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残散華
12

「それで?なぜお前がここにいる?」

行燈一つが照らす薄暗い室内。
やわらかな光が風間の整った横顔を映し出している。
「それでも何も、どうせあなたのことなんだから、大方察しがついているんじゃないの?」
隣の部屋では薬で眠らせた男たちが転がっている。早く屯所に知らせの手紙くらい出したいのだが、この場を離れることを目の前の男は許しそうにない。
―だってさっきから超不機嫌だし!!
風間は名の問いには答えず、ただ小馬鹿にしたような薄い笑いを浮かべた。
負けてなるものかと、その目を睨みかえす。
二人の間に無言の火花が散った。
「新選組を襲撃しようと企む者どもの捕縛、であろう?生憎、剃髪の男の噂ははずれだったようだがな」
―ほんと、いちいち知った風なのが癪にさわるんだけど!
「……で?察しがついてるなら、なんで私をこんな部屋に連れてくるわけ?」
「…酒を用意しろ。口直しだ」
「はい?」
唐突に要求を口にした目の前の男に首を傾げる。風間はニヤリと笑みを浮かべた。
「…もちろん、薬のはいっていないやつを、な」
「―――!」
―気付いてる。そりゃ、あんなにバタバタ倒れてるんだし怪しまない方がおかしいけど…。
黙って目を細める名に、風間は愉快そうな口調でこう続けた。
「まあ…鬼にはあのような薬は効かんがな」
「……え?」
―そうなの?
思わず、驚きの声を発した名に、風間は笑みを深くした。
「知らなかったのか?なら、覚えておけ。無駄な抵抗はしないことだ」
「………」
「ああ。そもそも、お前にはあの場を救った借りがあったな」
「あのねぇ…」
あんなの借りじゃないし、あなたの酌をしてやるつもりもない、と叫ぼうとして、ふと名は思いとどまる。
姓家の手がかりは、唯一、この男だけだ。
ひょっとすると、これは風間から姓家について聞きだす絶好の機会かもしれない。
「…あんなの、私一人で何とでもできた。首を突っ込んできたのはあなたの方よ。それを借りと言われる覚えはない。……ただ、一つ条件を呑んでくれるなら、あなたに酌をしてあげてもいいわ」
「ほう…この俺に条件とは。いいだろう。言ってみろ」
「姓家について、知っていることを全部教えて」
風間はスッと目を眇めて名を見た。
「……なるほど。賢い選択だ」
「条件、呑むの?呑まないの?」
風間はしばらく考え込んでいる風だったが、やがてニヤリ、と笑みを浮かべる。
「…いいだろう。俺の知っている限りのことは話してやる」
今度は、名が笑みを浮かべる番だった。
「…決まりね」

