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残散華


「名……?」
幹部たちは得体のしれないものを見るような目で名を見つめた。
あちこちに散らばる羅刹たちの死体が、彼女の圧倒的な強さを物語っている。白かったはずの着物も、今は夜目にもわかるほど真っ赤に染まっていた。
うつむく名は、部屋への侵入者と目を合わせようとはしない。
刀からどれほどの血が滴っただろう、土方が声をかけようと足を踏み出したその時――。
「まあぁぁ!なんなんですか、これは!?」
「……ちっ」
なんでこいつが、という目で声の主を睨みつける
騒ぎを聞きつけてきたらしい、伊藤が部屋の惨状を見てあげた悲鳴だった。
今、最も場に現れてほしくなかった人物の登場に、幹部たちは一様に顔を歪める。
「この隊士たちはどうしたのですか!?あぁっ、部屋を血で汚すなんて!なんて下品な!!幹部がよってたかって隊士を殺して…。説明しなさい!いったい何が――」
「伊東さん」
伊東のひきつった声を遮ったのは名だった。
「いいえ、伊東さん。この隊士たちを殺したのは私です。土方さんたちは騒ぎを聞きつけて駆けつけてくださっただけ…。それに、この人数比でよってたかっては当てはまらないと思いますよ?」
伊東の顔が盛大にひきつった。
「な…あ、あなたがこれをやったと仰るの!?まあ、そんな!!」
「見ての通り、返り血を浴びているのは私だけですから……」
チャキッと血に塗れた刀を伊東に示す。刀身が月光を浴びててらてらと光っていた。
血まみれの姿のまま、やわらかく名が微笑む。口元には笑みを浮かべながらも、名の紺碧の瞳はどこまでも冷徹な光を宿していて、油断のない目で伊東を見つめていた。
伊東はおろか、幹部たちでさえ、名のそんな姿は見たことがない。
池田屋事件での彼女を目撃した者が『修羅』と彼女を呼んだことを幹部たちは今更ながら理解した。
伊東が一瞬ひるんだような表情を見せる。
しかし……。
「…くっ、うぐぅ……っぐぁぁああ!」
「さ、山南さん!」
「おい、どうした、しっかりしろ!!」
「え、山南さんですって!?」
突然、山南が苦痛に顔を歪め、うめき声をあげた。
そして、必死に呼びかける幹部の声で、彼が場にいたことに伊東は初めて気づいたらしい。ずっと死んだと聞かされていた人間の登場に、さすがの伊東も口をパクパクさせる。
「ど、どういうことですの!?…わたくし、山南さんは死んだと聞かされておりましたのに!みんなしてこの伊東をたばかっていたと?この参謀を!?納得のいく説明をしてもらえるんでしょうね!」
「あぁっ、いちいちうるせえんだよ、てめえは。ちっと黙っていやがれ!」
思わず、土方は叫んでいた。
伊東が、再び盛大に顔をひきつらせる。
「なっ!?なんて口の利き方…土方君…あなたは……!」
山南の様子は、いよいよおかしかった。胸をかきむしりながら、喘ぐように息を吐く。
髪の色がみるみるうちに白く変わっていく。髪の間から見えた目が赤く光った――飢えた、獣の目だった。
「血…血です。血を下さい。君の血を私に……!」
「おい、山南さん!?」
山南が、幹部たちを突き飛ばして、千鶴の前へ跳躍する。手首をつかまれ、千鶴が悲鳴をあげた。
「きゃあああっ!さ、山南さん!?」
「あぁ……おいしい…」
山南は千鶴の腕の傷口から血を掬い取って舐める。途端、苦しげな表情は恍惚としたものに変わった。
「やめろ、山南さん!」
「くそっ、山南さんまで血の匂いにあてられやがったか!」
「山南さん!千鶴を離せよ!」
「副長。いかがすべきでしょう…?」
「取り押さえろ…!多少、手荒になってもかまわねえ」
実力行使にうったえるべきか、否か…。幹部たちの迷いを土方は断ち切った。土方の言葉を受けて、幹部たちが次々に刀を構えなおす。
しかし、そこにまたしても伊東の甲高い声が響いた。
「君たち、まさか山南さんを……!?勝手なことは、この伊東が許しませんわ!」
「伊東さん。ここは危険だ。あとはトシたちに任せて、俺たちは部屋から出ていよう」
「あっ、近藤さん!?なにを…わっ、わっ、離しなさいよっ!」
近藤が暴れる伊東を抱きかかえて無理矢理部屋から連れ出す。
その様子を見届けて、幹部たちはひとまず息をついた。
「ありがてえ。後はこっちの始末をつけるだけだが」
「でも、山南さんの腕は半端じゃないし、まして今は……」
「とにかく、やるしかないぜ!」
「おうっ!!」
だが、気勢をあげる幹部たちの先に立ったのは名だった。
血に塗れた刀が山南の腕に狙いを定める。
「おい、名!?」
「止めておけ、羅刹7人を相手した後だぞ。それに、山南さんはお前が思っているよりずっと強い」
感情のない目が土方を振り返った。
紺碧の瞳が、闇の中で異様な輝きを放っている。
「……仲間を手にかけるのは私一人で十分です。もう7人殺した。それが8人になるだけですよ」
土方は、彼女の瞳の奥に、ほのかな狂気の気配を見た。
「何を言ってる……!」
絞り出した声を気にする風もなく、軽く一瞥を投げて、名は目をそらす。
その肩を沖田が掴んだ。
「だめだよ、名ちゃん。山南さんと約束してるんだ。狂った時は僕が斬るってね。いくら君でも、それは譲れないよ」
「約束……?」
沖田の声音は普段とあまり変わらなかったが、名はその目をじっと見つめた。やがて、ふいっと踵を返す。
大きく刀を振って血を払うと、そのまま、誰とも目を合わすことなく部屋を出ていった。
しばらく、幹部たちは呆然と名の去った方角を見つめていた。その彼らを山南のうめき声が現実に引き戻す。
「……んぐうああああ……ああああ!!」
「さ、山南さん?」
「おいおい、どうしたんだ?」
「…ん……んん……わ、私は、いったい?」
山南の瞳に理性が戻っていた。髪の色も元に戻っていく。
部屋にいた全員が一斉に息をついた。
「よかった!正気に戻ってくれたんですね!?」
千鶴が嬉しそうな声を上げる。
誰もがその言葉にうなずいたが、同時に首をかしげた。
「こりゃあ、いったいどういうことだ?」
「俺に聞かれてもわからねえよ」
「……俺にもわからん」
山南自身にとっても、不思議なことらしく、
「そうか、私も彼らのように……気が触れていたのですね。でも…どうして戻ったのかは自分でもよく……」
「…考えるのは後にして、とにかく後始末だ。そこの死体を片付けて部屋の掃除だ」
疑問は後回しにして、場の全員が動き出す。
それを確認して、土方は千鶴の方を振り返った。
「それと、お前…怪我人は引っ込んでろ。体を休めるのが先だ。この部屋は使えねぇから…今夜は俺の部屋を使ってろ」
「は、はいっ!」
「よし、後は……あいつか…」
土方は自分の呟きが、不思議な静かさで部屋に響いたのを感じた。





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あきゅろす。
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