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夜遅く、あの日以来きっちり睡眠も取るようになったフィアリスは、寝る前に少し夜風にあたりたいと思い、バルコニーに出た。

(気持ちいい…)

風が心地よく頬をくすぐる。

「フィアリス」

バルコニーの下から、愛しい人の声がした。

慌てて身を乗り出すように、バルコニー下の小道を覗き込む。

確かに彼はそこにいた。

「今、仕事にやっと一段落ついたんだ」

「そう……で、何してるの?」

「お前の声が聞きたくなった」

「え?」

「悪いな、こんな夜更けに…」

眞王は言葉を濁しながらも、フィアリスに熱い視線を送る。フィアリスも今すぐにでも眞王を抱き締めたかった。

「寒くない?今私も下に降りて…」

「いや、まだ一段落しただけでなかなか終わりそうにない。また直ぐに戻らないと大賢者に怒られる」

「そう…」

眞王が大変な思いをしているのに何もできない自分が歯がゆい。バルコニーに挟まれたこの手すら触れられない距離がもどかしい。

思わずバルコニーの柵にかけた手に力がこもる。そんなフィアリスを見てか、眞王がボソッと言った。

「俺の我が儘聞いてくれるか?」

「勿論!」

フィアリスは反射的に即答した。眞王はそんなフィアリスを満足げに見つめてホッとしたような微笑みを浮かべた。


眞王が改まってフィアリスに何かを願い出ることは早々ない。きっと仕事に追われて精神的にも少々まいってきているのだろう。

「お前の歌が聞きたい」

「歌?」

眞王だけに捧げるフィアリスの歌――…。

優しい声、綺麗な旋律、包み込むようなその音を聞くたびに、愛を感じる。眞王にとってフィアリスの歌は、一番の『心の薬』だった。大賢者もそれを知っていたからこそ、一段落した眞王を送り出した。

「フィアリス不足で死にそうなんだ」

「大げさよ」

眞王の言葉に照れながら、フィアリスは返した。

「では、一曲……」

夜の少し冷たい空気を肺一杯に吸い込み、瞳を閉じて歌い始めるフィアリス。

想いを込められたその天使のような歌声は、眞王だけのものとして存在していた。声を通して伝わる想いに眞王は心地好さを感じて、目を閉じる。すぐ隣にフィアリスがいる気がした。触れ合っていなくても手に取るようにわかるフィアリスの存在。
自分の心の中に生きるフィアリスが、確かに少しずつその大きさを増して、自分の頭を支配していく。

最後まで丁寧に歌い終わったフィアリスは、眞王とほぼ同時に目を開いた。そしてぶつかる互いの視線。

そう、これは二人だけの世界。





「――…ありがとな」

眞王はそう言った。

「う、うん」

ハッとしてフィアリスも照れながら返す。真剣な瞳で短く直球な言葉を言う眞王がちょっとだけ新鮮で、それでもそんな彼も好きだとフィアリスは思った。

「こんなことしか出来なくてごめん」

そして思わず感じたものを恋人にぶつけてしまった。眞王はデコピンでもしそうな勢いで、ちょっと不機嫌そうにフィアリスに怒鳴った。

「お前の歌、俺は好きだ」

「え?」

「お前の歌に勝る薬など、この世にはない」
「だから、大げさだって」
「違うな。お前が謙虚過ぎるんだ。俺の女だ、自信を持て」

「…っ…う、うん」

仕事疲れの眞王を励ますつもりが逆に励まされてしまった。フィアリスは恥ずかしさを堪えながら、眞王を見つめる。

「仕事が片付いたら直ぐにまた飛んでくるからな!」

「疲れてるんだから、寝なさいよ」

「さっきも言っただろ?俺の疲れを癒せんのはお前だけなんだよ」

「…わかった、待ってる」

フィアリスが言うと、眞王は手を降ってその場から姿を消した。仕事に戻りにいったのだろう。


フィアリスは暫く、眞王がいたその場所を見つめていた。






―――この夜風に乗った歌声がいつまでも貴方の心に吹いているように。







おまけ


「相変わらず恥ずかしいお二人ですね。陛下、顔にやけすきです」

「そうか?羨ましいだろ?」

「そうですね、少しだけ」

「渡さないからな」

「わかってますよ。しかし、城の者…というか私に筒抜けだと知ったらフィアリスは一体どんな反応をするんでしょうか?」

「バルコニーの会話が丸聞こえな場所の部屋に、フィアリスに勧めたのはお前だろ?」

「おや、ばれてしまいましたか?」

「まぁ照れて慌てた顔も可愛いから、俺は構わないがな」

「フィアリスに言ったら恥ずかしさあまって、ビンタされますよ」

「だな。早く仕事終わらせてフィアリスに会いに行こう!」

「ええ、頑張って下さい。ぁ、此方は追加です」

「お前、鬼だな」

「気のせいですよ、陛下」



――…少しでも早くこの腕に、お前の温もりを。





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