禿の女の子に酒膳を用意してもらう。
名の注いだ酒を少しずつ飲みながら、風間はゆっくりと口を開いた。
「姓家の始まりくらいは知っておろう。姓家の者が、なぜ身を隠したのかも」
「一応わね」
名は軽く頷く。
「姓家は表舞台から姿を消した。人間にも、鬼にも、その行方は分からなかった。しかし、その力は噂となって広まり、伝説となって残った。やがて時は流れ、人間と鬼は衝突と軋轢を繰り返すようになる。鬼は一人一人が大きな力をもつが、人間の数にはそれこそ際限というものがない。そして―かつての鬼たちは人間の前から姿を消すことにした」
「鬼の力…。高い身体能力と治癒力のこと?」
「そうだ。だが、いくら鬼といえど首や心臓を貫かれれば、治すことはできない。相手にできる人間の数にも限りがあるからな」
「なるほど」
「いずれにせよ、長いあいだ鬼は人前には姿を現していなかった。だが、戦国の世に各地の大名どもが一斉に領土を拡大し、鬼はいやがうえにもその存在を知られてしまうことになる。そして、大名たちは鬼の能力を戦に利用するようになった。その最たる例が……関ヶ原の戦だ」
「鬼同士が戦った、と…?」
「ああ。人間の覇権争いに興味はないが、静かに暮らせる地の提供を条件に、鬼たちは戦いに身を投じた。…問題は、徳川家と豊臣家が、ともに姓の力を望んだことだ」
「――!」
「どういう経緯かは知らん。だが、どこからか人間は姓家の居場所を突き止め、自分の陣営に引き込もうとした。当然のことだが、姓家の者たちはそれを拒否した。自分たちの力は鬼のそれをはるかに凌ぐ。姓家を味方につけた者が勝利すると言われる中で、同じ鬼を殺すことを望まなかったのだろうな。しかし、どちらにもつかないといった姓家の言葉を人間は信用しなかった。一方が姓の力を手に入れることを恐れた人間どもは、姓の力をこの世から抹殺しようと企んだのだ」
「……」
「人間は圧倒的な数の力で姓の里に攻め込んだ。姓の者たちは力を使って抵抗したが、一週間にも及ぶ攻防の末、次々と命を使い果たし死んでいった」
「そして、姓家は滅亡した」
「そういうことだ。だが、お前がここにいるということは、誰かが包囲網を抜けだしたのであろうな」
「……」
自分が未来から来たことは言わなかったが、自分がいた世界の姓家もそういう歴史をたどった可能性はある、と思った。
銀に認められれば、姓家の当主としての資格は満たす。幼い子どもの力を封印しつつ、ひっそりと生きてきたのかもしれない。
「…それで、姓家の力って?」
少し首を傾げて尋ねると、呆れたような視線を向けられた。
「お前、本当に姓家の鬼なのか?」
「あなたがそう言ったんでしょ!」
「……冗談だ。そう睨むな」
「ふん!」
「…まあ、その姿では力を使うことなどあるまいし、力とは何かを知らないのも無理はない。姓の力の代償は命だからな、普段はその力は奥深くに押し込まれているはずだ。それを解き放つ方法は、二通りある。一つは姓家の者自身が何かしらの激しい怒りや衝動に襲われた時。もう一つは、他の鬼の血を体内に採り込んだ時だ」
「―!それって、池田屋で…」
脳裏に、口移しで風間の血を飲まされた、池田屋での記憶が蘇る。
「ああ、お前の力を目覚めさせるために、な。他の鬼の血は姓の血を高める効果がある。命を代償として力を使った後も、その血を飲めば、多少なりともその寿命を延ばすことができるくらいだ。そして、その力だが…普通の鬼の力を更に強くし、龍神の力を付け加えたと思えばよい」
「……?」
そう言われても、すぐにイメージは湧いてこない。難しい顔をする名を風間はしばらく見ていたが、やがて、そばに置いていたその黒造りの刀をおもむろに取り上げた。
「身体能力の高さはお前が直接戦って知っておろう。今から見せるのが、鬼の治癒力だ」
そして、何の躊躇いもなく、スッと刃を手のひらに走らせた。
「―っ、ちょっと……!」
みるみる血が溢れ、風間の手から滴り落ちる。慌てて風間の手をとり、懐紙で血を拭ったそこには――何もなかった。
「…消えてる……」
傷痕一つないまっさらな手のひら。それを、名は呆然と見つめた。
「これが、鬼の治癒力だ。姓の力なら、もはや血が流れることすらないだろうな。斬ったのに斬れてない。…今のお前は力を解き放っているわけではないからな、人間と同等の能力しか持たん。だが、一度その力を解き放てば、俺の倍の強さは得られる。そして龍神の力だが…これは俺にもよくわからん。姓の力を見た者たちはとうの昔に亡くなっているしな。…ただ、一週間に及ぶ人間との戦闘の時、辺り一帯は雨が降り続き、川は氾濫し、下流の村と姓家が里としていた山が丸ごと無くなったといわれている」
「はあ…」
確かにそれは凄いと思いつつも、自分の中にそんな力があるとは想像もできなかった。考え込む名に、風間は静かな口調で言葉を続ける。
「お前は、新選組の奴らのために力を使う気なのか?」
「……使わない、とは言えない。おじいちゃんは私が力を使うことは望んでなかったと思うし、それだけすごい力なら、みんなを巻きこんじゃうかもしれないし。でも、衝動とか怒りを抑えきれなかったら…わからない」
「ふん…随分新選組に肩入れしているではないか。奴らはお前の一族を滅ぼしたものたちと同じ、人間だ。それでも自らの命を削るというのか?」
「それでも、よ。…みんなは、その辺の人間とは違う。姓家を潰しそうとした、権力を追い求めるばかりの人間は、たとえ私が同じ人間だったとしてもムカつくわ。でも、みんなは違う。みんなが人間であることは、私がみんなのためにできる限りのことをしたい、って願う気持ちには関係ない。できればそばにいたい。そして、守れるものなら守りたい」
たとえ、彼らの向かう道が破滅への道だったとしても、彼らの信念がそうさせるのだとしたら、できる限りそばにいて、降りかかってくる砲弾の雨から守ってやりたい。そのために力を使うのなら、寿命が縮んだって構わない。千や千鶴には悪いけど…。
どこか遠くを見ながら、名は心の中で、そう言葉を続けた。
風間は感情の読めない瞳で、ただ黙って名を見つめていた。
「あれ?でも、そういうあなたも薩摩藩に協力してるじゃない?」
しばらくして、ふと首を傾げた名がそう尋ねる。風間は軽くため息をついた。
「勘違いするな。関ヶ原の戦の話をしただろう、あの時、敗れた西の鬼はどうしたと思う?」
「え…西?あっ!」
「気づいたか。各地の大名は、まだ鬼に価値を見出していたからな。風間家は薩摩藩に、不知火家は長州藩に匿われることになった。今、その恩を返しているところだ。一族郎党、漂流させるつもりはない」
「そっか……」
楽じゃないんだな、当主ってのも。風間の性格なら、人間に協力するのは絶対嫌なはずなのに…。

