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残散華
10

「……え、何だって?龍神?」
「おいおい、鬼の次は龍の神様かよ」
困惑しつつも、幹部たちに馬鹿にする気配はない。鬼の存在を知る彼らには、龍神もある程度理解できるのだろうか。
だが、信じ切れないのも確かだろう。
幹部たちのざわめきに応えるように千姫が再び口を開く。
「もちろん、龍神といってもすぐには信じていただけないでしょう。ですが、彼女の奥底には、表には出ませんが大きな力の気配を感じるのです。そして、名の持つ刀。その刀こそ、彼女が姓家の当主である証」
千鶴が戸惑った声を上げる。
「でも…なんで?傷が私みたいに早く治ることなんてなかったのに。名ちゃんは鬼の血も引いているんでしょう?」
「千鶴ちゃん。それはね――」
解説しようとした千姫を軽く手を挙げて制す。
「千。大丈夫。私から話すわ」
千姫は軽く目を見張るが、黙って頷き、続きを名に委ねた。幹部たちも名たちのやり取りを見守っている。
「姓は龍神と鬼の血を引く一族だけど、千鶴みたいに傷が早く治ったり、とかいう力が常に現れているわけじゃないの。普通の状態なら、人間並みの身体能力と、人間並みの治癒力しかないわ。それに、龍神の能力と鬼の能力――姓の力って呼んでるけど、これは今のところ私自身の意志で使えるものじゃないの。……でも、千鶴は見たことあるよね?力を解放した私の姿を」
「――!まさか、あの夜の……?」
「名、力を使ったの!?」
千鶴がはっと息を呑むと同時に、千姫も驚いた声を上げる。名はそっと千姫に微笑みかけた。柔らかだが、決して譲らない笑みだった。
「ごめんね。でも、自分で決めたことよ。力を解放してなきゃ、確実に滅多刺しにされて死んでたわ」
「そんな……!」
「おい、あの夜っていつだよ?」
永倉が話しについていけないというように、名たちを交互に見る。
「…伊東さんが、離隊を決められた日です。『シンセングミ』の隊士たちに、私たちが襲われた夜」
「―!」
「なるほど、その力とやらを解放したから、無傷だったというわけか」
土方の言葉に、しかし名は首を振る。
「いえ…。正確には、力を解放して傷を治したのです。着物が血に染まったのは、ほとんど私の血によるもの」
「なんだと?」
「あんなに真っ赤に染まってたのが全部お前の血だっていうのかよ。じゃあ、それだけの大怪我を一瞬で治したってことか?」
信じられないというように首を振る幹部たちに千姫は言う。
「それが鬼の、姓の力なのです。千鶴ちゃんと名から強い鬼の気配を感じるのは、風間も同じでしょう。純血に近ければ近いほど、その者は一族の力を最大限に受け継ぐ。二人がその族の純血の子孫であれば、風間が求めるのも道理です。純血の鬼同士の間に生まれた、より強い鬼の子を求めているのか。それとも、龍神の力を手に入れようとしているのか…」
「つまり……嫁にする気というわけか」
近藤は顎に手をあてて納得の表情をつくる。一つ頷いた千姫は言葉を続けた。
「風間は必ず奪いに来ます。今のところ、本気で仕掛けてきてはいないようですが、遊びがいつまで続くかはわかりません。そうなったとき、あなたたちが守り切れるとは思えない。たとえ新選組であろうと、鬼の前では無力なのです」
「なあ、千姫さんよ。無力ってのは、言い過ぎなんじゃねえの?」
「新八のいうとおりだぜ。そいつはちっとばかし、俺らを見くびりすぎだ」
永倉、原田に続いて、土方も千姫を強い目で見据える。
「俺らは壬生浪と呼ばれた新選組だ。鬼の一匹や二匹相手にしたって、びくともしねえんだよ」
「風間たちの力は十分承知しているはずです。私たちなら二人を守れるかもしれません。千鶴さんと名さんをこちらに渡してくださいな」
君菊の言葉にも、土方の目は揺るがない。
「それとこれとは話が別だ。守れるかもしれねえってことは、守れねえかもしれねえってことだな?」
「――!!」
千姫と君菊が息を呑む。
その時、腕を組んで考え込んでいた近藤が、不意に名たちを見た。
「姓君、雪村君。君たちは、どうなんだ?」
「え……?」
「君たちが決めるといい。彼女たちと行くか、ここに残るか」
「ちょ、近藤さん!それはねぇぜ!」
「新八、黙ってろ」
息巻く永倉を、土方は有無を言わさぬ口調で静かに制す。
千鶴の目線が下がった。名は前を向いたまま動かない。
「わ、私は………まだなんとも…」
口ごもる千鶴に、近藤は再び腕を組んで考え込む。
「ふむ、そうだな…。我々の前では、何かと話しにくいかもしれないな。千姫さんと三人だけで話してくるといい」
「近藤さんっ、そいつは……!?」
