FINAL GAME 2 ――GAME OVER 無慈悲にも頑張った者を突き落とすその白抜きの文字は、黒い背景にでかでかと現われた。バックに流れる音楽はない。 朝からすでに数え切れないほどその文字と出会っている遊来(ゆうらい)はコントローラーを投げ出し、無言でコロリと寝転がった。 せいぜい120センチ程しかない小さな体を精一杯伸ばしやがって、しかもそのままカーペットの上を左右にコロコロ転がるもんだから、邪魔で仕方がない。 「下手くそ」 そう言って足元まで転がってきた遊来を軽く蹴っ飛ばすと、ソファに座って読んでいた漫画を閉じた俺はグレーのパジャマ姿のまま大きなあくびをした。 真っ白い壁にかかった金色の大きな時計は午後1時を示している。 さっき起きたばかりの俺はそろそろ朝昼兼用のご飯でも食べようかという時間だ。最近ずっとパン食だったから、そろそろ米が食べたい。 でも急に立ち上がると腰がダルい。 くそ、一太のやつ容赦なく攻めやがって。 頭をかきながら欠伸をするパジャマ姿の俺を見て、遊来はわざとらしくため息をついた。 「世の高校生はテスト中だというのに、聖王(せいおう)ときたら」 そうか、今はテスト中なのか。 俺はさっき起きたときのことを思い出した。 しっかり閉めた遮光カーテンの外から学生のはしゃぐ声が聞こえて煩くて目が覚めたのだ。そうでなければ夕方までぐっすり眠っていただろう。 あれは、テストが終わって本日の答え合わせでもしながら学生が帰るところだったのだろう。ご苦労なこった。 うん? そうすると一太も今日テストだったんじゃないのだろうか。まあ、知ったこっちゃないけど。 「高校生は高校に行っているからコーコーセーなんだ。俺は違う。それに、それを言うなら……」 お前だって世の小学生は、と言おうとして止めた。 遊来は学校に行きたくなくて行っていない訳ではない。 そもそも遊来には戸籍がない。故に義務教育に呼ばれることも無いのだ。 宿題を忘れて反省文を書いたこともないし、マラソンで転んで膝を擦りむいたこともない。ましてや、友達と給食のプリンを奪い合うなんてことは想像もつかないのだろう。 俺ですら小・中学校くらいは卒業したものを。 しかし、そんなことはお構いなしにこのガキは転がったまま退屈そうに、何さ、と聞いた。俺は別に、と再び漫画を開いた。 何度も見た漫画だ。別段、面白くもなんともない。とはいうものの、それしかやることが無いのだから仕方が無い。やたら叫ぶシーンが多い漫画の絵柄を見つめながら、俺は全く別のことを考えていた。 昔のことを、思い出していたのだ。 そう、母親が子供を連れてきた日の事。 あれは、例年より暑いとある夏の午後だった。 けたたましく鳴く蝉の声を振り切るように全力疾走で学校から帰ってきた俺は、冷蔵庫からだしたオレンジジュースの紙パックに直接口をつけてぐびぐびと飲みほしていた。玄関から母が何か言っているのが聞こえて手を止める。 てっきりコップに入れてジュースを飲まなかったことを怒られるのかと思って、おずおずと玄関に向かった俺は母親と小さい子供の姿を目にした。 『今日から弟になるのよ、よろしくね』 そう言って頭をなでられた子供はまだほんの4、5歳で親指をしゃぶったまま、当時小学6年生だった俺をじっと見つめた。 そいつはおどおどした風もなく、しかしニコリともしなかった。 「ねえ」 転がったままの体勢で俺を見上げながら、あと5年は声変わりしないであろう高い声が質問を投げかけた。 俺は小さい頃から歌で高い声を出すのが苦手だった。声変わりを経験したのはクラスの中では一番だったのだ。 「前に敵がいて、そいつはすっごく強くて、後ろから自分の仲間が来るって分かってたらどうする?」 