞれ、感じることは違う」
「…はあ」
「柴田、頼まれてほしい」
「え、あの、」



思わず驚きに声を発する。
膝に置いた両手に重ねられたのは、大きくごつごつとした監督の手だった。困惑して彼の瞳に目を向ける。

…なんでそんな顔をするのか。
そこにいたのはさっきとは打って変わって、憂いを帯びた目をした監督だ。


もう自分でわかっている。これから発せられる彼からの要望を断わる事は私には出来ない。




すう、小さく息を吸った目の前の監督が静寂の中言葉を紡ぐ。







「彼らはこれから色々な壁にぶつかることになるだろう。それはきっと避けることのできない、彼らの人生を大きく変える出来事だろう。それが何か、君にも近くで見ていてほしい」



「そして約束してほしい」



「何があっても彼らの気持ちに寄りそい、彼らの側にいると」








こくこく、わたしはただ、壊れた人形の様に首を縦に振ることしかできなかった。






あきゅろす。
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