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残散華
17

「風間…?本当か!?」
「ええ、この気配、間違いないです」
「しかし、なんでこんな時に……!!」
「……いや、こんな時だからなのかもしれないね。――行こう!」
井上の言葉とともに広間を飛び出す。そこに広がっていたのは――まとわりつく血の匂いと白い髪をした骸の群れ。
「この骸は…羅刹隊。これを風間一人でやったというのか…」
「羅刹隊ということは、迎撃に出たのは山南さんか……。彼はどこに?」
「あっ……あちらです!」
島田の指差した先に、風間と切り結ぶ山南の姿がある。状況は――明らかに風間の優勢だった。
「……がぁ……アァツ」
「まがいものが……。生まれ変わって出直してくるがいい!」
次々ととびかかってくる羅刹を風間は一閃とともに叩き斬っていく。
「……おのれ……!」
「他の雑魚より多少はマシだが、……おまえも所詮はまがいものか」
羅刹隊の中でかろうじて山南一人は食い下がっているものの、それでも風間にとっては相手ですらないらしい。ゆったりとした足取りで、確実にこちらへと近づいてくる。
深紅の眼差しが名をとらえ、唇が三日月のように弧を描いた。
「名、見ろ。これがまがいものの末路だ。血に狂い、仲間を襲う存在に成り果てて、それでも我ら本物には敵うことなく、犬のように斬られる運命の哀れな道化。……こんな輩に囲まれて暮らすなら、俺と一緒に来た方が幸せだと思うがな」
「……断る。あなたと行くつもりなどない」
羅刹に冷めた視線を隠そうともしない風間に、名もまた拒絶の意思を宿した瞳を向ける。その白く固く握りしめられた拳に、井上がそっと手を添えた。
「姓君。君は原田君、永倉君のところに行ってくれないか。ここは私たちが抑える」
「え、でも……!」
「我々は大丈夫だ。風間を突破できるのはあなたしかいない」
山崎の真剣な瞳が名を見つめている。名はキュッと唇を引き結んだ。
「……わかりました」
名が頷くと同時に、井上が指示を飛ばしていく。
「気をつけなさい、みんな。嬉しくない話だが、敵は風間だけではない。……絶対に背を向けては駄目だ」
血に狂った羅刹がいつ敵味方の区別をなくし井上たちを襲うかわからない。それぞれが頷きあい一斉に駆け出して行く。
「ご武運を!!」
島田の声を背に名も屯所の玄関へと走った。
しかし、やはりというべきか、目の前に風間が立ちはだかる。
「…行かせん」
「どいて……!」
その間にも羅刹たちが風間にとびかかっていっては、次々に斬り捨てられていく。名も羅刹をよけつつ、門へと走った。風間は羅刹を斬り捨て、名は羅刹を避ける。乱戦の中で、二人の刀が近づいては火花を散らせた。押しては戻され、戻しては押されながら羅刹たちの喚声に負けないよう声を張り上げる。
「いきなりここを襲ってきたわけは、何…?!」
「ふん。残念だが、ただの時間稼ぎだ。お前らに出て行ってもらっては面倒なのでな」
「時間稼ぎ、ねえ…」
そういえば、原田や永倉を包囲した薩摩の連中には天霧や不知火もいると山崎が言っていた。ということは、風間は屯所から援軍が出ないための足止め役ということか……。
「もっとも、今ここでお前を攫ってやっても構わないが…」
そう言って笑う風間を名はキッと睨みつける。風間がどこまで本気なのかはわからない。どうせただの足止めだというのなら、少しくらいの手加減は期待したいが、いずれにしても、原田・永倉たちへの援護に向かうには、目の前の風間を何としても突破しなければならない。
なにより平助の事が気になる。彼を、彼らを死なせるわけにはいかない。

