[通常モード] [URL送信]

FINAL GAME
7
※※※

 安城学園近辺には、一つの坂があった。両脇に桜の木が植わっている、長い坂だ。
 公園へと続くその坂は通称、幽霊坂と呼ばれていた。本当の名前は知らない。なんでも、夜にこの坂を歩くと桜の木の下でおじいさんが手招きをしているのが見えるらしい。素直にその招きに応じて近づくとあの世へと連れて行かれ、2度と戻る事は出来ないとか。

 ……2度と戻れないのに、何故あの世へ連れて行かれた事がわかるんだ? とかいう質問はしてはいけないらしい。

 噂によるとそのおじいさんは、この坂を上っている途中に心臓麻痺で亡くなったらしい。しかしたとえおじいさんがでない昼間でも、誰もその坂を使おうとはしなかった。なぜならそこは、とてつもなく急な坂だったからだ。
 別に無理をしてこの坂を上る必要はなかった。遠回りだけど、ぐるりと回れば緩やかな坂のコースをたどることができる。そして所要時間は五分五分ときている。この地域の子供たちは身を持って『急がば回れ』を体験していたのである。

 そんな坂を小学校時代の俺はよく学校帰りに登っていた。何でこんなことをしないといけないのか。特に夏の暑い日差しの下では誰かに文句すら言いたくなる。けれども自分でこの道を選んで登ってきているのだから文句も言えない。俺は、背中にべっとりと張り付く学園指定のランドセルを背負いながら、ひたすら地面を見て足を動かしていた。

「聖王、今日もこの坂登ってるのか?」

 さっさと掃除をサボって帰宅していた一太に声をかけられ、俺は顔をあげた。彼は愛用のマウンテンバイクにまたがっていた。涼しげな顔がムカつく。
 一太の傍には俺が良く知らないほかのクラスの男子児童や、上級生も数人混じっていた。大人達から絶対してはいけないと注意されていたが、少年たちの間ではこの幽霊坂を自転車で一気に駆け抜けるのが流行っていた。もちろん、自転車で登るときは緩やかな坂を使うのである。

「まったく、わざわざこっちから登るなんて変な奴だよな。この坂使ってるのなんて、お前と香月くらいだぜ」

 その言葉に小学5年生だった俺の心臓がどきんと跳ねた。その香月が登るから、自分も真似をしているのだと知られたら、馬鹿にされるだとうと思ったのだ。それと……体力が無いからと決してこの坂を登ろうとしない蓮華にその事がバレたら、厄介だとも思った。

「そ、そうかよ? お前には関係ねーだろ、このサボり魔が。明日罰掃除させてやるからな」
「はっ、誰がやるかよ……ほら、そこにいるだろ、香月」

 一太が指差した方に目をやると、確かに前を歩く人影が見えた。中等部の制服に身を包み、綺麗な姿勢で歩く姿は、確かに香月だ。
 俺は、一太とその仲間達が物凄いスピードで坂を降りていくのを確かめてから、香月に向かって走りだした。

「香月!」

 俺が名前を呼ぶと、彼も俺に気づいて立ち止まってくれる。この暑い中坂を登っているのに、汗一つかいていない香月が俺に笑いかけてくれる。

 香月は変わったことに、この道がお気に入りだった。毎日涼しい顔で汗も掻かず、ゆっくりとこの道を通って家に帰る。香月曰く、両の道に植わっている桜の木を見ると疲れなど感じないという。桜がピンク色に染まるときではなくても、新緑の桜も、冬に耐える桜も好きなのだと言っていた。

「この道は、桜のいい匂いがするだろう?」
「匂い? 全然わからないけど」

 大体夏に桜は咲いていない。顔をあげるも、緑色の葉が風に揺れているだけだ。しかも近づくと毛虫が降ってくるという、デンジャラスな場所でもある。

「そもそも、俺は桜が満開の時でもいい香りなんて思ったことねーよ」

 桜の香りってどんな匂いだ? 俺の問いに、香月は優しく微笑んで俺の髪を撫でる。
 そして、俺の髪を撫でながら首元に顔を埋めるように屈んだ。香月の吐息が首筋に当たってむずむずする。

「――とっても良い、匂いだよ」

 まるで、俺の匂いを嗅ぐ様な状態で彼は囁く。その体勢のまま、彼は言葉を続けた。桜の事だと分かっているのに、まるで俺自身の匂いを言われたような気がして、顔が熱くなった。そんな姿を香月には見せられないと、慌てて顔を逸らす。
 それでも香月には俺の行動はバレバレだったらしく、彼は俺をみて笑った。

