残散華 3 名は部屋から少し離れた庭に佇んでいた。 この時期にしては冷たい風が、血のこびりついた彼女の髪を重たげに揺らしている。 血を浴びた彼女はめずらしい。その辺の浪士との戦闘なら、相手が何人だろうと、返り血一つ付けずに帰ってくるというのに―。 羅刹7人ともなると、流石にそうはいかなかったのか…。 それにしてもあの部屋の出血量は異常だったと土方は思った。羅刹たちは傷を治癒する余裕すらなく、名に生を絶たれたのだ。 頑なに背を向ける彼女を見つめながら、土方はそんなことを考えた。 「名、何をしてる。早く体を洗え。そんな状態じゃ、お前を布団に入れることもできねえ」 名は振り返らない。ただ、黙ってどこか遠くを見つめ続けている。 「山南さんは無事だ。何か知らんが、とにかく正気に戻った。千鶴も手当てをしている。まあ、自分でできるとかなんとかでやらせてはいるが…」 「千鶴が無事なら、良かったです」 ほんの少し、名の気配が和らいだ。やはり、部屋に残してしまった千鶴が気にかかっていたらしい。 しかし、それきり、また黙りこんでしまう。 「はぁ……。おい、聞こえなかったのか?」 「………知らなかった」 しばらくして、ぽつり、と名がつぶやいた。 「ん…?」 「……羅刹の一人…。あの人を、私は池田屋の時守れなかった。近藤さんから、任せられたのに…なのに、怪我をして……羅刹になってた……」 「名、あいつは――」 「自分の意思で羅刹になった……でしょう?」 「……ああ」 彼女が、かすかに自嘲的な笑みを浮かべる気配がした。 「………わかってるんだけどなぁ。みなさんは、無理矢理薬を飲ませるような人たちじゃない。研究も幕府の命令で、逆らえないってことも…」 「……?」 「でも…でも、望めない。あんな、人を捨ててまで苦しむ姿なんて…っ!なのに…なのに、斬ることでしか救えない?!ふざけるな!!」 「…名、落ち着け」 名は肩で荒い息をつく。その言葉が皮肉な調子を帯びた。 「……それとも、土方さんたちは平気なんですか?…上の命令のために、仲間を、同志を斬り捨てても平気なんですか!?」 「おい、名!!」 目を合わせない彼女を、無理矢理振り向かせる。土方を見上げたその瞳を見て、はっと息をのんだ。 冷酷な光はなりをひそめ、苛立ったような声音とは裏腹に、苦しげに細められた目が月光を揺らしていた。 土方が何も言えずにいると、名は唇を噛み締めて目をそらしてしまう。 「……すいません」 小さく震える声が聞こえた。 「すいません……。私よりも、みなさんのほうが何倍も長い時間を一緒に過ごしてて、何倍もつらいのに――」 「………」 「そんなの、当たり前なのに……」 「……お前は、俺らが隊士を斬るのが平気だと思うか?」 やがて、土方は静かに名に尋ねる。 名は何度も激しく首を横に振った。小さな雫が月光を反射しながら辺りに飛び散った。 それを遮るように、血にまみれたままの彼女をそっと引き寄せる。 ―ほっそい肩してやがんな……。 腕の中に閉じ込めた名はすっぽりと収まるほど小さかった。稽古の時のこちらの木刀を押し返してくるほどの力はどこから出て来るのだろう?そう思わせるほど、その体は危うい儚さを隠し持っている。 「……汚れますよ?」 「構わねえよ」 掠れた声が土方を咎めたが、その声に力は無い。軽く受け流して背中に回した腕に力を込めた。 ―こんな手で、こいつは羅刹と戦ってたのか……。 「俺は…俺たちは、確かにお前よりも長い時間をあいつらと過ごしてる。でもな、長さなんて関係ねえ。斬るときつらいのは誰だって同じだ。おまえだってそうだろ?笑いながら斬り捨ててたわけじゃねえだろ?」 腕の中でかすかに名が頷く。 その頭を優しく撫でてやった。 「……それにな、斬ることで救われるってのは思い上がりだ。死んだってあいつらの渇きは満たされねぇ。できれば、普通の人間としていきたいって誰だって思ってる。たがな、狂っちまえば、あいつらには堕ちていくほか道はねぇ。それなら、あいつらが本当に堕ちちまうまえに俺らの刀で斬る。この研究を進めてきた俺らの刀でな」 「………」 「ま、研究の隠蔽のためだって言われちまえばそれまでだがな。…ただ、それが俺らなりのけじめなんだ」 「……わかってくれとはいわねえ。だが、これだけは憶えておいてくれ。俺らなりのけじめがあるからこそ、おまえに羅刹を斬らせたくねえんだ。俺らのためにお前が血に汚れて、そうやって苦しむ姿なんて見たくねえ」 名は常に前線にいた。大規模な抗争はまだあまり起こっていないが、いつかは、刀を振るう運命にあった。土方を含め、幹部の誰も女に戦場に立って欲しくなど無い。しかし、新選組の人手不足がそれを許さなかった―いや、今も許してはいない。事実、彼女ほど優秀で有用な人材はいないのだ。情勢が不安定なものになってきた今、ひとたび戦になれば、自分は新選組の副長として、迷わず名を戦場に送り出すだろう。 たとえ、彼女がまた、血にまみれるとしても……。 矛盾した罪の意識。 名の事情を知るものなら、誰もがどこかに抱えているはずの思い。 だから、名が千鶴に向けるような笑みを自分たちにも向けて欲しいとは思わない。せめて、平穏な日常の中だけでも笑っていて欲しい。 ―俺らのところに、お前まで堕ちてくれるな……。 「すまねぇ……」 掠れた声が漏れた。何に対して言ったのかは土方にもわからなかった。 名は何も言わない。ただ黙って土方の胸に顔をうずめたのだった。 「―ねぇ、しんみりするのはいいけど、ちょっと離れてくれない?」 不意に、不機嫌な声が庭に響いた。 土方が顔を上げると、庭に面した縁側、刀に手をかけた沖田とそれを止める気配の無い幹部たちの姿があった。唯一、藤堂が「おい、総司。今、いいところなんだからよ」とかなんとか言っているのが聞こえる。 「…いいところ?君がいっている意味がわからないよ」 「え?…あ、いや、だからさ……」 沖田の笑みがさらに暗さを増し、チャキッと鍔口を切る音まで聞こえてくる。 「副長…このような夜更けに女子を抱きしめるのはどうかと……」 「ま、美男美女の図ではあるな」 「くうぅぅぅ。俺の名ちゃん……!」 沖田が鍔口を切っても幹部たちはやはり、止めるつもりはないらしい。各々、自分の世界に浸っている感満載である。 土方はにやりと笑みを浮かべた。 「ああ?なんだ、てめぇら…嫉妬か?」 これ見よがしに抱擁を強くする。「ちょっと、土方さん!?」と名が小さく咎めたが、構いはしない。案の定、みな色めき立つ。 「へえ…どうやら土方さん、僕と戦いたいみたいだね」 「おい、だから総司早まるなって――てか、一君止める気ないでしょ!?左之さん!新八っつぁん!」 藤堂が悲鳴に近い声を上げるが…、 「…ああ。止める気はない。加勢する気もないが」 「いいんじゃねえの?たまには、土方さんと総司の手合わせも見てみてぇし」 「俺の名ちゃん……!」 相変わらずの幹部たちである。 そんな一触即発の庭の中―。 様子は見えないが、聞こえてくる会話でなんとなく状況を察知した名は、土方の胸で一人、溜め息をついたのだった。 [*前へ][次へ#] |