……邪魔だ。

羅刹の群れの向こうに立つ風間を見つめる目が、スッと細くなる。邪魔だ…。心の中でもう一度呟けば、心臓の奥でチリリッと燃えるものがあった。
―来い……!
全身から熱を呼び起こす。銀を握る手が燃えるように熱くなった。不思議な力が体を隅々まで満たしていく。ぷつり、という髪紐が切れる音とともに、はらりと落ちた髪が月光の中で銀色に輝いた。風間の目が信じられないというように見開かれる。
「……っ、貴様」
姓という鬼の気配――。周りを囲む羅刹すら圧する殺気が辺りを包む。視界の端で、井上たちもまた、目を見開いているのが見えた。
「……どけ…!」
低い声とともに地を蹴る。ガキイィ―!という音がして名は風間と切り結んだ。目にもとまらぬ速さで二人は打ち合い、それぞれの斬檄が起こす風がその他の一切を遠ざけていく。
「なるほど、これが姓の力か。相手に不足はない。……だが、いつ力を操れるようになった?」
「答える必要のない質問ね。それより、さっさとどいて。あなたがこれ以上新選組に仇なそうとするなら、私は全力であなたを潰す……!」
言うが早いか、姓の気配が一段と膨れ上がった。唇を歪める風間を睨みつけた名が、不意に笑みを浮かべる。次の瞬間、風間は押し返され、宙に飛ばされていた。空中で反転し地に降り立ったときには、名の姿は跡形もなく消え去っていた。
「ちっ――!」
思わず舌打ちした風間に次々と羅刹が飛びかかっていく。姓の気配が残る門。その門の向こうにぽっかりと開いた闇も、いつしか見えなくなった。




軽い――。
漆黒の京の街をひた走りながら、名は漠然とそんなことを考えた。以前、羅刹に襲われて力を解放したときもそうだった。重力がないというよりは、重力を自在に操れるかのように、思ったとおりに体が動く。不動堂村にある屯所と油小路通りは地図で見れば目と鼻の先だが、それでも、軽く全力疾走できる距離ではなかったはずだ。なのに、まだ息の一つも切れない。
―問題は油小路の北と南、どちらにいるか。近いといいんだけど…。
御陵衛士をおびき出す場所はあらかじめ決められていたが、状況が状況だけに楽観できない。
―間に合え……!
名は前だけを見て走り続けた。


