残散華 7 「遅えよ」 広間についた名たちを原田と永倉が迎える。 「お前ら遅えんだよ。この俺の腹の高鳴りをどうしてくれんだ?」 「すいません。お待たせして」 「おう、名ちゃんようこそ」 「新八っつあん、それってただ腹が鳴ってるだけだろ?困るよねぇ、こういう単純な人」 「お前らが来るまで食い始めるのを待ってやった、オレの寛大な腹に感謝しやがれ!」 「新八。それ、寛大な心だろ…。まあ、いつものように自分の飯は自分で守れよ」 ―え?自分で守る? 名が首をかしげていると、目の前ですさまじい争奪戦が始まった。 「今日も相変わらずせこい夕飯だな。というわけで…隣の晩御飯、突撃だ!弱肉強食の時代、俺様がいただくぜ!」 「ちょっと、新八っつあん!なんでオレのおかずばっか狙うかなあ!」 「ふははは!それは身体の大きさだあ!大きい奴にはそれなりの食う量が必要なんだよ」 「じゃあ、育ち盛りのオレはもっと食わないとねー」 ……。 「名、驚いたろ?毎回毎回こんなんでな」 「…千鶴。この中を生き抜いてきたの?」 「う、うん。でも原田さんが守ってくれるし、もう慣れたよ」 「慣れとは怖ろしいものだな…。このおかず俺がいただく」 名が呆れていると、斉藤の箸が伸びてきた。とっさに自分の箸で受け止める。 「…斉藤さんもですか?」 「ふむ。なかなか鋭いな」 感心したようにいう斉藤に思わずため息をつく。 「そんなに欲しいならどうぞ。私、あんまりお腹すいてませんから」 「そうか。では遠慮なく…」 おかずを斉藤に差し出すと、無表情な彼の顔がわずかに輝いた。 うーん。これはかわいいところあるじゃない、というべきなのか? いずれにしても、この場を千鶴が楽しんでいることは間違いなかった。いつも少し強張らせている顔も、今は柔らかい笑みを浮かべている。 ―すっごいうるさいけど、これはこれでいいのかも。 ふふっ、と笑う二人を見て、原田が言う。 「名。千鶴。そうやって笑ってろ。俺らも、悪いようにはしないさ」 「原田さん…」 状況は何一つ変わっていない。それでも嬉しかった。 ―今は、この平和な時に浸っていたい。 その時、広間に突然井上が入ってきた。 「ちょっといいかい?みんな」 いつもと同じような穏やかな声音だが、その目は真剣そのものだ。和やかだった広間の空気が瞬時に硬いものに変わる。 「大阪にいる土方さんから手紙が届いたんだが、山南さんが隊務中に重傷を負ったらしい」 「!!!」 全員が一斉に息を呑んだ。 どうやら、大阪のとある呉服屋に浪士たちが無理やり押し入ったらしい。駆け付けた山南たちはなんとか浪士を退けたが、その時に怪我をしてしまったようだ。 「…それで、山南さんは?」 「相当の深手だと手紙に書いてあるけど、傷は左手だということだ。剣を握るのは難しいが、命に別状はないらしい」 「よかった…!」 千鶴はほっと胸をなでおろすが、名を含め他の者たちの表情は厳しいままだった。 「数日中には屯所に帰り着くんじゃないかな。…それじゃ、私は近藤さんと話があるから」 井上はそう言って背を向ける。 広間に重苦しい沈黙がおりた。 それを破るように、名は口を開く。 「剣を片腕で扱ったら、鍔迫り合いで確実に負ける。山南さんは二度と真剣がふるえないかもしれないんだよ」 「あ…」 千鶴ははっとしたように口に手をあてた。 ―人としての山南さんは生きている。でも。武士としての山南さんは死んでしまった。 「岩城升屋事件だ…」 気付かなかった。名は唇をかみしめる。 ―全ては歴史通りだ。やはりここは私がいた世界の過去なのだろうか…? しかし、そこに沖田の声がわりこむ。 