土方をはじめとする面々が一斉に反対するが、近藤は「まあいいじゃないか」とぐるり、と幹部たちを見回す。
「この子は、無茶なことはしない。ちゃんと道理をわきまえた子だ。それに、姓君と雪村君の友人なのだろう?」
近藤の言葉に千鶴がはっきりと頷く。名も笑みを浮かべた。
「ええ、もちろん。千は信頼に足る相手です。ついでに、彼女がもし私たちを力ずくで連れ去ろうと思っているなら、その機会はいくらでもあったということを言っておきますよ」
「はぁ…。仕方ないなあ、近藤さんが言うんじゃ」
沖田がため息とともに言う。
彼の言葉が幹部たちの気持ちを代弁していた。局長の決定の重さ。いや、それ以上に近藤の人柄のおかげなのだろう。
局長の許しが出たということで、千姫と千鶴が立ち上がる。それからふと気付いて、動かない名に不思議そうな眼差しを向けた。
「名ちゃん…?」
「…ん?ああ、ちょっと二人で話してきて。私は少し……一人で考えたいし」
ひらひらと手を振る名に、千姫と千鶴は首を傾げるが、それ以上なにも言うことなく部屋を出ていった。
一人残った名に、土方が意外そうな目を向ける。
「珍しいな。俺はてっきり千鶴と二人で話し合うものと思ってたんだが」
「いえ、まずは自分の意思を確認したいだけです。予想外の展開に戸惑ってもいますし………」
「――名さんは、姫様の提案をどう思われますか?」
考え込む名に唐突に君菊が尋ねる。
「姫様はあなたが力を使うことなく、平穏に暮らすことをお望みです」
そう、それは分かっている。千姫は真剣だ。本気で名たちの身を案じている。
君菊はさらに言葉を重ねた。
「鬼の世界に戻る気は、おありではないのですか?」
「……戻る?」
名は軽く首を傾げてみせる。
「いえ、私の場合“戻る”というよりは、“入る”でしょうね。つい数年前までは人間として暮らしてきたのですから」
名の目が虚空に上がる。何か自分に語りかけるように、小さく呟きがもれた。
「でも…そうですね。千の誘いは……甘い誘惑だとは思いますよ」
「――!」
「じゃあ……!」
幹部がはっと名を見つめる。君菊の顔が輝いた。
しかし、名は彼らを見つめることなく、横に置いていた銀をおもむろに取る。
「では、一人で考えてきますから、失礼。あ、襖は開けておきますね。姿が見えないと不安だと思うので」
口を挟む隙を与えず一気に言うと、虚をつかれたような表情の一同を残して、そのまま庭へと下りた。
秋の気配を秘める澄み切った空には、煌々と輝く月が浮かんでいる。明るい空とは反対に、地上では、黒々とした木々の影が強い風に煽られて首を振っていた。
―嵐が来そう…。
ある者はこれを不吉な予感とよぶのだろう。名にしてみれば、この強風も台風の前線の風でしかないが、なるほど、漆黒のざわめきには不穏なものを感じる。
実際、新選組のまわりは、もっといえば日本全体が不穏な空気に包まれつつあった。
まず、新選組から別れた御陵衛士が薩摩に急接近しているということ。
もともと、御陵衛士を作るときには、薩摩藩の動向を監視するという名目もあったのだが、実際は名目とは逆の動きをしているらしい。
その薩摩藩と、同盟を結んでいる長州藩だが、この二藩は最近では声高に討幕を唱えている。一方で、京都守護職であり、新選組の直接の上司である会津藩は、ことのほか薩摩藩を嫌っていて、両者のぎすぎすした雰囲気が新選組にまで伝わってきていた。
一方、日本全体としてみれば、徳川慶喜の大規模な改革がある。
徳川幕府最後の将軍となるこの男は就任早々、家柄に関係なく優秀な人材を登用し、外交の刷新、陸海軍の充実と常備軍の設置、貨幣や商法制度の改革などといった幕府の権力を強めるための政策を次々に実行に移した。さらには、外国の官僚制度を見習い、老中を廃止して海軍、陸軍、国内、外国、会計の各総裁を置くという、内閣に似たようなものもつくった。
後々の慶喜を考えれば首をかしげたくなるが、彼は確かに優秀な将軍だったのだ。
その慶喜が、朝廷に政権を返そうとしている、という話がある。この話が出てきてから、薩長の動きが随分慌ただしくなった。もしこの話の通りになれば、薩長は幕府打倒の名目を失うってしまう。諸藩の情勢を見極めつつ、慶喜は先手を打とうとしているのだ。
そして、その知恵をつけたのが土佐藩士の坂本竜馬である。薩摩と長州の同盟を主導したこの人物を、所司代や見廻り組、新選組でも血眼になって捜しているところだ。
世に言う、大政奉還。
それに対抗した倒幕派主導の王政復古の大号令。
薩長の挑発と旧幕府側の反発によって鳥羽・伏見の戦いが勃発。
激動の時代がひたひたと迫っている。もうすぐ京は、戦場になる。
―新選組に残るということは、戊辰戦争のまっただ中で人を殺し続けるということ。