闇に阻まれた向こうから剣戟の音が聞こえてくる――。
誰かが怒鳴っているような音もするが、それはよく聞きとることができない。この一つ向こうの辻が油小路。名はすっと息を潜めた。同時に、銀色の髪が夜に溶け込むように黒くなっていく。気配を殺したまま、建物の陰からそっと様子を窺った。
「………」
目に飛び込んできたのは、あたり一面に倒れ伏した死体。それは御陵衛士のものなのか、薩摩藩士のものなのか、それとも、新選組隊士のものなのか。もしかすると、あの籠の近くに倒れた鼠色の着物は伊東かもしれない。だが、何も語らない彼らは、たださめざめと地面に横たわっているだけだった。
そして、さらにその向こう。煌々と月光が照らす地面に、ぽたり、ぽたり、と赤い溜りができていく。その血溜りの主を認めて、名は血のにじむほどに唇を噛みしめた。
「―――……くそ!おい、平助!こんなとこで死ぬんじゃねえよ!!」
―平助…。
「やだ、やだよ、平助君……!」
―死ぬ……?
瞳いっぱいに雫を溜めた千鶴の腕の中で、藤堂は胸元を赤く染めてぐったりとしている。原田と永倉は周囲を包囲する薩摩藩士らしき男たちを斬り捨てながら、彼に呼びかけているが、その声も果たして耳に入っているかどうか。
―やめてよ…、こんなところで死ぬな……!
早く藤堂を安全な場所で治療しなければ、手遅れになってしまう。沸騰しそうな頭をなんとか抑えつつ、名は銀に手を伸ばした。しかし、通りに飛び出そうとした足が不意に止まる。通りの向こうの暗闇。その陰に同じく刀に手を伸ばした男がいたのだ。
―斉藤さん…!
闇に溶け込んだ彼も、時を同じくして名に気づいたらしい。月光を挟んで瑠璃と紺碧の視線が交錯する。次の瞬間、目で一つ頷くと、二つの影は一斉に戦場へと飛び出した。
ザシュッ――!!
原田・永倉たちに刀を振り上げた薩摩藩士を斉藤が斬り捨てると同時に、突然の乱入者に狙いを定めた敵を名の一閃が牽制する。
「名ちゃん…!斉藤さん…!」
「すまん、遅れた」
「斉藤、名、遅ェぞ!!」
永倉が怒声を放ちながらも、嬉しそうに笑う。斉藤が淡々とした声で応じた。
「ここは俺と名に任せろ。平助を早く屯所へ連れて行ってやれ」
「ああ、わかってる」
原田が槍を構えなおしつつ頷く。藤堂は永倉に担ぎあげられ、戦場から脱出する態勢を整えた彼らに、薩摩藩士から視線をそらさないまま、名は言った。この事実を伝えておかなければならない。
「……気を付けてください。いま、屯所を風間が襲撃しています」
「―!!」
「な……!」
「目的はただの足止めのようですが、念のため。…もちろん、“彼ら”も出ています」
名の言わんとしていることを察したらしい。原田と永倉の目が鋭くなった。つまり、敵は風間だけではなく、いつ暴走した羅刹が血の匂いにあてられて藤堂を襲うとも限らないのだ。千鶴も、その状況の厳しさをわかっている。震える手が藤堂の着物をきつく握りしめていた。
だが、それでも、今はこの包囲網を抜けるしか選択の余地はない。こうしている間にも、藤堂の息はか細くなっていく。
「くそ、平助、死ぬなよ!――斉藤、名、頼む!!」
迷いを振り切るように永倉が刀を一閃させる。戦場を脱出する彼らを逃がすまいと薩摩藩士がいっせいに押し寄せた。藤堂を背負って自由に動けない永倉と、一番小柄な千鶴。その二人を狙って藩士たちが殺到する。斉藤と名、それに原田や他の隊士たちがその波を阻もうとするが、それにも限界があった。名が気づいた時には、周囲の隊士を抜けてきた薩摩藩士が千鶴に迫っていた。
「――千鶴、危ない!!」
無意識に手が動いていた。宙を飛んだ銀はまっすぐに、千鶴を狙った藩士の喉に突き刺さった。藩士の刀が千鶴の一寸先で地に落ちる。千鶴は助かった。だが。
「名!!」
それは同時に名の死地が定まったことも意味していた。無手となった名を一瞬にして薩摩藩士たちが取り囲み、無数の刃が名を襲う。しかし――。
「ぐわぁあああ!!」
次の瞬間、薩摩藩士たちは骸となって地面に横たわっていた。
「な、なんだ…!?」
「名ちゃん……!?」
藩士たちの目が驚愕に見開かれる。周りを取り囲む敵を一瞬にして斬り伏せた名は、その姿を銀の鬼へと変えていた。揺らめく銀の髪が月光に輝き、その様は戦場の時を止めたかに思われた。名は薩摩藩士から奪ったらしい刀を無造作に投げ捨てると、淡々と先程の藩士の死体に歩み寄り、その喉から銀を引き抜いた。
「今のうちに早く。すぐに追いつくから」
背後の千鶴にそう言葉をかける。油小路が月明かりに照らされた道を晒していた。前途に、敵の姿はない。藤堂を囲む一団は、弾かれたように再び走り出した。それを追おうとする薩摩藩士を、名と斉藤が盾となり斬り捨てていく。
「斉藤、名、屯所で待ってるぜ!」
「ち……!原田、てめぇ逃げんじゃねえ!!」
不知火の怒声に原田が振り返ることはない。赤い後ろ髪はやがて闇の向こうに消えていく。
「てめぇら,どけ!!」
苛立ったように不知火が銃を連射するが、狭い小路の中、ひしめきあう人の波に味方の被害が増える一方だ。誤射されて倒れた藩士を、不知火は苦々しげに蹴りあげる。
「くそっ……!狙いが付けられねぇじゃねぇか。役に立たねぇ上に邪魔なんだよ!」
「おい、不知火。撃つな!味方を殺してどうする!」
「うるせぇ!!殺されたくないなら俺の邪魔をするんじゃねぇよ!」
藩士の中のリーダー格らしき男と不知火が言い合いを始め、一瞬そちらに気を取られた藩士を名と斉藤の剣が襲う。
「斉藤さん、早く終わらせて屯所に帰りましょう」
「ああ。……名、背中は預けたぞ」
「それはこちらの台詞です」
今度は決して周囲を包囲させることなく、名と斉藤は敵を斬り続けた。とりわけ、名の刀が美しい弧を描くたびに幾人もの藩士が一気に地に倒れた。――『修羅』。軽々と敵を斬り殺していくその姿に、薩摩藩士たちは確かに鬼神の姿を見た。
時がたつにつれ、薩摩藩士の壁が徐々に薄くなっていった。リーダー格の男にも明らかな焦りの色が見え始める。
「くそ、なんだこいつらの強さは……!?た、退却だ!退け!退け!」
「おい、まだ終わってねぇぞお!!勝手に逃げんじゃねぇ!」
不知火が怒鳴るが、一度恐怖を覚えた集団が崩れるのは早い。天霧が冷静な声で不知火に呼びかける。
「不知火、撤退です。これ以上、ここで彼らと戦う目的はありません」
「ちっ!仕方ねぇなあ」
「……逃げるのか?」
一閃。斉藤の居合い抜きがふたりの鬼の影を貫く。しかし、その姿は残像となり、次の瞬間には少し離れた所に鬼たちは立っていた。
雲の影が急速に地面を動いている。両者は少しの間合いを置いて睨みあった。だが、すぐに天霧は
「それでは、我々はこれで失礼します」
と一礼をして殺気を収める。
小路に残っていたのは天霧と不知火、鬼のふたりだけだった。その姿が徐々に薄くなり、名と斉藤の前でふたりの姿は霧散したように見えなくなった。
「………行ったか」
辺りには、もはや、動くものは何もなかった。静寂の訪れとともに、名の全身から姓の気配が消えていく。銀色の髪が黒くなり、瞳が紺碧へと色を変えた。瞬間、どっと疲れが襲ってくる。
「う……」
血に濡れた大地に倒れこもうとする体を支えたのは、斉藤だった。
「大丈夫か…?」
「は、はい…すいません…」
そう答えたものの、体は泥のように重たかった。指の一本すら動かすのがおっくうだ。それはまるで、力を使うたびに命が削れていくことを象徴しているようだった。
―はは、参ったな…。
斉藤の腕に体を預けたまま、名は内心で苦笑した。それでも、足を踏ん張って、なんとか自分の力で立ち上がる。
「すいません、少し疲れただけで…もう―――」