カーペットの色と同化しそうな天然栗毛の柔らかい髪を足でうりうりと踏みつけながらお前はバカかと返事をした。 俺の父も母も俺自身と同じ、真っ黒な髪を短くそろえていた。 「後ろから来た仲間と倒せばいいだろうが」 「……やっぱ倒す?」 「ったり前だろ。でないと先に進めねーだろうが。クリアするには敵を倒すしかないんだから」 両親はその子供に名前をつけた。ただ『遊びに来た子』という名前を。 あれから3年。すでにその両親もこの世には存在しない。 「ま、ね」 そういうと遊来は俺の足を払いのけて起き上がった。 「よし、リベンジするか」 再びコントローラーを握ってコンピューターゲームの電源を入れた弟に向かって、俺は最近ずっと気になっていた事を聞いてみた。 「いったい、何のゲームをやってるんだ?」 俺がそう聞いたのも無理はないことだと思う。なんせこの一週間ほぼ毎日この調子なのだ。 いつもチャンネル争いを繰り広げるほど大好きなクイズ番組も観ず、お風呂もせいぜい水浴び程度。何時まで起きているのかわからない位夜中までテレビにかじりつき、翌日は目をこすりこすり起きてきて、朝ごはんのパンを片手に持ちながらもコントローラーを放さない。そうして木曜日の今、また負けたと転がりつつもリセットボタンを押して続けようとしているのだ。 母親が未だ健在であったならどれほど怒られるか見当もつかない所業である。 俺も遊来もそこまでゲームに熱中した事など今までなかったし、そんなに面白いゲームが最近でたという話も聞いたことはない。 遊来越しに画面を見る限り、RPGかシミュレーションのようなものだとは思うのだが。 「これはすっごく難しいんだよ」 負け続けている事を馬鹿にされたと思ったのか、遊来はふくれながら答えた。 「すっごく、すっごく大変なゲームなんだから」 オープニングでは、どこかの学校の制服を着た少年が必死で走っている映像が流れていた。 やはり最近のゲームは映像が綺麗だ。服のシワまで一本一本忠実に再現されている。 舞台は現代社会とよく似ているらしく、どこででもみかけるブロック塀や、すれ違う白い乗用車が映し出されていた。 「このゲームはさ、」 少年が病院のような大きな白い建物を通り過ぎた所で遊来は切り出した。あの病院、どこかで見たような気がする。まあ、病院なんてどこも同じようなものか。 「今から起こる、ゲームなんだよ」 「……は?」 俺は、思わず口を半開きにして変な声をだしてしまった。 「前から、変なやつとは思っていたが、ついにイカれたか。だからあれほど変なクスリに手を出すなと」 「誰がいつクスリなんてやったかな? 子供の柔軟な思考を信じないと損をするよ」 「それを大人はデタラメと呼ぶんだよ。そんなもの信じていたら世界はとっくの昔に滅びてるわ」 俺の言葉に、やれやれと遊来は大げさに手を振り仰いでみせた。何処の外人ですか、このガキは。 「今から現実に起こるんだ。今まではリセットできたけど、もうそれもできない」 まだ一口しか食べていないアイスクリーム、それも大好物のチョコミントを地面に落としてしまったかのような悲しい顔をうつむかせて話は続いた。 「時が追いついちゃったんだ。もう、夏が動き出してしまった」 そう言われて、開けっ放しの窓から生暖かい風が入ってきていることに気がついた。 まだ5月なのに今年は蒸し暑い。 もうすぐ梅雨が始まると、早くもノースリーブの服を来たお姉さんがテレビ画面の向こうで説明していたのを観たのはつい昨日の事だ。 「聖王もやってみる? このゲーム」 遊来は軽くコントローラーを振りながら聞いてきた。とても小学生とは思えないほど、大人びた笑みを浮かべながら。 そしてその笑みを浮かべた唇で、こう言ったのだ。 「死んだ人に――会えるかもよ?」 と。 [*前へ][次へ#] [戻る] |