「この坂は好きだ――桜の木と、聖王がいるから」

 聖王は? と香月の茶色い瞳に見つめられながら尋ねられる。
 坂を登るのは、辛い。暑いし、桜の匂いなんてわからない。面倒臭い。
 でも、

「……俺も、好きだよ。この坂」

 ここには、香月がいるから。だから俺はきっと明日も、この坂を使って帰るのだろう。


 その時の俺は想像もしていなかった。
 この、わずか数ヶ月後に蓮華が死ぬなんて事は。
 ――そして、この1年後に香月まで消えてしまうなんて事は。


※※※


 パシャン、と水が撥ねる音がした。

「ん……?」

 甘い香りが鼻をくすぐる。思い瞼を開けば、今自分が湯船に浸かっているのだと気づいた。

「ああ、気づいたのか」

 声の方を向くと、見覚えのある顔が目に映った。制服を身に纏ったままの彼は、その服が濡れるのも構わず湯船に浸かっている俺の頭に手を伸ばした。

「ふく……そーちょー、さん」
「相模(さがみ)でいい」

 俺の言葉に、相模とかいう人は苦笑いを返した。そんな顔されても、俺はアンタの名前知らなかったんだから仕方ないだろ、というだけの気力はない。
 湯には入浴剤が入っていて、ピンク交じりの白濁色をしていた。甘い香りは、入浴剤のものなのだと気づく。
 ……ひょっとすると、俺の裸をあまり見ないようにするためにこの入浴剤をチョイスしたのだろうか。そうだとしたら、凄く気遣いのできる人だ。

 湯の中で全身を触ってみる。太ももに触れたとき、ぬるっとした感触がまだ残っていて思わず眉を潜めた。それに気づいた相模さんが、心配そうに俺を覗き込む。

「……痛むか?」
「いえ、ご心配なく」

 そっけなく返事をすると、彼は「タオルと服は洗面所にあるから」と言い残して風呂場から出て行こうとした。が、浴室の扉に手をかけたまま思い出したように振り返る。

「連中には、俺から言っておくから」
「必要ありません」

 きっぱりと返事をした俺に、相模は驚いたようだった。なんでそんな顔をするのか理解に苦しむ。何故なら、

「総長である一太が認めたんですよ? 貴方にどうこうできるとは思わない」
「そんな馬鹿な……」

 俺の言葉に、相模は目に見えてうろたえだした。この人は現場にいなかったから一太が許可をしたことなど知らないだろう。しかもこの人には屋上で俺と一太がそういう関係だったと知られてしまっている。信じられないのも無理はない。
 それに、

「それに、もし報復するなら自分でします。相手の顔もしっかり覚えていますから、調べようと思えば簡単にできます」

 風紀委員ですから、とは心の中でだけ呟く。とは言っても、面倒だから報復なんてしないだろうけどね。

「覚えている、って」
「貴方が部屋に来た時に俺の上に跨っていた人は3年1組でしょう? 襟元にクラスバッジが見えました。後、喉奥まで突っ込んできた、髪が肩あたりまである奴は仲間から「スケ」と呼ばれていたし、周りとの会話の雰囲気から2年。俺に2回も中出しした奴は口元にホクロがあって……」
「――もういい」

 指折り情報を整理していた俺の言葉を遮って、相模は呆れたようにため息をついた。それから、哀れみを含んだような瞳で俺を見つめる。あ、その顔はちょっと気に入らない。

「……慣れてるのか?」

 聞きにくそうな顔をしながら、でもはっきりと聞いてくる。何に? って、問うまでもないか。

「――まさか。強姦されたのも複数の人間と同時にヤったのも初めてですよ」

 一介の高校生がそんな経験、おいそれとするものじゃないでしょ? 
 平然と言い放てば、彼はますます複雑な表情をした。理解不能、って顔に書いてある。それでも、必死で考えを巡らしたのか言葉を口にした。

「……やっぱり、無理矢理は良くない。本当に総長が許可を出したというのなら、総長にも意見する必要がある」

 真摯な言葉に、俺はただ真面目なんだな、と思った。
 上下関係に厳しいはずのチームの中で、それでも一太に意見をしようなどと言ってくれる。それも関りの無い一生徒の為に。下手をすれば、チーム内での自分の立場が危うくなるかもしれないのに、だ。
 本当、一太の下につけるのは勿体ないくらい真面目な人だな。なんでこんな人が族の副総長なんて座に就いてんだか。
 まっすぐに俺を見つめる瞳。顔は似ていないのに、思い出してしまいそうだ。

「…………この入浴剤、何の香りなんですか?」

 イキナリ関係ない質問をすると、彼は首を傾げながらも答えてくれた。

「あ、ああ。確か、桜の香り、だった筈だ」
「そう、ですか」

 人工的に作られた嘘くさい桜の香り。
 その所為かな、香月を思い出してしまうのは。
 頭の中から大事な人の姿を追い出すように、俺はお湯を両手にすくって顔にかけた。甘い香りが強くなる。

「――ねえ、相模先輩」

 湯船に浸かったまま、俺は未だに扉の傍に立つ先輩を振り返った。
 湯気で鏡が曇っている。蒸気に包まれて、汗が流れる。

「いい方法を、教えましょうか」

 俺は、彼の瞳を見据えた。向こうも俺と視線を合わせてくれる。

「――貴方も、俺を抱けばいいんですよ」

 俺を犯した奴等の共犯者になればいい。
 そうすれば、自分の立場を危うくしてまで一太に逆らわなくていい。配下を叱る手間も省ける。全部丸く収まって、メデタシメデタシ、だろ?


[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!