「とりあえずこれで俺の知っていることはすべて話した。あとは…酒の時間を楽しむこととしよう」
「そうね。ありがとう、助かったわ。どうぞごゆっくり…」
ゆるりと笑みを浮かべた風間ににっこりと微笑み返す。
しかし、立ちあがって部屋を出ようとした名を、風間の不機嫌そうな声が引きとめた。
「…おい、すべて話せば酌をするという条件だったはずだが?」
「え?したじゃない」
そう言うと、風間の顔がますます不機嫌そうに歪んむ。
「あの程度ですませてもらっては困る。一晩くらい付き合え」
「はぁ?」
早く報告したいのに、と思うが、風間の言うことにも一理ある。名はしぶしぶ腰を下ろした。
「はい、どうぞ!」
「まったく、もう少ししおらしくできんのか」
「しおらしい子が好きなら、他の芸者にでも相手してもらえばいいじゃない」
「断る。俺は、俺のものを手放す気はない」
「何言ってるの。私、あなたのものになったつもりなんてこれっぽっちも――」
ふと、名の頭を先程の風間の声がよぎった。
『生憎だな。こいつは俺のものだ』
風間の体温と厚い胸。名をとらえたがっしりとした手。着物から立ち上るかぐわしい香すら思い起こされて、思わず赤面する。
―いやいや、でもあれはあの場を切り抜けるためのセリフだったんだし…!
おろおろとする名を風間は面白そうに見つめた。
「俺は、あれを戯言で言ったつもりはない。鬼は嘘をつかんからな」
「でも……!」
「だから、あのような男どもに肌を晒すな。お前の艶姿を見るのは俺一人で十分だ」
風間の長い指が、不意に名の顎にかかった。切れ長の赤い瞳が、真っすぐに名を見つめている。
その目がわずかに細められ、息がかかるほどの距離で囁かれた。
「名…。どこにいようと、お前は俺のものだ」
風間の熱い息が唇にかかる。名は、思わず風間を突き飛ばしていた。
「ちょっと……!」
悲鳴に似た声を上げる名に、風間はくっく、と愉快そうに笑う。
「俺を獣か何かだと思っているのか?安心しろ、祝言をあげるまで手は出さん。もっとも、お前が襲ってほしいと思ってるなら、この限りではないが…」
「思ってない!それにあなたと祝言をあげる気もない!」
「ふん。赤い顔で言われても説得力はないがな」

彼の意図が読めない。全身のほてりも引かない。
―なんなの!?さっきはあんなに不機嫌だったくせに!
名は混乱した頭で言われるがままに酌を続けた。
風間は、終始満足気だった……。



その年の暮れ。
第15代将軍に一橋慶喜公が就任する。彼が、260年続いた江戸幕府最後の将軍であることを知るものは名以外にいない。もちろん、名にその事実を誰かに話すつもりはなかった。
ひょっとすると、どこかで期待していたのかもしれない。歴史が変わってくれることを。自分がこの時代にいることで、歴史に何かあるのではないか、と。
しかし、所詮は京都の片隅にいる一人のちっぽけな存在に過ぎない。
慶喜公の就任のわずか二十日後、突如、今上天皇、今の孝明天皇が崩御した。満35歳。前将軍の正室、和宮の兄にして、公武合体派の象徴とも言われる人の死は、各方面に大きな衝撃を与え、巷では毒殺説がまことしやかに流れている。
跡を継ぐ親王はまだわずか15歳。現代の年齢でいえば、まだ14歳という幼さである。だが、彼こそがのちに明治天皇となる人物であった。
時代の終わりを象徴する者と、新しい時代を象徴する者。
その二人を表舞台に迎え、名の願いとは反対に、日本という国が急速に動き始めようとしていた。






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