――大丈夫です

その言葉は、突然全身を包んだ温もりの中に消えていった。視界が暗い。それが斉藤の着物なのだと、名は機械的に認識した。
「斉藤さん……?」
名をその胸に閉じ込めた彼の顔は見えない。ただ、押し殺した声だけが、耳に響いた。名の背に回された手が、きつくきつく握りしめられる。
「すまない…。俺は…。俺は、あんたを、守ることができなかった……」
「……斉藤さん…」
「………あんたが……あんたが死ぬのではと思った……」
「………」
ああ…。
名はそっと目を閉じた。脳裏に、薩摩藩士に囲まれた一瞬が蘇える。
―私は、こんなにこの人を心配させていたんだ……。
名自身、死を覚悟した。だが、名の体は無意識に姓の力を解放し、薩摩藩士から刀を奪った名は、一瞬にして敵を斬り伏せた。
あの刹那、耳を打った声は斉藤だったのだろうか。
ずっと新選組のみんなに死んでほしくないと思ってきた。歴史が変わればいいと思っていた。彼らを助けられるのなら、この命を盾にしていいとさえ思った。でも、それは彼らも同じなのかもしれない。名が盾になって死んでも、彼らの気持ちを踏みにじっただけなのかもしれない。
「……ごめんなさい…」
自然に零れた言葉に、斉藤の抱擁が強くなる。その温もりと鼓動を感じながら、名はそっと彼の背に腕をまわした。

冬の月光が燦々と二人に降りそそいでいた――。





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