新選組に入ったときから、そのことは覚悟をしていた。もしその時まで生き延びていたら、自分は戊辰戦争に身を投じるのだろう、と。
なぜなら、それ以外の選択肢はなかったから――。
だが、今は違う。新選組を抜けてもいいという。人殺しの世界から逃れられるという。
「甘い誘惑だ……」
名はもう一度つぶやいた。足元で枝からもぎ取られた木の葉が舞った。
「でも――」
―この染まった手は戻せない。
風が鳴っている。鋭い音が徐々に高まり、木々が一斉に揺らめいた。
漆黒の木の葉が身をよじりながら地上へと落ちてくる。
次の瞬間、青白い閃光がその木の葉を切り裂いた。虚空に散った月光が舞い散る桜の如くきらめいた。
―五稜郭まで、行くか。
構えを解いて銀を鞘におさめる。
名は心の中で自分につぶやき続けた。
―行けるかな?途中で死にそうだ。ああ…でも、新選組のみんなとは、離れたくないなぁ……。
返ってきたのは、あてどもない望み。一方通行で、自分本位。結局それか、と思わず苦笑がもれた。
―離れたくないなぁ……。
心の中でもう一度つぶやく。
視線を上げれば、風が止んだ漆黒の夜空に、満ちようとする月が輝いていた。


襖を開けているので、部屋からは名や庭の様子がよく見える。そのせいだろう。さっきから、背中に幹部たちの遠慮のない視線……。
心配そうな様子を装いつつ、大方は名が何をするか興味津々のようだ。
―こっちは真剣に悩んでいるというのに、後で文句をいってやる。
そう決心して、長大息する。彼らはきっと気付いているのだ。あるいは信じているのかもしれない。名は必ず自分たちを選ぶ、と。
予想通りに自分が行動することに、気まずさというか不快感というか照れくささを覚えなくもないが、一度決めた意志は貫くのが名だ。
―さて、みなさんを喜ばせてさしあげますか。
部屋へと足を向けた時、しかし名はその視線の中に幹部たちとは全く異種のモノの気配が混じっていることに気づいた。
こちらを冷静に観察する目。
他人には決して見せない、心の奥を覗こうとする目。
その視線が発せられる方向を探して首をめぐらしたとき、視界の隅に跳躍する黒い影が引っ掛かった。ばっと刀に手をかけてそちらを見るが、影はもういない。それでも、わずかな気配の香りが鐘楼の屋根のあたりに漂っている。
その気配の正体に気づいて、名はあっと声を上げそうになった。
―姓……!!
銀が見せた夢の中で感じた、懐かしい気配と同じだった。
はやる心を抑え、名は目をつむる。意識を集中し、気配の跡をたどる。
気配はかなりの速さで京の街を疾走していた。詳しい位置関係は分からないが、東北の方角へ向かっているようだ。影を追って名の意識も京の街を走る。だが……。
―!消えた…。
ふっつりと影が消えた。暗い闇の中に影が同化して見えなくなってしまったかのようだ。
しばらく気配を探ってみたが、結局、諦めざるをえなかった。


「ごめんね、お千ちゃん」
新選組に残ると決めた千鶴が千姫に言う。
名と千鶴は大玄関門まで千姫と君菊を見送りに来ていた。
千鶴曰く、心に想う人がいるから、と千姫の誘いは断ったという。「私も新選組に残ることにしたよ」と言う名に、千鶴はどこかほっとしたような、嬉しそうな表情を見せた。
千鶴を見ていればわかる。彼女はまだ希望を捨ててはいないのだ。道が別れた人とまた出逢うという希望を。
―千鶴は、ここで待つつもりなんだろうな…。
申し訳なさそうな千鶴に、千姫は優しく微笑み返す。
「謝らないで。誰か思う人がいるのなら、離れろなんて言えないわ」
そして、二人を見守る名を振り返る。
「名も、なにか貫きたいものがあるみたいだしね」
名は千姫のまなざしを黙って受け止めた。その手と千鶴の手を千姫が握る。
「でも、忘れないで。私は、あなたたちの味方だから!」
「……ありがとう」
「ありがとう、お千ちゃん!」
にっこりと笑った千姫が君菊とともに踵を返す。
その袖を引いて、何事かと振り返った千姫の耳元に囁いた。
「一応、耳には入れとく。……姓家は滅亡していないかもしれない」
「……!?」
千姫が息を呑む。紅紫の目がまじまじと名を見た。
「さっき姓の気配を感じた。多分、彼らは京にいる」
名を見上げる千姫の目が光を帯びて輝く。
「……わかったわ。知らせてくれてありがとう」
再び踵を返した千姫と君菊の姿が、夜の闇に溶け込むように消える。
風が、再び強く吹き始めていた。





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あきゅろす。
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