「…薬でもなんでも使ってもらうしかないですね。山南さんも納得してくれるんじゃないかなあ」 「総司。滅多なこと言うもんじゃねえ。幹部が『新撰組』入りしてどうするんだよ?」 薬?シンセングミ? 嫌な予感がする響きだ。 「新選組は新選組ですよね?」 名の疑問を千鶴が口にする。 「普通の新選組はしんにょうだろ?『新撰組』は『せん』の字をてへんにして―」 「平助!!!」 ガッという音とともに、原田に殴り飛ばされた藤堂が板間に転がった。 「いってえ…」 「平助君、大丈夫!?」 千鶴が悲鳴をあげて駆け寄る。 ふうと永倉が疲れたように息を吐いた。 「やりすぎだぞ、左之。平助も、こいつらのこと考えてやってくれ」 「…悪かったな」 原田が短く謝ると、藤堂も苦笑を浮かべる。 「いや、いまのはオレも悪かったけど…。ったく、左之さんはすぐ手が出るんだからなあ」 かなり痛そうだが、幹部たちの反応は、それが日常茶飯事であるかのようだ。新選組という組織を実感する。 「千鶴ちゃん、名ちゃん。今のは聞かせられるギリギリのところだ。気になるだろうが、何もきかないでくれ」 「で、でも…」 「―『新撰組』っていうのは可哀そうな子たちのことだよ」 さとすように、だが冷たい声音で沖田が言った。 「忘れろ。深く踏み込めば、おまえたちの生き死ににもかかわりかねん」 斉藤の言葉は、まさに名と千鶴の立場を象徴していた。 彼らと名たちの間には大きな壁がある。普段、普通に話している中では決して見えないかもしれないが、それは確かに存在するのだ。 そして、ふとした瞬間に現れては、名たちの命をおびやかす。 ―ほんと、どれだけ危ない橋を渡らせたら気が済むんだか…。 沈んでいく心を奮い立たせて、名は頭を働かせた。 ―薬。新撰組と新選組。怪我。手がかりはそろっている。 でも、だから何?新選組の秘密を知ったところで現実が変わるわけじゃない。 名と千鶴は砂を噛むような心地で夕食を終えた。 名と千鶴が去った広間で、幹部たちは酒を飲んでいた。 「…それにしても、山南さんが重傷を負うなんてな」 「負っちまったもんはしょうがねえよ…」 「薬はできれば使ってもらいたくねえんだが、山南さんが望む可能性もある」 「…名ちゃんは知ってたのかな?」 「名ちゃん?」 「あの子、未来から来たんでしょ。違う世界かもしれないって言ってたけど」 「そういえば岩城なんとかって言ってたよな」 「ほんとに知ってんのかな…」 「…たとえ彼女の語る未来がどうであれ、俺たちがすることに変わりはないだろう」 「はは、まあ確かに自分の未来知っちまってもな」 思い思いに語っては少しずつ銚子をかたむける。再び降りた静けさのなかに沖田の声が響いた。 「でも、少し喋りすぎちゃったな」 「…?」 「姓と、雪村か」 「うん。千鶴ちゃんはともかく、名ちゃんは頭がいいからね。僕たちの会話から、かなりのことを察しているはずだよ」 「そ、そうなのか!?」 一同が驚いた顔をする。沖田は底知れない笑みを浮かべた。 「多分ね。あくまで僕の勘だけど」 「…いや、おそらく正しいだろう。最初の夜からいつも考え込んでいることが多かった」 「間者じゃないにしても、かなり深いところまで踏み込んでる可能性はあるってことか」 「えー。女斬るなんて嫌だぜ、オレ」 「頭は切れる、腕は立つっていうんなら惜しい人材なんだけどな」 「それを判断するのが入隊試験でしょ?」 「おい、総司。まさか本当に副長に頼むつもりか」 「この手で実力を測れるなら、文句ないんだけどね」 沖田はそう言って刀の柄をなでた。 [*前へ][次へ#] |